第21話:ハイ・エルフ、怒涛の開会式に眩暈を覚える
「コケコッコーーーッ!!」
耳元で大音量の鶏の叫び声を浴びせられて、私は一発でベッドから跳ね起きた。
王都の宮殿近くにある専用厨房だというのに、こんな至近距離に養鶏場でもあるのか。……だけど、慌てて視線を泳がせると、鶏鳴の正体は枕元に置かれた最新の目覚まし時計の仕掛けだった。ああ、朝から心臓に悪い。
すぐに顔を洗い、モヒカンさんに整えてもらったブロンドの髪を綺麗に梳いてから、洗いたての真っ白な厨房服に袖を通す。すると、部屋のドアの隙間から、香ばしくも濃厚な、極上の焼き立て小麦の香りが漂ってきた。
そうだ。今日は大勝負の本番、建国記念祭の当日なのだ。さっさと下の専用厨房へと降りて、マルタさんとドリーを手伝わなければ。
バタバタと階段を駆け下りて厨房のドアを開けると、そこではドリーが大きな石臼にぐったりと寄りかかるようにして、完全に息絶えていた。
「……っ! ド、ドリーさん!?」
「死んじゃいないよ、安心しな」
私の内心の戦慄をミリ単位で読み取ったのか、奥の窯の前からマルタさんが絶妙なツッコミを入れてきた。
確かに恐る恐る近寄ってよく見てみれば、力尽きてはいるけれど、その胸は安らかに上下している。おそらく、私が二階でふかふかのベッドに溺れている間、一晩中丸太のような腕で小麦粉を挽き、二千個分のパン生地を捏ね続けた結果なのだろう。
調理台の上には、ドリーの執念の結晶たる、見事に捏ね上げられた美しいパン生地の巨大な塊が五つ、ツヤツヤと誇らしげに並んでいた。
「このまま少し休ませてやりな。本当なら二階のベッドに運んでやりたいところだけど、この巨体だしねぇ」
言いながら、マルタさんは生地をリズミカルにちぎって丸め、窯の皿へと次々に並べていた。彼女は徹夜の疲れもどこへやら、いつも通りのパワフルな肝っ玉女将ぶりだ。
「さあユウ、朝飯代わりにそこの『ツナマヨサンド』を試食しておくれ。あたしの見立てじゃ出来は満点だけどね、あんたのその鋭いエルフの舌の意見も聞いておきたいのさ」
マルタさんが小麦粉のついた手で指さした先には、休憩用のテーブルと椅子が置かれていた。そこに、私がパセリとカシューナッツを選び、ドリーが生地を捏ね、マルタさんが絶妙な火加減で焼き上げて仕上げた、出来立てのツナマヨサンドがちょこんと鎮座している。
「……いただきます」
私はゴクリと唾を飲み込み、神妙な面持ちでその大きめのサンドイッチを両手で掴み、思い切り齧り付いた。
──これは……っ!!!
あまりの美味しさに、私の長い耳がピンと上を向いた。
昨夜の試作段階で出されたツナマヨの小鉢よりも、水分を抑えるためにマヨネーズの量は少しだけ少なめに調整されている。けれど、隠し味として少々の塩が絶妙に混ぜ込まれていて、怪魚のツナの旨味に程よく絡み合っているのだ。
そして何より、内側に敷かれたシャキシャキとした新鮮なレタスが、ツナマヨの水分と油分がパンに染みるのを完璧に遮断している。そのおかげで、パセリの青々とした清涼感と、カシューナッツの優しい甘みが香る特製ブレッドの味が、具材と見事なまでの黄金の調和を完成させていた。
「美味しいです、これ……! パセリとカシューナッツを選んで、本当に大正解でした!」
「よおっし! 合格かい! それじゃユウ、それを食べ終わったら、どんどんパンに切れ目を入れてレタスとツナマヨを挟んでいっておくれ! あたしもガンガン追加を焼くからね!」
「はいっ!」
私は大急ぎで朝食を胃袋に収めると、包丁を握って焼き上がったパンに切れ目を入れ、レタスを敷いてツナマヨをたっぷりと挟み、それを透明な薄絹のような不思議な膜で手際よく包んでいった。
出来上がった傍から、マルタさんがツケの力で臨時に雇い入れたコボルトの作業員さんたちが、「えっほえっほ」「ブースに運び込まなくちゃ」と元気よく会場の特設ブースへと運んでいく。
そうして作業を続け、朝の八時の開会式直前。ようやくドリーがのっそりと起きだしてきた。
「うー……。変な姿勢で石臼に張り付いて寝てたから、全身の骨がバキバキに痛ぇ……」
「お疲れ様です、ドリーさん! 最高の生地でした!」
「ふん、当然だ。……さあ、売り子のお嬢ちゃん、そろそろ開会式の時間だぞ。マルタに少し見てこいって言われたから、会場の様子を拝みに行こうじゃないか」
まだ眠たそうに大きな手で頭をかくドリーを連れて、私たちは純白の厨房服のまま、お祭りのメインストリートへと向かった。
*
辿り着いた建国記念祭の開会式会場は、文字通り立錐の余地もないほどに混み合っていた。
見渡す限りの広場が、地平線の彼方まで多種族の頭で埋め尽くされている。一体どこからこれほどの人口が湧き出して来たのかと思うほどの大熱気だ。マルセーク全土から人が集まって来ているのではないだろうか。あまりの人の多さに、うすほそな私の体ではとても最前列の演壇近くまで行くことなどできそうにない。
……まあ、ここで私が『王室招待の特別ゲスト』として、貴族の方々が座るような貴賓席に丁重に連れて行かれちゃったりしたら、それこそ大不敬手刀の件もあって生きた心地がしないですし。貴賓だなんて柄じゃない、サイディーンの行き倒れエルフには、この人混みの端っこがちょうどいいのでしょう。
そんなネガティブな自虐をしながら、それでもなんとか前方の演壇を見ようと爪先立ちで背伸びをしていた、その時だった。
「おっと、尖り耳のお嬢ちゃん。前が見えないのかい?」
後ろから声をかけてくれたのは、ごついけれど非常に気の良さそうな、仕立ての良いポロシャツを着こなしたオーガのおっちゃんだった。おっちゃんは私の細い脇の下に大きな手を差し入れると、まるで仔猫でも持ち上げるかのように、私の体をひょいと自分の頑丈な肩の上へと肩車してくれたのだ。
「ひゃ、ひゃいっ!? あ、ありがとうございます!」
「ガハハ! 良いってことよ。このお祭りに来たのは初めてかい?」
「はい! こんなに人が集まっているのなんて、昨日見た王都の市場くらいで……ここはそれ以上ですね!」
「ああ、さすがにこれだけの人出があるのは、一年でもこの建国記念祭くらいなものさ。秋の収穫祭も兼ねているからな。お、静かに。始まるぞ!」
オーガさんの高い肩の上から前方を見渡すと、遥か彼方にある巨大な壇上に、豪華な礼服を着た司会らしき人物が登壇したのが見えた。
『只今より、第百五十四回開国記念祭の開会を宣言いたします!!』
演壇はあんなに遠いのに、不思議なことに、まるで私の耳元で直接囁かれているかのように、クリアな音質の大音量で司会者の声が降ってきた。
驚いて周囲の柱を見やると、何やら不思議な形をした金属製の大きなラッパのような物体が、高い円柱のあちこちに据え付けてあるのが見えた。どうやら、あれで演壇の魔導具が拾った声を街中に増幅して響かせる仕組みらしい。またしても、初代国王の『知恵』がもたらした恐るべき魔導機器の一つなのだろう。
感心していた、まさにその瞬間。
会場の外の遥か彼方から――ズドォォォォォンッ!!! と、落雷のような、お腹の底を激しく揺らすような大轟音が響き渡った。
「ひゃああっ!? 敵襲! 敵襲です、ロージナ帝国軍の空爆ですか!?」
私がオーガおっちゃんの頭を掴んで長い耳を伏せると、おっちゃんは「慌てなさんな、ただの祝砲だよ。それに空から爆弾を降らせるなんて、うちの軍くらいしか出来ないぞ」と豪快に笑った。えっ。出来るんだ、空爆。
祝砲。……大砲の存在自体は古い文献で知っていたけれど、それは国家の最高レベルの軍事機密の塊だったはずだ。そんな恐ろしい兵器を、お祭りの開会の合図のためだけに盛大にぶっ放すとは、この国の為政者の金銭感覚と平和ボケは思いのほか突き抜けている。
さらに、空の向こうからシュルシュルシュル……と、ちょっと間抜けな可愛い音がしたかと思ったら。
ドンッ! パチパチパチパチッ!!
昼間の青空に、赤や青、金色の眩い大輪の花がいくつも鮮やかに咲き誇った。これは流石に私でも知っている。子供の頃、寝物語で聞かされたことのある『花火』だ。夜に見たらさぞ綺麗だろうけれど、お祭りの熱気のなか、青空に咲く炎の術式の花もなかなかに乙なものである。
やがて、厳重な警戒線で仕切られて誰もいない中央のメインストリートを、パカパカと厳かな蹄の音を響かせてパレードの主役が進軍してきた。
先頭を進むのは、朝の光を浴びて目も眩むほどに煌びやかに輝く、白銀のフルプレートメイルに身を包み、見事な葦毛の馬に跨った若き騎士――。
……あっ!
私は思わず息を呑んだ。
兜の隙間から覗くその銀髪。間違いない。昨日、カジュアルな【我こそ王様】Tシャツを着てユナクロで軍手をはめていた、あのスチャラカな若旦那――現国王、ライル・マキシマム陛下その人だった。
陛下の後ろには、同じく白銀の胸甲をビシッと身に着けた近衛騎兵たちが、整然と隊列を組んでゆっくりと行進している。
……凄い。あの王様が、ちゃんと王様らしく威厳たっぷりに王様してる姿、初めて見ました……。
心の中で本日一回目の大不敬な感想を呟いてしまう。
近衛騎兵といっても、この国らしく出自を一切選ばないのだろう。様々な人種の人間に加え、ドワーフや獣人、さらには東の険しい竜の背山脈を越えた先にあるという、あのハーン王朝出身と思しき、立派な角と鱗を持つ龍種の上位種族・ドラゴニュートの重騎士までが隊列に加わっているのには驚かされた。一体どうやってあんな伝説の種族を軍にスカウトしたのだろうか。
騎兵隊が通り過ぎると、その次には、私たちの店の仕入れですっかりお馴染みになった、あの飛行魔獣の王・グリフォンが四頭、大きな翼を綺麗に閉じて、金色のきらびやかな国旗を背中に掲げながら、のしのしと威風堂々と歩いてきていた。
国を滅ぼすレベルの魔獣を常備軍の儀仗隊に組み込み、あまつさえ普段は特急宅配便のアルバイトとして利用しているマルセーク。その気になれば世界を武力で統一できるのでは……まぁ、あの陛下がそんな面倒な侵略を考えるとは到底思えないけれど。
そんなグリフォンの立派な毛並みに見とれているうちに、列の先端のライル陛下が正面の大演壇の前へと到着した。陛下は流れるような動作で馬から降り、大歓声の中を手を振りながら演壇へと登っていく。数万人の民衆の視線が、一斉に陛下へと集中した。
陛下は演壇の前に立つと、白銀の兜を脱いで傍らに置き、腰の聖剣をスラリと抜き放って、高く、高く天へと掲げた。
それだけで、あの騒がしかった広場が、水を打ったように静まり返る。
『――我が愛すべき臣民よ!!』
ラッパの魔導具を通じて、陛下の気高い声音が王都の空に響き渡った。
『建国の佳き日を言祝ぐべく、これほど多くの者が全土から集ってくれたこと、余は心より嬉しく思う。本日ばかりは種族や身分の隔てなく、皆でこの偉大なる宴を分かち合い、存分に歓楽を尽くすがよい!』
──おお……! ちゃんと、もの凄く王様らしく威厳をもって話せるんじゃないですか、ライル陛下!
オーガの肩の上で、私は本日二回目の大不敬な感心に胸を熱くしていた。……しかし、私がそう感動できたのは、本当にそこまでだった。
『――まぁ、堅苦しい話はここまでだッ!! 皆の衆、本日は完全なる無礼講だ! 細かいことは抜きにして、思い切りブワーッと派手に行こうではないか! 金のない奴ぁ俺んとこに来い! いくらでも奢ってやるからな!!』
『うおおおおおおおおーーーっ!!!』
『陛下ァァァーーーッ!!!』
……。
……。
私は突如として襲ってきた激しい頭痛に耐えかねて、片手でこめかみを押さえ、その場で眩暈を覚えていた。
一国の国王陛下の、国家最大の公式行事での演説が、そんな「金のない奴ぁは俺んとこに来い!」という無責任男のノリで本当にいいのだろうか!?
だけど、私のそんな常識的な戦慄を余所に、私を肩車してくれているオーガのおっちゃんも含めた周囲の数万人の民衆たちは、狂ったような大熱狂で「陛下! 陛下!」と拳を突き上げて叫んでいた。どうやらこの国の人たちは、このスチャラカだけど誰よりも親しみやすい王様のことが、心の底から大好きなのだ。
「ガハハハ! 最高だろ、うちの王様は! よし、開会式も終わったことだし、お嬢ちゃん、お互いお祭りの出店をたっぷり楽しもうじゃないか!」
「あ、はいっ! ありがとうございました!」
私は優しいオーガのおっちゃんの肩から降ろしてもらうと、隣で「相変わらず嵐みてえな王様だな……」と苦笑いしているドリーの厨房服の袖を引っ張った。
「ドリーさん、大変です! 陛下があんな無礼講の号令を出したせいで、これからお祭りの広場に飢えた多種族の群れが押し寄せてきます! 私たちも大急ぎで『ひだまりパン亭』のブースに戻って、二千個のパンで迎え撃つ準備をしましょう!」
「おう、そうだったな! 貴族どもの財布から毟り取る大勝負の始まりだ!」
こうして、王様のぶっ飛んだ大演説の余韻にクラクラと揺れながら、どんくさいハイ・エルフの、人生初となる大舞台『開国記念祭』のゲートが、ついに盛大に開かれるのだった。




