美少女
人の話し声がする。
陽一は目を開けたが、体が思うように動かない。
「起きられたか」
「瑠稚婀さん…」
顔を覗き込むように、瑠稚婀がそばに居た。
舞の姿は見えない。
「舞ちゃんは?」
「姫のそばにおる」
瑠稚婀が静かに答えた。
晶がいるのだ。心が騒いだ。
しかし、目を動かすことしかできず。陽一は、必死で口を動かした。
「俺も会わせてください。でも、あの…動けません」
「案ずるな、すぐに動けるようになる」
その時、見たこともない綺麗な少女が陽一の傍に座った。
巫女装束で、赤い唇に雪のように白い肌をしている。一筋も乱れのない長い黒髪を背中でひとまとめにしていた。
ぱっちりしたつぶらな瞳から目が離せず、陽一は少女を見つめた。
「だ、誰…?」
「わしか? 赤猪子じゃ」
陽一は目を剥いた。
赤猪子といえば、ばあちゃんではないか。
「う、嘘…」
「そんなことより、早う、起きなされ」
赤猪子と名乗る美少女が陽一の手を引いた。
陽一は指を動かして、それから少しずつ顔を動かし、何とか起き上がれた。
ほっと息をつく。
「ここはわしの暮らす社じゃ、瑠稚婀と共に祓いをしておる。多少の時間稼ぎはできるじゃろう」
「時間稼ぎ?」
陽一が首を傾げた。
瑠稚婀がため息をついた。
「そなたは、慶之介殿にとって仇ぞ。妹を殺され、そなたが月まで追って来たと知れば、殿は何をするか分からぬからの」
陽一はぞっとした。
「それは…」
「言い訳は無用じゃ」
赤猪子が横から口を出す。
「わしとて、自分自身が無断で活用されたこと無念でならぬ。が、これもまた、姫の願いであったのだから、蒸し返すつもりはない」
陽一には意味がよく分からなかった。
赤猪子は困ったように笑った。
「そうか、そなた、何も知らぬのだな」
その言い方に陽一はむっとする。
「あの、俺が何にも知らないアホみたいに言うのやめてください」
「わしは何度も云ったはずじゃ。にも関わらず、そなたは思い出すことをせなんだ。じゃがの、陽一殿、そなたはもう陽一郎の記憶を思い出すことはないぞ」
「え?」
陽一は耳を疑った。
「ど、どういうことですか?」
「姫はそなたの中におった陽一郎殿と会って話をされた。そなたはただの入れ物、今度こそ、本当に姫とは無関係なのじゃ」
陽一が茫然とした顔つきになる。
「赤猪子殿、陽一をいじめなさるな」
瑠稚婀が諭すように言った。
赤猪子はクスクス笑った。
「こんな話をしている暇はない。しかし、わしが今云うたように、そなたが月へ来ても何の役にも立たぬゆえ、気がすんだら地球へ還れ」
赤猪子はすっと立ち上がると出て行った。
陽一は、膝の上で手のひらを強く握りしめた。
「俺…」
泣きそうなほど辛かった。
晶の顔を見ることもできないなんて。
涙がこぼれそうになる。
「瑠稚婀さん、晶に会わせてください。お願いします」
「無理じゃ」
瑠稚婀はすげなく答えた。
「慶之介殿は、そなたを決して許さぬ」
「そんな…」
陽一の途方に暮れた顔を見て、瑠稚婀は小声で囁いた。
「わらわは姫の様子を見て参る。そなた、ここを決して動くでないぞ」
瑠稚婀は立ち上がると、音も立てず部屋を出て行った。
一人取り残された陽一は悄然と座っていた。
その時、両腕の鳥肌が立った。陽一は口を開けたまま体を硬直させた。振り向くことができない。
陽一は、蛇に見込まれた蛙のように、畏縮した。
背後に何かがいる。
巨大な力に圧倒される。
――主が陽一か。
声が心に問いかけている。陽一は振り向くこともできなかった。
――案ずるな。
声が笑った。
誰かの笑い声と少し似ている気がした。
――人間の男よ。こちらを見よ。
陽一は言われた通り、ゆっくりと体を後ろへ向けようとした。必死で両手両足を動かして、顔を上げる。
眩い光に包まれたそれは、人のような形をしていた。
女の人だと、輪郭で分かる。
――我は自由に動けぬのでな。実体ではないが、許せ。
光はそう言うと、陽一をじっと見ている。
陽一は、背中に嫌な汗をかいた。
この光が誰か分かっている。
晶の母なのだ。
あまりに力が強くて、見ることができない。
目を逸らそうとすると、光がゆらゆらと揺れた。
――ここへ来たからには、男には、責任を取ってもらおうと思ってな。主は、弟に会ったのだろう。
弟が、夜琥弥のことであると、すぐに思いつく。
まごまごしていると、殺されそうな気がして、心が騒いだ。
――殺しはせぬ。しかし、婀姫羅の亡骸を我は望んでいたのではない。主がやったのだな。
「は、はい…」
陽一は何とか答えた。
光は、一瞬、息を止めたように思えた。
――弟に約束したのは、鬼をやると云っただけ。婀姫羅をやるとは云っておらぬ。
「え?」
一体、何の話をしているのだろう。しかし、聞き返すなどという恐ろしいことはできなかった。
陽一は、考える力を総動員させて、晶の母の言葉を全て汲み取ろうとした。
――黄泉の国へ行き、そなたが連れ戻せ。
陽一は、ごくりと唾を呑んだ。
――我からは以上だ。
晶の母はそう言うと、気配はかき消えた。
緊張がどっと解ける。
陽一は、額の汗をぬぐった。
黄泉の国へ行けと、晶の母は言った。
晶はそこにいるのだ。
どうやって行こうか、と考える前に行くしかないと決意する。
ようやく手足が自由に動き、深呼吸ができた。
夜琥弥がなぜ、自分に付きまとっていたのか今なら分かる。
彼が欲しかったのは、鬼だったのだ。
理由は分からないが、晶を迎えに行かなきゃいけない。
自分にしかできないのだ。
自分がはたして陽一郎だったのかなんて、もうどうでもいい。
今の自分は、晶を助けたいと望んでいる。
陽一は立ち上がると大きく深呼吸をした。夜琥弥との会話を思い出す。
困ったことがあればいつでも呼んでもいいと言ってくれたが、最後の会話からして助けてもらえないだろう。
だが、夜琥弥は、黒水晶の話をしていた。
自分の中に何か力があるのだ。
陽一はぐっと手を握りしめた。
力を感じようと集中する。
黄泉の国はどこにあるのだろう。暗闇の世界しか思いつかない。
陽一は手を広げた。何度も手を閉じたり広げたりして、力を放出するように前に突き出して見た。
何も起こらない。しかし、もう一度、同じことをしてみる。
バカみたいだけど、何もせずにいられなかった。
「黄泉の国への道よ、開けっ」
声を出して見た。
ばっと右手を突き出すと、空間に丸い穴がぽかりと開いた。小さくて指くらいしか入らない。しかし、信じられないけれど、空間に切れ目が入ったのだ。
陽一はもう一度、試そうとした。手をぎゅっと握り集中すると、燃えるように手が熱くなった。
今だ! とばかりに手を突き出した。
「黄泉の国へ俺を連れて行けっ」
ぱっと手に集まった力が放出されて、空間に穴が開いた。かろうじて人が一人入れるくらいだった。
陽一は、その中に片足を入れた。次に肩と手を入れてまたぐようにして穴に入った。
全身が入ると穴は消えた。
拙作をお読みくださりありがとうございます。
こちらの作品は、2024年よりカクヨム様にて推敲しなおして、再度連載を始めました。
まだ、なろう様の方の部分の方がかなり進んでいるのですが、もし、ご興味がありましたら、カクヨム様にて読んでいただけると幸いです。
ありがとうございました。




