Lesson2
訓練場の壁際に一人座り込んで身も心もボロボロになったプロクスは、あまりの自分自身の不甲斐なさに奥歯を思いきり食いしばってしまう。
「くそ……なんで俺……こんなに弱いんだよ……っ!」
「ふむーっ、それはプロクス君が真面目に先生の授業を聞かないからですよー」
真上の塀上からプロクスの顔を覗き込むマナは、そう言った。
「なんだ先生か……見てたのかよ……俺の格好悪いところ……」
「うん、ごめんねプロクスくーん。でも先生、ちょっとキミの軽はずみな行動は許せなかったなー」
スマラグダを嗾けたプロクスに対してマナは怒り、ぷんすかと頬を膨らませていた。
「……どうしても俺、今の自分の実力が知りたかったから……」
「それでもですね、あんな乙女心を傷付けるようなやり方なんか特にですー! 今後一切禁止ですからね!」
「本当に……ごめん……」
「その言葉は後でスマラグダさんにちゃんと言ってあげるのー!」
「は、はい……」
「ですが、それはいっぺん置いとくとしてー……自分の実力を知りたいのでしたら、まずはこのわたしに言ってください!」
マナは怒るのをやめ、塀の上で腰に両腕を添えて偉そうに胸を張る。ただし、彼女の着ている首から下を纏う緩い紺色のローブのせいか、はたまた元から小さいからなのか、その胸は目立たなかった。
「せ、先生が俺に……?」
――こんなに小さな先生がどうやって俺の実力を示してくれるんだ……?
そんな疑問をプロクスは抱き、思わず首を傾けてしまう。
「あら、キミは先生のことが信用できませんかー?」
「でも……先生は魔術師だし……」
「ほほう……それってつまりキミは魔術師のことをバカにしてるって、わたしはそう考えていいんですねー?」
魔術師のことを侮辱されたと勘違いしたマナは、思わず眉をひそめてしまう。
「い、いや……別にそんなわけじゃないけど……」
「そもそもプロクス君はわたしのことー、年上なのに何か敬ってない気がするんですよねー……」
「ええと……それも別に……」
マナと目を合わさないように俯いたプロクスにむすっとしたマナは、塀の上から彼の目の前へと跳躍して着地すると、そのまま俯く彼に向かってじとーっと睨む。
「よいしょっと――。こらーっ、どうしてわたしから目を逸らすんですかー!」
「あはは、なんとなく……うっ?」
プロクスが顔を上げると、鼻と鼻の頭が擦れそうになる程にマナの顔が彼の目と鼻の先へと近付いていた。
「ほらーっ、わたしの目をちゃーんと見なさーい!」
「いや……先生近いから!」
何故か赤くなるプロクスを見て、マナの表情は何故か綻んでしまう。
「あー……プロクス君ってばまさか、初心なのかなー?」
「は……!? ち、違うし……」
「あっ、またチラッと目を逸らした……あはっ、嘘を吐くのが下手ですねー」
あまりにも近すぎるマナの吐息がプロクスの頬をくすぐる度、彼の顔もだんだん赤く染まっていく。
「もういいだろ先生っ、離れてください!」
あまりのこそばゆさに耐えられなくなったプロクスは、マナの両肩を押して無理やり遠ざけてしまう。
「やーんっ」
「変な声出さないでくださいよ!」
「うふふっ、なんだかそんなプロクス君を見てると、昔のこと思い出しちゃうなーっ」
「昔のこと……?」
何の事か分からずに、プロクスは首を捻った。
「あら、プロクス君は歴史の勉強が得意では無かったんですー?」
「えっ……いや得意だけどさ……でもそれと先生は関係が……」
「いいえー、実はあるんですけどねー?」
「はい……?」
「プロクス君っ、まさかキミはわたしの姓名を知らないのー!?」
「そ、そんなことありませんよ先生! ええっと……」
悲しそうに目を潤すマナを前に、プロクスは慌てて考えた。
「ま……マナ……」
「そうそう、その調子ー!」
だが姓だけ全く出てこなかったプロクスは、頭をフル回転させてでも必死に思い出そうとする。
「……うーん、うーん!」
「な、なんで首を唸るんですー!?」
「あっ、思い出した!」
「おおっ、言ってみてー!」
「……マナ・ルーティス!」
姓を間違われたショックで、マナはぶわりと涙を吹き零してしまう。
「ち、違いますよちょっとー! というより、なんか違うの混じってますー!」
「あ、あれ……そうでしたっけー?」
「そうですよ! もう……本当に仕方のない生徒なんですからー!」
マナは涙を溜めながらも、プロクスの胸元をポカポカと両手で叩き始める。
「あ痛たたた!!! 痛う……ホント……ごめん先生……!」
「むうううう……!」
それからすっかり怒ってしまったマナは目を瞑って頬を膨らませ、プロクスの顔からぷいっとそっぽを向いてしまう。
――これは宥めるべきなのか……いや止めとこう。
思わずマナの頭を撫でようとしたプロクスであったが、寸前でそう思い返してやめた。
とにかくマナが落ち着くまでジッとプロクスは、彼女の姓を必死に思い出そうとする。
――うーん、マナ……ルーニア……ルーン……ルーナ……ルーネス……? ああそうだ思い出した。
やっとこさマナの姓を思い出したプロクスは、彼女の背後に回したで自分の左手のひらに、ポンと右拳を叩きつけた。
「先生、思い出しましたよ俺」
「……はい?」
プロクスの声に反応して、マナが顔を上げた。
「マナ・ルーメンですね――あだっ!」
「マナ・ルーネですー!!!」
涙目のマナは右拳を握ってプロクスの頭部をぽかりと殴りながら、自分の姓名を必死に叫んでいた。
「あ、あははー……」
「笑ってごまかないのー!」
「ごめんなさい先生……」
「はあ……やっぱりプロクス君には、正しい歴史の勉強を一から受け直させるべきですねー……」
「えー、めんどくさいんですが……」
その言葉を聞いて初めて、マナの手の平からポッと小さな炎が燃え上がる。
「プロクスくーん、わたしはこれでも先生ですからー……生徒が授業を放棄しようとする場合は教育をしなければダメなんですよねーっ」
マナの顔は満面の笑顔であったが、心は決して笑っていなかった。
「あっ……ええと……?」
「さあ、焼かれるか授業を受けるか……どちらがいいですかー?」
まったく笑顔を絶やさないマナの顔を見て、プロクスの額から大量の冷汗が溢れ出してくる。
「……授業を受けます」
その一言でマナはホッと一息吐き、彼女の手の平から炎は消え、その代わりに心の籠っていた笑顔を彼に向けた。
「ほっ……やっとプロクス君が言う事を聞いてくれてわたし嬉しいですーっ!」
「で、ではその前に特別授業の方をお願いしたいんですけど……」
「いいえー、今日は中止ですよプロクス君。実はキミ、いま相当な傷を負ってるんですからねー」
「あいっ!?」
マナが喋りながらプロクスの肋骨付近を優しく撫でると、彼の体に激痛が走る。
「ねー?」
「で、でも先生……さっき……俺の胸元ばんばん叩いてましたよね……」
「あれはちゃんと、ケガしてないところを叩いてましたからねっ! 大丈夫なんです!」
「ていうかあの時……俺めちゃくちゃ痛かったんですけど……?」
マナは笑った顔を引きつらせながら、プロクスから目を逸らした。
「さ、さあ……なんのことでしょうかねー?」
「怪しいなあ……」
マナは疑いの眼差しを向けるプロクスを無視して彼から離れて立ちあがり、彼の瞳をじーっと睨む。
「と、とにかくですよー、今から授業を始めますからー!」
「あっ、先生が逃げた」
「いいから始めるのー!」
「ちょ、ちょっと先生それじゃまるきり子供……」
「わたしは子供じゃありませんー!」
このままでは埒が明かないと思ったプロクスは、マナに口答えをするのはやめることにした。
「ごめん先生、俺どれだけ先生が真剣なのかよく分かりましたから、先生の歴史の授業を教えてください」
「あっ……分かればいいんですよーっ、それではそのまま壁際に座ったままでいいですので、真剣に聞いてくださいね」
「分かりました」
すっかりと気を取り直したマナは、懐に入れてあった古臭い書物を取り出してページをぱらぱらとめくりだした。
○
一通り書物に目を通したマナは、そのままぽすんと閉じて懐に再び納める。
「そうですねー……まずはざっと、真理を問われる時代――ウェーリタス歴の暦の確認をしましょうかー」
「お、お願いします……」
――うう……。こ、個人授業なんて無性に緊張するなあ。
プロクスは肩に力を入れながらそう思う。
「あらプロクス君、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよー」
「で、でもですね先生……」
緊張するプロクスを無視してマナは続ける。
「ほらほらー、まずは深呼吸をしてー」
「は、はい……」
プロクスはスゥーっと息を吸い込むと、大きくプハーっと息を吐いた。
「はいっ、では次は肩を思いきり上げてー」
マナに従うままに、プロクスは両肩を思いきり上げた。
「こ、こうですか……」
「そうそう、そうですよー。素直でいい子ですねー」
「あ、あはは……」
「はいしばらくそのままー……はい下げていいですよー!」
プロクスががくんと肩を下げると肩の力は抜け、不思議と気分も落ち着いてくる。
「あ……なんだか気が楽になった気がする」
「ふふっ、でしょー!」
マナはリラックスしたプロクスの顔を見て、嬉しそうに笑っていた。
「はい、本当にすごいですね」
「えへへっ! あとこれは戦闘時にも有効ですのでー、強敵が現れて緊張しちゃった時はひとまず実践してリラックスしてくださいねー」
「ありがとうございます先生」
「えへへーっ! それでは、キミとわたしだけの特別個人授業を始めまーすっ」
「お願いします」
再び書物を懐から取り出したマナは、とあるページを開くとそこで固定し、年号の確認のためにチラチラと目を向ける。
「それではプロクス君」
「はい」
「黄金の時代――オーラム歴の末期にはアブソルトジャスティアが建国されましたよね」
「その通りです」
「それでは、ウェーリタス歴0074年にアブソルトジャスティアは、どこと戦争を行っていましたか?」
「はい、イドリベルタ帝国ですね」
マナは、うんうんと嬉しそうに頷きながら授業を続ける。
「正解ですー♪ それでは、イドリベルタはどんな国なのか簡潔に述べてくださーい」
「ええと……アブソルトジャスティアを一方的に敵国扱いした悪い国……ですか?」
「ええその通りです。それでは、どうしてイドリベルタはアブソルトジャスティアを敵国として認識したのでしょうか?」
少し難しいマナの質問に、プロクスは頭をうーんと捻る。
「……わかりません」
「ふふっ、そこはもっと勉強して学ぶことですねー」
「すみません」
「コホンっ、では気を取り直して解説をー……そもそもイドリベルタは北方――つまりは極寒の大地に建国されたわけですね。それは分かりますかー?」
「あっ、はい。そうでしたね確か」
うろ覚えのプロクスは、適当に返事を返していた。
「ええそうです。では簡単に基礎的な社会のお勉強を一つ復習しますけど、凍える大地で農作物はどうなると思いますか、農家出身のプロクス君?」
「えっと……育たないですね、それは」
「そう、まず育ちません! ……まあ例外はあるかも知れないですが、それは置いておいてー……つまり、そうなると人々はどうなりますかー?」
「うーん……食べるのに困るかなあ?」
「その通りです! おまけに生命源の魔素も衰えますし、人々はお腹が空いていく一方なんです。もしもそうなれば、人はどうなると思いますか?」
「……イライラすると思う」
「その通りです! では、その市民のイライラはどこにぶつければいいんでしょうねー? ここはプロクス君が、イドリベルタ国民になったと思って考えてみよー!」
そこで、歴史の勉強を適当に解釈していたプロクスでも、流石に理解する。
「……そうか! アブソルトジャスティアを標的にすればいいんだね先生! そうすればイライラも解消できるし、あわよくば食糧なんかも奪えるし!」
「あははっ、なかなか過激なこと言いますけど大体プロクス君の言っている通りですねー! まっ……それ以前にもちょっと面倒な実態もあったわけですけどー……」
とつぜんボソボソと喋り出すマナを見て、プロクスは疑問を抱く。
「あれ、先生どうかしたんですか?」
「あっ……なんでもありませんよー。つまり、そういう理由でイドリベルタ帝国は一方的にアブソルトジャスティア王国に宣戦布告を申し出たわけです!」
「……へえー」
これは面白い話を聞いたとでも言う様に、プロクスは何度も頷いていた。
マナは慣れた手付きで書物を捲り、次のページを開いた。
「それでは、次の暦ですが……0078年にはどうなったと思います?」
「戦争の終結……ですか?」
マナは惜しいという顔をしながら首を左右に振る。
「惜しいです、あくまでも戦争の一時終結なんですよー」
「えっ、それはどうしてですか?」
「これは先生の予想ですからあまり大きくは言えませんけどー、おそらく軍事国家として成り立っているイドリベルタで、とうとう戦う兵士の為の食糧が底を付いたと思うんです」
「あ、なるほど。そうなれば、イドリベルタは降伏せざるを得なくなるわけですか」
「そーゆーことです。ですが、ここからがまたひどい話でですねー」
「なんでしょうか」
「えー、それでも十四年間――0092年までは偽りと言えど平和だったわけですよー」
「そうですね、でもなんだかそれもひどい話な気もしますけど」
「それは先生も同意見です……もっと早くあの国を滅ぼしておけば……」
突然、強張ったマナの声を聞いたプロクスは、何事かと思う。
「ど、どうしたんですか先生」
「あ……な、なんでもありませーんっ!」
それでもマナは笑顔を絶やさずに、次のページを捲る。
「本当ですか?」
「もちろんですよーっ、ほら早く今数えた暦の出来事を教えますよー!」
「あ……はい」
とにかくプロクスは歴史の授業に集中して、マナに耳を傾け続ける。
「0092年ですが、この時再度の戦争が勃発します。もちろん、イドリベルタ側が一方的にですよー?」
「またですか」
「そうなんです、しかも十四年間はアブソルトジャスティアから食糧等の支援を受けているにも関わらず……ですよ?」
「ほんと、ひどい国だな……」
恩を仇で返すイドリベルタのやり方に、プロクスは激しく憤る。
「堪りませんよね……まあそれも帝王の意向ですので、帝国民の方達も可哀相と言えばそうなのですが……」
「先生は優しいんですね、俺なら帝王のやり方に反発して革命を起こすと思いますよ」
「あははっ……! あなたのようにみんなが強い心を持ってるわけではありませんからねー。特に食糧の問題で力を付けたくても付けられない国民が、過半数を占めるなんて事情もありますから……」
「難しい話なんですね……俺もちょっと無責任に考え過ぎたかもしれません」
プロクスは自分の発言を後悔し、俯いてしまう。
「でもまあ、わたしとしましてはプロクス君のような元気があってよろしい男の子は大好きですけどねーっ!」
マナは優しい笑顔をプロクスに向けながら、彼の頭を撫でる。
「ちょっと先生、恥ずかしいって……」
「まあまあ、照れないのー!」
「うう……」
マナは恥ずかしがるプロクスの頭を撫でるのを止めると、懐に書物をしまい、その代わりに懐中時計を取り出してから文字盤の時間を確認する。
「少し話も長くなりましたので、一度休憩しましょうかー」
「はい」
それからマナは、プロクスの隣の壁際にひょいっと座り込んだ。
○
懐中時計を目の当たりにしたプロクスは、その綺麗さに思わず見惚れてしまう。
「先生その懐中時計すごく綺麗ですね」
「あはっ、プロクス君もいい所に目を付けましたねー!」
「え、そ、そうなんですか?」
「ええ、そうですよー。この懐中時計はリーベルタースのとある時計屋で買ったんですけどねー、ここのレリーフがとっても綺麗なんですー!」
マナは懐中時計の蓋に付いた薔薇のレリーフに人差し指をさして、楽しそうに語り出す。
「あとこの時計の盤がまたオシャレでですねー! 普通は純白の盤を利用するのですが、これがなんと薔薇のレリーフに合わせて仄かな赤色をしてるんですー! しかも針が可愛くうねってるんですよー!」
「あはは、本当に綺麗ですねー」
マナの趣味はプロクスにとっては理解できなかったけれど、とにかく先生が楽しそうで何よりと思い、適当に言葉を合わせた。
「そうでしょーっ! あ、そうだ! ここはひとつ、時間にルーズなプロクス君のためにこれをあげよー!」
マナは嬉々として、懐からシンプルな銀色の懐中時計を取り出し、プロクスの手の平を握り締めながらそこに乗せた。
「えっ、いいんですか先生?」
「予備だからいいですよー! その代わり、亡くしたりしたら承知しませんからねー!」
プロクスはもらった懐中時計の蓋を開けて、チッチッチッチッと音を刻む時計の針と文字盤を見て嬉しくなると、しばらくして閉じた。
「ありがとう先生……俺、一生大事にするよ!」
「あははっ! まあここから懐中時計好きの同士ができる事をわたしは期待してますからー!」
「あはは……それはちょっと約束できるか分からないけど……努力します」
「はいっ、わたしは本当に嬉しいですよー!」
「ふう……」
プロクスはまた懐中時計を開くと、チッチッチッチッと刻む音に夢中になりながら文字盤に注目する。
その姿を見たマナは、プロクスに笑顔を向ける。
「そうやって刻む音を聞きながら懐中時計を除いていると、すごく心が落ち着くでしょー?」
「ええ、本当に落ち着きますね」
「わたしも初めはそこからですねー、懐中時計に夢中になったのはー」
「そうなんですね」
「そうですよー。先生の時間はキミ達よりもずっと、ずーっと長いですからねー……その分、何か趣味を見つけて力を緩めないと気力が持たないのですよー」
物悲しい表情でマナは青空を眺めながら、たまに流れる白い雲をじっと目で追いかけていた。
「そういえば、最初に先生言ってましたね、自分はハーフエルフだって」
「そうですよー、人間と妖精族のハーフなんですー。だからかなー、この幼い姿が一向に成長しないのは……」
「うーん……そうとも限りませんけどね?」
「そうですか?」
「だって、アウクトル村の村長……俺のおばあちゃんもなんだけど、五百年以上生きるハーフエルフの筈なのに二十代ぐらいの若さを保ってるんですよ?」
「ああー、セレネちゃんはちょっと特殊だからー……」
自分の遠い続柄であるセレネの事をあたかも知っているかの様に語るマナにプロクスは目を丸くする。
「えっ! 先生、おばあちゃんと知り合いなの!?」
「えっ……逆にセレネちゃんからわたしの事は聞いてないのー?」
マナもまたプロクスが自分のことを知っているものだと勘違いし、目を丸くしてしまう。
「ぜ、全然聞いてません! むしろ、今聞いている歴史も事細かに教えられてませんし……」
「ああー、なるほどねー……セレネちゃんたら、随分と家族思いなんだからー……」
マナはセレネの事を一人呟きながら、ニヤニヤと微笑んでしまう。
「へえ、本当にそうだったんだ……」
「えへっ、そういうわけで先生はプロクス君から見たら、ものすごいお姉さんなんだよー!」
「本当……びっくりしましたよ。ハーフエルフって聞く前は、てっきり本当に十歳ぐらいの子供がずっと偉そうに授業をしてたんだと……痛っ!」
とくに悪気もなく本当の事を口にするプロクスの頭を、涙目になったマナがぽかりとぶん殴った。
「こらーっ! 先生に向かって子ども扱いは酷いですー!」
「ご、ごめん先生! だって先生があまりにも若々しくて……」
「そ、そうですかー……?」
若々しいという単語を聞いたマナの顔が少しだけ綻び、それを良しと思ったプロクスはどんどん彼女を煽てる作戦に出た。
「いやいや本当です、少なくとも俺には先生が十……六ぐらいには見えますねー!」
「ほおほおー……このわたしが十六歳ですかー……」
マナはどんどんと顔を綻ばせて、締まらない顔付きになってくる。
「ほんとほんと! いやあー、俺もいい年だから先生みたいな可愛い子と付き合いたいなー……」
――もちろん、冗談なんだけど。
そんな身も蓋もないことをプロクスは考えながらも適当にそう言った。
だがマナはそれを本気で捉え、顔全体を真っ赤に染めながら今にも泣きそうな顔で俯いていた。
「あ……あれ? 先生どうしたんですか?」
「あ……あのー……わたし……別に……プロクス君になら……攫われても……」
「はっ!? ちょ、ちょっと先生!?」
真っ赤に顔を染めてモジモジとするマナを前にして、プロクスはどうしていいか分からず慌てふためいてしまう。
――こ、これはまずい……先生は本気かもしれない……どうにかして本当のことを伝えないと、とんでもない事になりそうだぞ!?
そう考えたプロクスは、慌てて作戦を変更する。
「せ、先生!」
「はっ……はひっ!」
プロクスから真剣な眼差しを向けられながら呼ばれたマナは、思わず驚いて体をびくんとさせてしまう。
――うっ、くそ……なんて可愛い動きを……て、ダメだろ俺! 先生は俺の先生だろう!
そう思いながらプロクスは、心臓をドキドキさせてしまう。
「あ……で、でもですね! 先生には俺よりも相応しい男がいる筈……って、どうして今度は泣くんですか!?」
「ふええー……プロクス君に……ふられっちゃったよー……うわああーんっ!」
唐突に泣き出したマナを前にして、今度は別の意味で困り果てる。
「うう……俺はいったいどうしたらいいんだよー……」
「ああああーんっ!!!」
仕方なく彼はマナが泣き止むまでずっと、彼女に触れる事無く隣に座り続けた。
○
しばらくして泣き止んだマナが、目を真っ赤に腫らしながらもぐずり続ける。
「ぐす……ごめんねプロクス君……わたし、先生なのに勝手に盛り上がって勝手に泣いちゃって……えぐ……」
「えと、でもあれですよ先生。本当に先生は可愛いから、いい人なんていくらでも……」
「わたし……本当のわたしを見てくれる人以外とは付き合いたくありません……」
――ああそっか、先生は十歳程度の体から成長しないから、内面の先生……懐中時計の話を楽しそうに語るような先生なんて子供の戯れだと一蹴されて、誰もまともに見てはくれないのか。そう考えといつまで経っても成長しない先生の体は不便極まりないものなんだな。
プロクスはそう思いながら、申し訳なさそうに目を瞑った。
「……そうですか、では先生」
目を開いたプロクスは、真剣な眼差しをマナに向けた。
「……なんですかー?」
「俺……先生とは上辺だけでの付き合いはできませんけど……先生を一人の大人として、もっと真面目に……真剣に授業を受けますから!」
その言葉を聞いて、マナは目を覚ましたかのように首をふるふると何度も左右に振り、一発顔を両手でパチンと叩いて気合を入れ直した。
「せ、先生!?」
その気合を入れる行為に驚いたプロクスは、変な声を上げてしまう。
「ふう……そうでしたね! わたしは一人の恋する女の前に……大人の先生でしたね!」
「先生……!」
「ふふっ、目を覚ましてくれてありがとねープロクス君! それでは早速……授業の続きを始めますかねー!」
マナは壁際から立ち上がり、またプロクスの正面へと戻って古臭い書物を懐から取り出し、さっきまでのページを開いた。
「はいっ、お願いします!」
プロクスはマナから貰った懐中時計を大事にスエードベストのポケットの中に入れてから、真剣に授業に挑むため彼女に耳を傾けていた。




