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記憶




 陽一郎は混乱していた。

 険しい顔で警戒するように辺りを見た。


「ここはどこです? 一体、何が起こったのですか」

「お主とゆっくり話がしたくてな。ここは安全じゃ、村人もおらぬ」

「俺には何が何だか…」


 陽一郎は困った顔をしていたが、うぐいす姫の顔を見て、少し落ち着いたようだった。

 うぐいす姫は、心臓が高鳴るのを感じた。涙が溢れそうになるのをこらえる。


「陽一郎、時間がない。詳しい説明をしている暇もないのじゃ。我はお主に謝らねばならぬ」

「姫…」


 陽一郎はびっくりした顔で大きく首を振り、右手を庇いながらすり寄ると、左手でうぐいす姫の手を取った。うぐいす姫はハッと顔を上げた。


「姫は何も悪くはありません」


 陽一郎の手から温もりを感じて、うぐいす姫はこらえきれず涙をあふれさせた。


「すまぬ…。我のためにお主の一生を奪ってしまった。我は後悔しておる。だが、これで最後じゃ、我らはもう二度と会わなくてすむ」

「俺は望んでいません」


 陽一郎がはっきりと答えた。

 うぐいす姫は息を呑んで陽一郎を見つめた。


「お主は望まなくても、我はもう疲れた。終わりにしたい」


 陽一郎が顔を近づける。

 うぐいす姫は醜い顔を隠そうと手を離そうとしたが、陽一郎が許さなかった。


「やめてくれ。もう、たくさんじゃ」

「俺はあなたのものです」


 うぐいす姫は何度も首を振った。


「ならぬ」


 きっぱりと答え、その手を突き放した。


「お主が我の元へ来た時、突き放すべきであった。この縁、ここで断ち切る」

「なぜですか。俺はあなたを愛しています。鬼になる以前から、美しいあなたが好きだった。少しでもおそばに居たくて、あなたを守りたくて俺は山へ入った。村人を食べないで欲しいと願ったのは云いわけです」

「それは思い違いであろう。お主は兄を殺されて、我に復讐するのではなかったのか?」


 ――兄。


 陽一郎が思い出したように呟いた。そして、手を強く握りしめた。


「兄。そうです。あなたには云えなかったが、兄は本当に卑劣な男でした。罪もない村の女たちに手を出し、あなたに仕える巫女にまで手を出そうとした。あなたは兄に罰を与えるため、村へ降りて来た。それが真実です」



 陽一郎の兄は見目の麗しい男だった。

 彼は自分の容貌におごり、手あたりしだいに女を襲った。

 親の決めた嫁がいたが、彼女は兄の虜となり、周りが見えなくなっていた。


「謝らなくてはならないのは、俺たちです」

「鬼に心を奪われたのは我じゃ。我は鬼じゃ、もう、人には戻れぬ」

「うぐいす姫」


 陽一郎は右手を差し出した。

 だが、壊死しているはずの右手に傷が一つもないのを不思議そうに眺めてから、うぐいす姫に顔を向けた。


「この手を切り取ってください」

「え?」


 うぐいす姫はぎくりとして、陽一郎を見つめた。

 恐怖で体が震える。

 鬼が体の中で暴れている。


「よせ…」

「あなたは俺のものです。誰にも渡したくない」

「陽一郎、もう、我らは長い時を過ごした。我は、お主が他の女子おなごを嫁にもらい、子を育てるまでずっと見つめてきた。お主が笑い、幸せに過ごすのを見て我も幸せであった」

「あなたと共に生きたいのです。俺の願いは聞き入れてくれないのですか?」

「我は地球では五十年しか生きられぬ。どうやら、五十年ほどで力尽きるようじゃ。我の願いは、お主が我と共にではなく、静かに一生を終えてもらいたいこと。しかし、お主が他の女子と共存していくのを見るのは辛くなってきた。これでしまいにしたい」

「うぐいす姫っ」


 陽一郎が強く手を握ってくる。

 うぐいす姫は顔を上げなかった。


「お主を前にすると、我の中の鬼を抑えることができぬ。お主を求めているのは我だけではない。我の鬼がお主を喰いたいと願っている」

「俺を喰ってください。俺はあなたに喰われて幸せなんだ」

「もう、やめてくれ」


 うぐいす姫は耳を押さえた。


「我はもう人を食べたいとは思わぬ。我は――」


 二人の会話を遮るように、かつん、と石が転がる音がした。


「来た…」


 うぐいす姫がさっと外を見た。

 暗闇で見えないが、結界の外側でざわざわと気配を感じる。

 陽一郎に向き直る。


「我の願いは叶った。記憶を呼び起こした事により、お主とはこれっきりじゃ」


 陽一郎の顔が気色ばんだ。


「どういうことです?」


 うぐいす姫の着物をつかむ。


「許せ、陽一郎。我はお前を傷つけた」

「愛していました」


 陽一郎が顔を近づけて云う。触れ合うほどに近寄り強く囁いた。


「あなたに毎日、喰われるたびにあなたが愛しかった。これきりだと本気で云っているのですか?」

「お主のおかげで幸せな日々と過ごすことができた。もう充分じゃ」

「うぐいす姫っ」

「我を離せっ」


 陽一郎は目を見開き、噛みつくようにうぐいす姫に口づけた。うぐいす姫は目を閉じると、陽一郎の意識を奪った。

 陽一郎はがっくりと頭を垂れると、床に倒れた。




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