結界
ぶすぶすと皮膚が焼ける臭いがする。
晶は手をかばった。
「あっ、晶っ」
陽一が焦って晶に触れようとしたが、俊介がそれを遮った。
「そなたは触ってはならん」
晶は青ざめた顔で陽一を見ていたが、観念したように言った。
「陽一、我は鬼じゃ。お主が探していたうぐいす姫はこの世にはおらぬ」
「何だよ、それ…」
晶の手が気になって、陽一はパニックになっている。
「それより、そのケガどうして? 俺が触ったから?」
「姫さま、陽一は何をしたのです」
俊介が静かに聞く。しかし、顔つきは険しい。
「陽一はハンターから何か受け取ったのではないか」
「ハンター?」
陽一が口をぽかんと開けた。
「そなた、そんなことも忘れているのか」
俊介がさらに怖い顔で言った。
「俊介、陽一を巻き込みたくない」
「しかし、それでは…」
「俺に分かる話をしろよっ」
陽一が叫んだ。
晶ははっとした。
「お主には平和な毎日を送って欲しいのじゃ」
「うぐいす姫にかかわって平和な毎日があるわけねえだろ。変な女の子とかサングラスとか、おっさんとかいろいろあるんだよっ」
陽一の言葉を聞いて、晶は口を閉じた。
「女の子と申したか」
「ああ、沙耶ちゃんだよ。うぐいす姫を探しているとかで、俺にサングラスをくれたんだ」
「そやつがハンターだ。陽一、その者に近づいてはならぬ」
「もう遅いよ。あいつら、どこにでも現れて俺に何かするんだからっ」
「まだ…間にあう」
晶は呟いたかと思うと、陽一のそばに寄った。
手のケガなど気にしていない。
「姫さま、何を…」
俊介が止めるのも聞かず、晶は背伸びをすると黒くなった手で陽一の顔にそっと触れた。
陽一は後ずさりした。
「吐き出せ…」
晶が囁くように言った。
俊介はその言葉を聞いたとたん、すぐに結界を張った。
道路の真ん中で事を行うには、この場所は目立ちすぎた。
すぐさま、俊介の張った結界が三人を透明の膜で取り巻いた。
突如、晶の頭上に小さな白い角が生え、髪の毛が伸び始めた。地上まで伸びた髪はうねうねと生きているように蠢く。晶の瞳が細長く金色に輝いたかと思うと、鋭い牙が生えた。
もがく陽一の口に晶が顔を近づけると、陽一の体から黒い煙が吐きだされた。晶は、陽一の唇に頬を寄せ、口づけすると黒い煙が晶の中へ入っていく。
陽一に触れている間、晶の皮膚は傷がついては再生を繰り返した。
陽一は動けずにいたが、目を見開いてしっかりと晶を見ていた。
晶が黒い煙を吸い込む間、陽一は苦しみが徐々に薄らいでいくのを感じた。
頭がすっきりして体の疲れも取れていく。さらに、晶に対する苛々した感情がなくなっていった。
全ての穢れを取り除いた晶は、陽一から手を離した。
晶は、瞬時に鬼の力を封じ込めると元の姿に戻った。
陽一はよろめいて地面に手を突くと、怯えたように晶を見た。
「これが本当の姿じゃ。安心しろ、すぐに記憶を消してやる」
晶が静かに言うと、陽一は首を振った。
「俺に何を…」
「何も悪さはしていない。苦しみを取り除いただけじゃ」
陽一は、後ずさりしながら晶を食い入るように見た。
「鬼…。お前、鬼だった」
「そうじゃ。我は鬼だ」
晶の悲しい声が聞こえた。
「鬼…」
陽一が険しい顔で、晶を見ている。
記憶が甦ったか、と晶は慎重に見つめた。
陽一は、顔をしかめると記憶をさぐる様にこめかみを触った。
「小さい頃、鬼と出会った。お前、俺が小さい頃に会ったことがあるのか」
「幼少?」
晶は顔をしかめた。
あるはずがない。
晶は、陽一と接触したことは一度もなかった。
「お主は何か勘違いをしている」
晶の言葉に陽一は首を振った。
「いや、俺は鬼に出会った。だから、うぐいす姫を探すのをやめたんだ」
晶は混乱した。
自分の意識がない間に、鬼が外に出ていたのだろうか。
「姫さま」
青ざめた晶の肩を俊介が優しく抱いた。
「大丈夫でございますか?」
「うむ…」
大丈夫ではなかったが、幼い頃、陽一に何かあったらしい。
陽一のためにも早く記憶を消して、平和な日常を取り戻して欲しかった。
「すまぬ。陽一」
「え?」
「記憶を消してやる」
晶が近づくと、陽一は手で制した。
「やめろ、そんなことするな」
「だが…」
「驚いたけど俺は大丈夫だ。お前、鬼なんだろ」
陽一がじろりと見つめる。
晶は、すぐにでもこの場を離れたかった。
これまでは鬼と呼ばれても平気だったのに、陽一に言われると辛かった。
「鬼なのに、姫と呼ばれているのはなぜなんだ」
「陽一」
俊介が怖い顔で近づく。
「それ以上、申してみろ、俺がお前の首を切ってやる」
「よせ、俊介」
晶が遮った。
「陽一、我が怖くないのか?」
「鬼は怖い。けれど、晶は怖くない」
陽一が握りこぶしをした。
「よく分からないけど、記憶を消すのはやめろ。俺はまだ、うぐいす姫のことをもっと知りたいんだ」
晶は、悲しそうにそっと俯いた。
晶の傷ついた手首から血が滴っていた。
陽一がはっとして手を伸ばしたが、すぐに引っ込めた。
「俺が触ると、お前にケガをさせてしまうんだよな」
「我が吸い込んだのは穢れのみ、陽一の中に入り込んだモノまでは取り出せぬ」
晶がゆるゆると首を振った。
「心配するな。こんなケガはすぐに治せる」
「え…?」
陽一が怪訝な顔で晶を見る。
「お前、何者?」
「我はうぐいす姫じゃ」
晶がにこっと笑うと、崩れ落ちるように膝が折れた。
「姫さまっ」
俊介がすぐさま抱きかかえた。
「瑠稚婀を呼べ」
晶は、俊介に命じると目を閉じた。




