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喰う




 陽一は、小さい子と一体何を言い争っているのだと気がついた。


「ごめん、俺、大人げなかったよな」

「ようやく分かったか」


 鬼がけらけら笑った。


「指をくれるか?」


 鬼が鋭い歯を剥き出した。


「それとこれとは別。晶はどこにいるんだよ」

「指をくれたら教えてやる」


 ちっとも埒が明かない。すると、鬼が声を変えた。


「じゃあ、カタチがなくてもいい」

「へ?」

「お前の心でもいいよ。お前の記憶、記憶なら喰ってやる」


 陽一は顔をしかめた。


「何を言っているんだ? わけが分からねえ」

「分からないか? あたしは痛くないものを喰ってもいいと言っているんだよ。お前の記憶なら、お腹いっぱいになると思う」


 陽一は顔をひきつらせた。


「記憶?」


 そんな物が喰えるのか?


「痛くないんだな…」


 鬼はにっこり笑う。


「うん。痛くない」


 陽一は悩んだ。

 指だったら血が出る。でも、記憶だったらなんともないらしい。


「俺の記憶なんて、まだ、十六だし…。ちょびっとしかないけど」

「いいのか?」


 鬼が目をキラキラさせる。


 そんなに記憶が欲しいのだろうか。


「俺の記憶って、たとえばどんな?」

「たとえば、そうだな、お前が生まれた時に見た母親の顔とか」

「そんなんでいいのか。俺、生まれた時の記憶ねえし、母さんの顔なんて覚えていねえ」


 鬼はうんうん、と頷いた。


「手を貸せ、それだけでいい」


 陽一は、鬼に手を差し出した。カエデのように小さい手のひらはやけに熱い。

 何をされるんだろうと身構えている間に、陽一は一瞬胸がちくりとした。それ以外変化はない。

 鬼は、うれしそうに笑った。


「うまいな。お前の記憶はすごく温かくてうまかった」

「そうか。それならいいけど…」


 陽一は、鬼と手をつないで再び歩き出した。


「どこまで行くんだ?」


 少し不安になってくる。時間はあまりないはずなのに、晶にちっとも会えない。


「陽一郎の話をしてやろうか」


 鬼が言った。

 陽一は首を振った。


「いい。それよりも晶に会いたい」

「分かった」


 鬼が頷く。


「もうすぐ、晶に会えるよ」


 鬼が言ったが、なんとなく陽一は不安に駆られた。


「もうすぐってどれくらい?」

「お前が死ぬまでかな」


 鬼の言葉に体が凍りつく。


「え?」

「あたしはお前が気に入った。ここから返すつもりはない」

「ふざけるなよ…」

「ふざける?」


 鬼が首を傾げた。


「ふざけていない。夜琥弥とあたしとお前、三人でこの世界で暮らせばいい」


 この餓鬼っ…。



 陽一は、鬼の手を離すとその場で立ち止った。


「どうした? 晶はここにはおらんぞ」

「…本当は知らないんだろう」

「む?」


 鬼が顔をしかめる。


「何だと?」

「遊びに付き合っている暇はないんだよ」

「遊び?」


 鬼が眉をひそめてから、にやりとした。


「何して遊ぶ?」


 陽一の手を握って、きゃっきゃっと飛び跳ねた。


「あたしが鬼? いいよ。鬼になってもいいよ」

「今は晶のことだ。俺は、晶を連れて帰るんだ」

「あたしじゃダメ? あたしだって晶じゃないか」

「お前は鬼だろ」


 晶の顔をした鬼が言うと、混乱してくる。


「晶、どこにいるんだよ!」

「いないっていったらどうする? お兄ちゃんはここにいてくれる?」

「晶はいないのか?」

「知らない」


 鬼は知らんぷりをする。

 陽一は頭を抱えた。焦りでイライラしてくる。


「なあ、俺は遊んでいる暇もないし、お前は鬼だから晶の代わりにはならない。俺が会いたいのは、晶なんだよ」


 鬼は、指をくわえて陽一を見た。


「仕方ないね」

「は?」


 鬼は指を外した。


「本当のことを云うよ」

「さっさと言えっ」


 陽一の様子に鬼が笑ったが、なんとなく泣きそうな顔をしていた。


「さっきから、お兄ちゃんはずうっと晶のことばかり。あたしはいらないんだね。あたしは鬼だから、誰も優しくしてくれないんだね」


 そう言うなり、鬼が泣き出した。先ほどとは違う涙があふれる。


「寂しいんだよ。お兄ちゃんにそばにいてほしいのに。お兄ちゃんが欲しいのは晶で、あたしじゃないんだよね」


 鬼の言葉に惑わされる。

 陽一はくらくらした。


「俺はお前のこと嫌いじゃないよ。けど、お前のことは夜琥弥さんが面倒を見てくれるって言ったじゃないか。だけど、晶は? 晶はこの黄泉の国のどこかで一人ぼっちでいるんだろ? そっちの方が悲しいじゃないか」

「夜琥弥よりもお兄ちゃんの方がいい」


 鬼が駄々をこね始める。

 陽一は参ってしまった。


「おい、困らせるなよ」


 鬼がエンエンと泣き出した。


「泣くなよ、な?」

「お兄ちゃんの体の一部分をちょうだい。それか、お兄ちゃんの心をちょうだい」


 鬼が顔を上げる。目は涙で濡れていた。

 

 晶の顔だった。

 

 陽一は息をのんだ。


「俺の心でいいの?」

「うん」


 鬼が泣きやむ。陽一は空を仰いだ。


「参ったな…もう…」


 これでは堂々巡りだ。


「俺の心ってどれくらい?」

「ちょっとでいいよ」


 鬼がそばに寄ってくる。陽一は鬼を見つめながら呟いた。


「ダメだ…」

「え?」

「心はダメだ。代わりに俺の右手をやる」


 陽一はグイっと腕まくりすると、鬼に突き出した。


 瞬間、鬼が右手を見て悲鳴を上げた。


「お前、何をしているっ」


 鬼が後ずさりした。陽一は真剣な顔で言った。


「これが欲しいんじゃないのか?」


 鬼は首を振った。


「違う…」


 鬼は、差し出された右手を見て怯えているように見えた。


「そうじゃない、違う…」

「だったら、何が欲しいんだ?」

「あたしが欲しいのは右手でもお前の命でもないっ」

「晶はどこだ」


 陽一が詰め寄ると、


「いやっ」


 と鬼が悲鳴を上げて、陽一を突き飛ばした。


 強い力に吹き飛ばされて、陽一は一瞬意識を失いそうになった。


 ハッとすると、鬼がまたがり陽一の首を絞めていた。


「お前のせいだ。全て、お前が悪いんだっ」


 鬼が陽一の首に噛みついた。

 陽一は悲鳴を上げたが、鬼は噛みついたまま離れない。

 生温かい血が首から胸にかけて流れている。

 陽一は、ぼんやりとした頭のまま、このまま死ぬんだ、と思った。


 鬼は、朦朧としている陽一に気づかずに叫んだ。


「そんなに喰われたいのなら、お前を全部喰ってやる」


 鬼はそう言って、腕に噛みついた。

 体がどんどん冷えていく。陽一はぼんやりと思った。


「俺を喰っても構わない。けれど、晶を月へ返してやってくれ。頼むよ」

「…晶、晶、そればっかり」


 鬼は涙ぐんだ。そして、陽一の腕を引きちぎった。


 陽一はうつろに目を閉じながら、晶のためならいいや、と思った。その時、まばゆい光が辺りを包み込んだ。

 鬼が、陽一の腕を口から取り落とした。


 膝をついてうめいている。鬼が胸を押さえてもだえると、ゆらゆらと前後に揺れて、体が二つに割れた。


 ひとつは、美しい姫に。

 もうひとつは、鬼の姿をした姫に。


 美しい姫は、起き上がると陽一の方へかけて来た。


「陽一っ」


 晶の叫び声を聞いて、陽一は意識を失った。






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