Lesson3
○
「さて、0092年に第二次世界大戦が勃発しましたが、それは何年続いたでしょうか?」
「ええと、十年……でしたよね確か」
「その通りです、よく覚えてましたねー」
「あはは、それはいつも歴史の授業を教えてくれる先生のおかげです」
「もうっ、わたしをそんなにベタ褒めしないでくださいーっ!」
マナはそう言うが、両頬に手を当てながら嬉しそうにぶんぶん顔を左右に振っていた。
「あははっ……」
「コホンっ!ええそれでは、ここでちょっと難しい問題なんですけどー……戦争が終結する一週間前、当時の国王であるアブソルト九世がイドリベルタと平和協定を結ぼうと使者を送ったのですが、その方の名前を述べてくださーい」
プロクスは必死に使者の名前を考えたが、それでもどうしても出てこなかった。
「……ごめん先生、難しくて分からないや……」
「あわわー……べ、別にそこまで落ち込まなくてもいいのですよー! あくまでこれは、キミに知らないことを教える授業なのですからー!」
答えられずにとても申し訳なさそうにしているプロクスを見て、マナは慌てて彼を慰めた。
「それでも俺、先生がこんなに一生懸命してくれてるのにさ……」
「はあ……いいですかプロクス君、これでキミも分かったと思うけれど、先生はいつでも一生懸命なのですー」
「はい、それは本当に思います」
「ではですねー、こんなに惨めな思いをしたくなかったら……先生をあっと言わせる程に勉強しなさーい! いいですねー?」
「はいっ、俺これからも頑張ります!」
プロクスの一点の曇りもない真っ直ぐな瞳を見て、マナは穏やかな表情になる。
「ふふ……っ、それでは授業を進めますがー……使者の名をアルボス・ルーネと言うのですー」
「ルーネって……先生と同じ名前なんですね?」
「えへへ……本当にキミはいい所に目を付けますねー」
「まさか……先生のご先祖様ですか!?」
「いいえー、違いますよ?」
「な、なんだ……ビックリした」
――てっきり身内の不幸だとふと思ったけど……あはは、まさかそんなわけないよなあ……!
そう思ってプロクスが安堵していると、マナは冷静に話を続ける。
「わたしのお父さんですよー」
「……はっ!? ちょ、そんなバカな……」
――いや待て……先生はハーフエルフだ。確かにそれだけ生きててもおかしくはない……けど、それはあまりにも……だけど……まさかだろう……!?
頭の中をそうやってぐるぐると回転させて、プロクスは混乱した。
「あらあらー、プロクス君たら混乱してますねー」
それでもいつも通りに授業を続けるマナに、プロクスは尚更混乱させられる。
「せ、先生……俺頭痛くなってきたんですけど……」
「あららー、ちょっと休憩をとりましょうかー?」
「そ、そうじゃなくてですね……どうして……先生はそんな平気に……自分の父親が殺されたことを語ることができるんですか……?」
「うーん……言ってみれば、もうかれこれ七百年も前の話ですしー……父の顔なんて当時の写真すら残ってませんから覚えてませんからねー……。つまりはもう、わたしは痛くも痒くも感じないんですよねーっ!」
「嘘を吐かないでくれよ……先生……」
「嘘なんて吐いて……」
「じゃあなんで先生……両方の目で涙なんか流してるんだよ……」
プロクスに言われて初めてマナは、自分が涙を流していることに気付いた。
「あれー……おかしいですねー……いつもは授業をしながら泣いた事なんて……一度もないんですけどー……」
プロクスは傷付いた体を無理やり起こして、マナのすぐ目の前へとやってくる。
「先生……ごめん!」
「えっ……ちょ、ちょっとプロクス君っ!?」
突然抱きしめられて驚いていたマナの顔を、プロクスは自分の胸に押し付けるように抱きしめた。
「あ痛たたた……! 俺なんかじゃ……あんま先生の心は癒せそうにないけどさ……とにかく今は、俺を親かなんかだと思って、思い切り泣いてくれよな……」
「あ……ああ……ううう……っ」
どんどんとマナの涙腺が崩壊していき、仕舞いには顔をくしゃくしゃにしながら思い切り泣き出してしまう。
「うわああああんっ! お父さん……お父さあああああん! マナは……マナはお父さんの顔も思い出せない最低な人間です……ごめんなさい……ごめんなさーいっ!」
マナはプロクスの温もりから、七百年も前に顔を忘れてしまった父――アルボスの面影を感じていた。
「いいんだ……その時お前は幼かったんだから気に病むことなんてない……先生の……マナのお父さんならそう言うだろう?」
「うん……うん……! お父さんは……マナのことを赦してくれますよね……!?」
「“当り前だろ……むしろお前は今までよくぞ泣かずに耐えて、七百年もの年月を巡って俺の名前を伝えてくれた……それは逆にすごい事だと思うぞ……俺の大事な一人娘……マナよ”」
とつぜんマナの体に異質の魔素を感じた事で、今目の前で彼女を抱いているプロクスが、プロクスの意識では無いということに感付いた。
「えっ……いま本当に……お父さんの声が……聞こえた……? ねえ聞こえるっ、マナの声が聞こえるの!? お父さん!!?」
必死なマナから襟を掴まれて前後に揺らされたプロクスは、ハッと我に返る。
○
「……うおっ!? ……な、なんだいったい……?」
「あ……いつものプロクス君に戻っちゃった……」
「うわあっ!?」
マナを抱き締めていることに驚いたプロクスは、思わず彼女の体からぴょんと後ろに跳ねて遠のいてしまう。
「せ、先生! な、なんか俺記憶が無かったんですけどお……も、もももしかして俺、先生に何か……ま、まままずい事でもしちゃいましたか!?」
「えっ……わたしを抱き締めた事……覚えてないのですか……?」
無意識にマナに抱き付いてしまったんだと勘違いしたプロクスは、その場で地面に伏せて、何度も彼女に頭を下げ続けた。
「ご、ごめんなさい先生無意識に抱き付いたりして! 俺、別に先生にいやらしい事しようとか思ったわけじゃないんですー!」
「あっ……ちょ、ちょっとプロクス君っ! べ、別に先生は何も怒ってませんから頭をあげてくださいー!」
プロクスはマナに言われるままさっと立ち上がる。
「それにしても……いつの間にか俺の体の傷が癒えてるんですけど……」
「あらら、すごい治癒力ですねー!」
「えっ、そういう事でいいんですか……この治り方」
「そうですよー、流石魔と妖の血を引いてるだけありますねー」
「えっ、何のことですか先生?」
「な、なんでもありません! ささ、早く次の暦に進みますから授業に集中しましょー!」
マナはハッとして、自分の言ってしまった事を濁す。
「あ、はい……」
ひとまずプロクスは自分の事を忘れ、頭を切り替えて授業を聞くモードへと移った。
○
「えーそれでは、次の暦ですがー……0104年に戦争は終結し、イドリベルタはアブソルトジャスティアに吸収されました」
「ほおー」
「それからイドリベルタは、とある研究機関へなってしまったのですが、プロクス君は知ってますかー?」
「さっぱりです、むしろそんな所ありましたっけ?」
「それはそうですよねー。何せ未だに表には出ない秘密の多い機関なのですからー……ごめんねー」
「せ、先生……?」
マナは辺りを警戒して、誰もいないのを確認してからプロクスの耳元に顔を近付ける。
「これはキミにしか教えませんのでよく聞いておいてください……」
「は、はい……」
マナがぼそぼそと喋る度に、プロクスの背筋がゾクゾクしてしまう。
「そこにはわたし達魔術団の一部門である禁忌魔術部門という研究機関があるのです……」
「き、禁忌魔術……?」
「はい……実はわたし、かれこれ三百年も前の話ですが、そこで初代魔王リビティーナメレンティウムを封印するための研究を続けてたのです……」
「あ、ああ……」
「しかしですね……その魔王を封印するために禁忌魔術を使うのには、とんでもない欠陥があると分かり、一緒に研究をしている魔術師さん達に申し出をしたうえで先導者に話を通したのですよ」
「い、一体どんな欠陥があったんですか?」
「ええ……“魔王の力を弱体化することができても封印をすること自体は不可能である”と……」
「そ、そうなんですか……ですけど先生、魔王の力を弱体化する事自体は悪くないのでは……」
「説明が足りなかったですね……ですが力を弱体化すると言うことは、それだけデメリットもあるのですよ……」
「どういう事です?」
「……力を弱体化する……すなわち魔王の力の源である、住人全員の負の感情をこの世界全体に拡散するという事……」
そこまで聞いて、プロクスは魔物の存在を想起する。
「つ……つまりそれって……!?」
「そう……うすうすプロクス君も気付いてると思うけど、世界中に魔物が出現しだす可能性を秘めていたわけです……」
「ま、まさか先生はその禁忌魔術を永久に封印してしまおうと……?」
「そうなのです……。ですが、わたしの師でもあって禁忌魔術部門の先導者でもあるメトゥス・ドルミートは、意見を一蹴した後にわたしを魔術部門へ更迭し、残った弟子と共に禁忌魔術を行使したわけなのです……」
「わたしの師って……先生の先生だったのか……?」
「少し違いますけど大体そんなところです……今は破門されましたが……」
「そんな……」
「結局のところ……メトゥス師匠は反抗する弟子の意見なんてどうでも良かったんですよね……」
マナの声が震えてきている事に気付いたプロクスは、彼女の心配をした。
「先生……」
一通り禁忌魔術に関する話題を話したマナは、プロクスから離れて元の位置に戻り、精いっぱいの笑顔を彼に見せつける。
「……というわけですので、プロクス君はわたしの様なはねっかえり人間にはならないでくださいねー! でないと、自分の地位を失い兼ねませんですよー!」
「あはは……」
――冗談きついよ先生……! そんなこと言われたら俺、ますます自分を貫き通したくなっちゃうじゃないか……!
思わず乾いた笑いを上げたプロクスもまたそう思い、誰に何と言われようとも自分の意志を貫き通す決心をしていた。
「さて、それでは次の暦ですが……0209年、この年から各地で魔素が急激に減少し、各地では作物も育たないし、次第に水や空気も汚れてきました」
「つまり飢饉の訪れでしょうか、先生……」
「その通りです……各村では飢饉で苦しむ村人が後を絶たず、それだけ王国に対する不満や鬱憤が溜まってくるわけです」
「大変ですね……」
「そう、本当にこれは難しい問題です。何せ、どこに行っても充分な食糧が無いのですから……」
「そう考えると俺達は恵まれてるんですね……」
「その通りですよー、ですから今の環境を大事にしましょうねー!」
「はい先生!」
マナは一度咳払いをして、授業を進める。
「それでは先に進みますが……村人達の不満が溜まって百年程経ったその時です。各村では食糧確保のために賛同者を募り、食糧や物資を運んでいる町や王国の商人達を粗方襲撃しては奪ってしまう事件が多発したのです」
「お、恐ろしいな……」
「ええ、もはや野盗そのものですね。それで……命からがらでアブソルトジャスティアへと逃げ切った商人が国王の元で全てを話したことがきっかけに、全てが一転しました」
「ど、どうなったんだ?」
「まず国王は全ての村へ兵士を送り込み、首謀者が誰であるのかを総当たりしました。中には冤罪で処刑されてしまった方も少なからずいると聞いてます」
「やっぱりな」
「ええ、その時の光景は酷かったものですよ……王国の広場に連れられた商人を襲撃した村人達は丸太に縄で巻き付かれて固定され、燃やして殺されたそうです」
「うわ……えぐいことするな」
その状況を想像したプロクスは、気分が悪くなってしまう。
「ですが国民達はその状況を、奇声を上げながら楽しんでたんです。この裏切り者とか、神の裁きを受けよとか、我々の食い扶持を奪う不貞な輩とか……それはもう大量の叫び声が……」
「うーん……どっちも飢えてるから辛いのは変わらないんだな……」
「そう、そこですね大変なのはー。しかし、焼かれる方の声もすごかったらしく……それはもう、この世に対する完全な殺意ですよね……負の感情も最高潮に高まってましたし……」
「それじゃ、もしかしてこの先って……」
「ええ、ではプロクス君の思ってることが合ってるどうか、次の暦を確認してみましょうねー!」
○
マナは古い書物を三回捲ると、そこに書いてあった文字を読み始める。
「0412年、遂に地上で初めて魔物が発見されたみたいですー」
「そんな前から、あの化け物どもはいたのか……」
「ええ、ですがそれもあくまでこの暦を刻んだ方がそう言っているだけですのでー……もしかしたらそれ以前から存在する可能性も高いですよー」
「なるほど、それでその魔物は強かったんですか?」
「さあ、それまでは流石の先生でも分かりませんねー」
「へえー」
「まあこの暦はこれ以上突っ込む所もありませんし、次の暦に行きましょー」
○
再びマナは古い書物を1回捲り、そこに目をさっと通す。
「さて……ここでとうとうプロクス君のご先祖さま、スペス・ゲントが誕生するのですが流石にわかりますよねー!」
「ええもちろんです」
「それでは、いつですかー?」
「507年!」
自信満々に、プロクスはそう叫んだ。
「正解でーす! 流石ですねプロクスくーん!」
「あはは、ご先祖様は俺の憧れる人物ですからねー」
「うんうん分かりますよー、スペス君はかっこいい人でしたからねー!」
「せ、先生はご先祖様とも知り合いなの!?」
――本当に顔が広いなあ!
そう思って、プロクスは驚愕していた。
「ええ、それはもう一年の付き合いでしたがなかなか親しく……」
「ちょ、ちょっと先生! くわしくご先祖様の事を教えてくださいよ!!」
「あわわっ、ちょ、ちょっと落ち着いてくださーい! それは次の機会にちゃんと教えてあげますからー!」
「絶対ですよ先生!」
「絶対に教えますから、少し落ち着いてくださいー!」
「はい先生!」
「ほっ……そもそもプロクス君は、セレネちゃんから話を聞いてないのですかー?」
「ああ、おばあちゃんからも聞いたけど笑って誤魔化されてばかりで、あまり教えてくれなかったんだ……」
「あっ……そっか……そういえばセレネちゃんはそうでした……」
突然ぼそぼそ言い始めるマナに、プロクスは首を傾げる。
「どうかしましたか先生?」
「なんでもありませよー。……では次の暦ですが」
「あっ、はい」
○
マナは続けてそのページに続けて目を通し、暦を読み上げる。
「0517年に初代魔王リビティーナメレンティウムが誕生し、世界を震撼させますー……はいここでプロクス君に問題ですが、二代目魔王と三代目魔王の名称は分かりますか?」
「ええと……二代目がコンテントゥプスムンディで……三代目がコギトエルゴスム……ですね!」
マナはそれを聞くと、ぱちぱちと拍手をしながら満面の笑顔をプロクスに向けた。
「大正解です! よくこんな長い名前を憶えてましたねー!」
「ええ、強そうな奴の名前は全員覚えてますからねー」
「あ、そ、そうでしたかー……あははーっ!」
――この子、変な覚え方してるんですねー……。
そう思いながらマナは苦い顔をしていた。
「コホン……では次に進みますがー……うん、これはプロクス君が興奮しそうな暦ですねーっ!」
「ま、まさかご先祖様ですか!?」
「ちょっとプロクス君、気が早いですよー! キミが落ち着かないと先生、話ができませーん!」
「あっ、ごめん先生……」
しゅんとしたプロクスはそのまま少しだけ俯き、大人しく話を聞いていた。
「えへへー、それでは大人しいプロクス君に免じて、スペス君物語を語りましょうかー!」
マナはポスンと音を立てながら書物を閉じて懐にしまうと、そのまま自分の口だけで語り始めた。




