Lesson9
マナとスマラグダが医務室に駆けこむ少し前、プロクスとファキアは聖人に関して話を続けていた。
「そもそもさ、あんたはどうやってスマラグダが聖人だって気付いたの?」
「ああ、本人から直接聞いたこともあるけど……その前に癒しの力を
間近で感じてから、あいつは聖人なんだって気付かせてくれたんだよ」
「そっか、あんたの話だと“二度”も死にそうな目にあってるもんね」
プロクスはファキアからそう聞いて驚愕する。
「ん……待てお前……なんで俺が“二度”も大怪我したって
知ってるんだ!?」
「……それでさ、プロクス」
プロクスの疑問を無視して、眉間にしわを寄せてぴくぴくと震えるファキアは、その顔を彼に向けていた。
「な、なんだよ……?」
「一発……ぶん殴らせろ!!!」
「痛ったあああ!!!」
ゴチンと彼の脳天を強く拳でぶん殴った音と叫び声が廊下まで響き、医務室にとんでもない勢いでマナとスマラグダの二人が駆け込んでくる。
「何事ですかー!」
「だ、大丈夫ですか……!」
「あっ、しまったつい……」
ファキアは血相を変えて入ってきた二人を見て、カッとなった勢いでプロクスをぶん殴ってしまった事を後悔した。
「プ、プロクスさんの頭に……大きなコブができてますね……」
「うわー、痛そうですねー」
だがファキアに殴られたことが分かった時点で、もう二人の中に警戒心など一切なく、またいつものように酷い事でもしたのだろうとでもいう風に疑惑の表情をしていた。
「ごめんね二人とも、余計な心配掛けちゃってさ!」
「いえいえいいですー! てっきりまた、プロクス君がファキアさんに失礼なことを
してしまったのかもと勘違いしちゃいましたー!」
「私も……先生と同意見です……ファキアに毒牙が向けられなくて……
本当に良かったです……」
あまりにも不当に扱われ、プロクスは非常にしょんぼりとしながら肩を落としてしまう。
「ひ……ひどい! 俺……スマラグダ以外に手を出したことないのに……」
「そ、それだよそれ! おいプロクス!」
ファキアはまた激怒しながら、プロクスの襟首を掴んで持ち上げた。
「ひ、ひいっ……」
「ひいじゃない! あんた、あたしに黙ってスマラグダに手を出したんだってね……
それを今、ここで償って貰おうと思ってたんだよ!」
「おおーっ、修羅場ですねー!」
「せ、先生……そんなこと言ってないでファキアを……止めてあげてください……っ」
心底楽しそうにケラケラと笑うマナとは対照的に、スマラグダはアワアワと慌てふためいてしまう。
「いいえー、そこはキミが止めてあげる場面でしょー?」
「で……ですが私……ひゃっ!」
とつぜんマナから背中をバシッと叩かれて、スマラグダは妙な声をあげた。
「ほらーっ、キミとプロクス君二人の仲直りも兼ねてるんですから
勇気を出しなさーい!」
「は……はい!」
スマラグダはマナに背中を押されたことで勇気を出し、プロクスの側に近寄る。
「ファ……ファキア! もういいから……」
「良くないわ! あんたがこいつを殺したくなるぐらい怒ってたんだから、
痛い目を見るのは当たり前なのよ!」
「い、痛っ!」
ファキアからバチバチと頭をどつかれる度、プロクスは痛そうな声を何度も漏らしてしまう。
それからスマラグダは首を左右に振ると、ファキアに事の真相を語り始める。
「私最初から……プロクスさんに辱められたこと……
気にしてなかったから……」
「あ、あんた何言って……」
スマラグダはあまりの恥ずかしさに全身をふるふると震わせながらも続けた。
「い、いえ……本当は私……嬉しかった……大好きなプロクスさんに……
触れてもらえたから……!」
「い、意味が分からない……そんなのデタラメよね……スマラグダ!?」
スマラグダの両肩を力強く掴んで、ファキアは彼女の体を何度も揺らす。
「ち……違うの! デタラメでもなんでも……ない! 私は……
プロクス君の事が好き! もう……それだけは変えられないの……!」
「じゃ……じゃああたしは……あたしはこれから先、あなたなしで
いったいどうやって毎日を過ごせばいいってのよ!!」
ファキアは強く叫びながら、自分の思いの丈をスマラグダにぶつけていた。
「そんなの……私には分からないよ……」
「そんな……!」
スマラグダに答えをはぐらかされたファキアは、そのまま床に這いつくばって泣き叫んだ。
「いやよそんなの……! あたし……あんた以外に友達なんてできやしない……
できやしないんだから……うわああああーん!」
とつぜん人が変わったように泣き叫ぶファキアを見て、プロクスは困惑する。
「な、なあ先生……どうしてファキアは一人で泣いているんだ……?」
「ファキアさんは……スマラグダさんに依存し過ぎていたのですね……」
泣き叫ぶファキアを見て、マナもまた辛い気持ちを抱いてしまう。
「依存――ですか?」
「ええ……あまりお二人の事に詳しくありませんので
多くは語れませんが……きっとファキアさんは優しすぎる
スマラグダさんに甘えていたのですよ……」
「えっ、それって逆の様な気が……」
マナは左右に首を振って、プロクスに続ける。
「一見そう見えますが、実はファキアさんの方が
天涯孤独だったのですよ……ほら、
教室でのあの子の姿を思い浮かべてみてください」
マナに言われるがままに、プロクスは教室でのファキアの様子を思い浮かべた。
「……そうか、言われてみればあいつはスマラグダ以外の奴らとは
全然会話してないし、ぶっきらぼうに避けてた感じだったな……」
「そうでしょう? ……いい機会ですから、ここはファキアさんの孤独癖を
スマラグダさんに治してあげて貰いましょう」
「えっ、俺達放っておいていいのか?」
「ほらっ、わたし達がいたら親友同士腹を割って話せないでしょー!」
「あ、ちょっと先生!」
マナは無理やりプロクスをベッドから立たせると腕を引っ張り、医務室出入口の扉まで彼を導いた。
それからプロクスと共に廊下へ出ると、ひょいっと顔だけ医務室に入れて絶えない笑顔を二人に向けた。
「それじゃ二人ともー! ちゃんとお話が済みましたら戸締りするんですよー!
わたし教官室で待ってますからねー!」
それだけ伝えるとマナは顔を引っ込めて扉をガチャリと閉め、医務室から姿を消した。
○
二人医務室へ残されたスマラグダとファキアは、お互いに背中を向け合って気まずそうに沈黙を続ける。
ファキアは目を腫らしながらムスッとしていたし、スマラグダは何を話せばいいのか分からずに、とにかく俯いている事しかできなかった。
「昔さ……こんな風にあんたと言い合いになって
ケンカした事あったよね……憶えてる?」
「……うん……一度だって忘れた事……無かった……」
少し間を置いて帰ってきたスマラグダのその言葉に、ファキアは少し微笑んでしまう。
「あはは……あたしさ、あの時すっごく後悔してさ……
家に帰ってすっごい泣き喚いちゃったんだ」
「そう……なんだ」
「今更語るのも恥ずかしいけどさ……あたし、もう二度とスマラグダと仲直り
できないんじゃないかって思ったら……ホント苦しくてさ」
「……うん」
「それでも次の日……あんたはすごく申し訳なさそうに謝ってくれた。
“昨日はごめんなさい!”って、本当真っ直ぐに……」
「そんなことも……あったね……」
そのころの光景を思い浮かべたスマラグダは、照れ臭さのあまりに顔を真っ赤に染めてしまう。
「でも、それがあたしにとってはいけなかったのかな……」
「どういう……こと?」
「うん……だってあの時あたし、
逆にあんたに嫉妬しちゃったんだもん……」
「そ、そうだったの……ごめんなさい……」
「あっ、もちろん悪いのは一方的にあたしだから、
あんたは何も気にする必要なんてないからね!」
ファキアはこれ以上スマラグダに謝らせまいと、必死に彼女を弁明する。
「うん……」
「あの時……“あたしはあんなにあんたとの仲を心配して何も言えなかったのに、
それをあんたは簡単に言うなんて!”……って感じでね」
「そう……だからファキアはあの時から……
少しだけ私に対して冷たくなってたんだね……」
「し、知ってたの?」
その事だけは気付かれていないと思っていたファキアは、一人驚いてスマラグダの背中に顔を向けた。
「うん……それで何時しか私も……だんだんあなたの事が分からなく
なってきちゃったから……いろいろと意地悪なこと……
考えちゃったもの……」
「そ、そうだったっけー?」
スマラグダから特に何もされてない気がしたファキアは思わず首を傾げてしまう。
「もう七年も前だけど……私がこっそりあなたのお家で……
ファキアの分のパウンドケーキも食べちゃったこと……憶えてない……?」
「えーっと……ごめん、憶えてないや!」
「……やっぱりね」
「えっ?」
「だってあなた……自分で食べてしまったと勘違いして……
楽しそうに笑っていたもの……」
「あっ!? それ思い出したかも!」
当時の事を思い出したファキアは自分のおでこをパチンと叩く。
「あたしバカだー! そっか、あれスマラグダが食べてたんだー、そりゃお腹すくよねー!」
「……思い出してくれた?」
「うん!」
「ファキアが私に対して全然怒る事無かったから……
あの時……とっても後悔しちゃったんだよ……?」
「えっ、そうだったの!?」
あまりにも軽く返事を返したファキアにむっとしたスマラグダは、思わず彼女に顔を向ける。
「そうだったの……じゃないよ……! 一人罪悪感に駆られて私……
一晩泣き明かしたんだから……!」
あの頃の切ない罪悪感を思い出したスマラグダは悔しそうな顔をして、思わずぽろぽろと涙を流してしまう。
「えーっ! お、お菓子一つ盗み食いしただけでー!?」
「う……うるさいもん……あなただって一方的なぐらい
私にガンガン悪口言って……
あげくに一人で勝手に後悔して悲しんで泣いて……!」
「んなっ! ケーキ一つで泣くよりも、悪口言って後悔して泣く方が
ぜっんぜん女の子らしいじゃん!」
「そ……そんなことないもん……! ケーキだって女の子にとっては大切な……
一つの癒しだもん……!」
「バカ……この怪力!」
「う……うるさいもん! 一人……ヒステリー!」
すっかりとあの頃の様に子供じみた喧嘩を二人はおっ始めてしまう。
「だいたいあんた、一人でウジウジし過ぎなんだよ!」
「そういうファキアだって……わざとみんなにぶっきらぼうな態度を取って……
そんなだから友達ができないんだもん……!」
「もんもんうるさいよ! あんたその癖治さないとダメっていつも言ってるでしょうが!」
「あ、あなただって……いつまでも私が大人しくしてるわけじゃ……ないんだもん!」
あーだこーだ、べちゃくちゃと二人はしばらくの間ヒートアップを続けていた。
そんなこんなで三十分も時が経てば、二人はすっかりと疲労しきってしまう。
「はあ……はあ……!」
「ふう……ふう……!」
少し呼吸を整えてから、二人は再びまともな話し合いを始める。
「スマラグダ……あんたあたしにもう……言いたい事はないの……?」
「そういう……ファキアこそ……ないの……?」
「ふうー……ないわ!」
「はあ……私もないもん!」
最後に強くそう叫び合った二人は、じょじょに強張った顔を綻ばせていく。
「――あはは」
「――えへへ」
「あっはっはっはっははははーっ、あーやばいー!」
「えへへへへへ……っ、ほんとにおかしいね……!」
いつしか二人は大いに笑い合い、お互いに爽快な気分を味わっていた。
「ふうーっ……ねえスマラグダ!」
「うん……なあにファキア?」
「あんたさ、今幸せ?」
「もちろん! だって……私がここまで強くなれたのは、ファキアのおかげだもん!」
「そっか……! じゃあもう、あんたにあたしは必要ないわけだ!」
スマラグダのその爽快な笑顔を前に、ファキアは吹っ切れていた。
「ううん、そんなことないもん!」
「な、なんで?」
「だってファキアはいつまで経っても……私の大切な親友なんだもん!」
「でもあたし……あんたの好きなプロクスにあんなこと……」
「それとこれとは話が別だもん……第一、プロクス君にもひどいところがあるわけだし!」
「そっか……そうだよな!」
「えへっ、その代わりファキアも……もっとたくさんの人と仲良くしよ、
教室のみんなはすごく愉快で……優しいんだもん!」
「……分かったよスマラグダ! あんたのその意思、あたしゃ無駄にはしないよ!」
「えへ……ありがとうファキア!」
「お互いにね!」
すっかりとお互いの凍り付いた心を溶かしあった二人は、医務室のカギを締めると教官室へと移動した。
夜の静けさも吹き飛ばす程の笑い声を廊下で上げながら。
○
教官室に入るため和気藹々とドアを開けたその先に二人を待ち構えていたのは、仁王立ちでぷんすかと頬を膨らませて怒るマナであった。
「コラーっ、別に医務室でワイワイ騒ぐまではわたし目を瞑りますけど、
廊下でわあわあ騒いではダメでしょーっ!」
「ごめん先生!」
「ごめんなさい先生!」
「罰としてあなた達二人には明日、授業が全部終わった後に第四教室の
掃除をして貰いますからねー!」
「えーっ!」
「そんな……ひどいです!」
それからも散々マナに叱られてしょんぼりしながらも、二人は肩を並べて仲良く女生徒用の宿舎へと歩いていった。
○
「……ふう、プロクス君もう出てきていいですよー」
そう言われてプロクスは申し訳なさそうにマナの机の下から出てくる。
「先生、何もあそこまで叱らなくても……」
「ふふっ、これでいいのですよー」
「本当ですか?」
「だって、あなたも見てたでしょうー。
あそこまで息の揃った元気満々な二人をっ!」
「……そうでしたね、
あんなに笑顔の絶えないスマラグダは初めて見たかもしれません」
「あらっ、スマラグダさんのこと、
好きになってしまいましたかー?」
ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべたマナの顔を見て、頬を少し染めたプロクスは目を逸らしてしまう。
「い、いや……それとは別に……」
「じゃあ、わたしの方が好きですかー?」
「そ、それは……」
どちらかを選べずに困り果てたプロクスを見て、マナは楽しそうに満面の笑顔を作ってしまう。
「えへへー、冗談ですよプロクスくーん!」
「あっ……ひ、ひどいな先生……俺の事からかったりして!」
「ごめんねー、プロクス君があんまりにも可愛いものですから、
おもわずわたし先生を卒業しちゃいそうですー!」
「ほ、本当にもう……」
「それじゃあプロクス君、もう夜分遅いなんて次元ではないですから
もう宿舎へ戻りなさい?」
「あっ、分かりました先生……今日はたくさん教えて頂き、
大変ありがとうございました!」
「んまっ――プロクス君が礼儀正しい……っ!」
「そ、そこ驚くところですか!?」
「冗談ですよー! では、さようならー」
「まったくもう……おやすみ先生!」
プロクスは腹立ちながら、ズカズカと教官室を出ていった。
○
一人教官室に残ったマナは、寂しそうな顔のまま大きな溜息を吐く。
「はあ……っ! わたしもあと七百年ぐらい若ければ遠慮なく強きな恋が
できるのに……神様は本当に罪造りなお方ですー……」
――ある意味ではこの世は地獄ですよー!
マナはそう思いながら今日の甘酸っぱい出来事を胸の奥にしまい込み、昼間に残った仕事用の書類整理を渋々やり始めた。




