魔法を斬る剣
■1
辺境の修道院。
「ユラ院長ー! ただいま戻りました!」
少女の声が響いた。
修道院の奥から、一人の女性が姿を現す。
「おかえりなさい、ミレア」
ユラは、そこで足を止めた。
「……その方は?」
ミレアの後ろ。
荷車には、黒いマントの少年が横たわっていた。
「それが……」
ミレアは、聖水の谷で魔王軍に見つかったこと。
一本角の兵たちに囲まれたこと。
そして、この少年に助けられたことを説明した。
「二本角まで倒したのですか?」
「はい。でも、そのあと急に倒れてしまって……」
ユラは少年のそばへ寄り、脈を取る。
「命に別状はなさそうです」
黒いマントの隙間から、傷だらけの身体が見えた。
「かなり消耗していますね。それに、この傷……今日負ったものだけではありません」
「院長……」
「事情は分かりました」
ユラは立ち上がった。
「あなたの命の恩人なのでしょう?」
「はい!」
「それに、傷ついた人を見捨てるわけにもいきません」
ミレアの顔が明るくなる。
「では!」
「奥の小部屋へ運びなさい。しばらくそこで匿います」
「はい!」
ユラは、そこで表情を引き締めた。
「ただし――」
「?」
「このことが魔王軍に知られれば、修道院にいる全員が危険にさらされます」
ミレアも真顔になる。
「……はい」
「誰にも知られないように」
「分かりました」
「それと、ミレア」
「はい?」
「今日はゼイル様が、治療魔法研究の進捗確認に来る日です」
「…………」
ミレアの顔が固まった。
「きょ、今日でしたっけ!?」
「今日です」
「ど、どうしよう……!」
「まず、その方を中へ」
「は、はい!」
ミレアは少年の両腕をつかんだ。
「修道院まで連れて帰れば、治療も……」
ぐいっ。
「う、重い……!」
もう一度、力を込める。
「うんしょ……!」
ずるずる。
「うんしょ、うんしょ……!」
ユラがそれを見つめる。
「ミレア」
「はい?」
「担架を使いなさい」
「……あ」
■2
修道院の裏手。
ミレアは、少年を運んできた走竜の鞍を外していた。
「よし……」
最後に手綱も外す。
「もう戻ってきちゃダメですよ」
走竜の尻を軽く叩いた。
「行って!」
走竜は一声鳴くと、荒野へ向かって駆けていった。
ミレアは、その姿が見えなくなるまで見送る。
「これで走竜は……」
そこで地面を見る。
修道院の裏口まで、くっきりと足跡が続いていた。
「……これも消さないと!」
ミレアは急いで箒を持ってくる。
ざっ、ざっ。
走竜の足跡。
荷車の轍。
少年を運び込んだ跡。
一つずつ、砂をならして消していく。
「よし……!」
最後の足跡を消した、その時だった。
ドドドドドド――。
「え?」
遠くから、走竜の足音が聞こえる。
ミレアが荒野を見る。
こちらへ近づいてくる、一頭の走竜。
その背には――二本角の魔族。
「……っ!」
ミレアは箒を抱えたまま裏口へ駆ける。
「危ない……!」
扉を開け、身体を滑り込ませる。
「間に合った……!」
ミレアは急いで扉を閉めた。
その直後。
修道院の正門前で、走竜の足音が止まった。
■3
水将ゼイル――。
水魔法の使い手にして、治療魔法の研究家でもある。
修道院の研究室。
ゼイルは椅子に腰掛け、机の上の資料へ目を通していた。
「今月の研究進捗はいかがですかな、ユラ院長」
「聖水を用いた薬草の生育については、前月より改善しています」
ユラが資料を広げる。
「こちらが今月の記録です」
「ふむ……」
ゼイルは紙面を目で追う。
「悪くありませんな」
その時。
「失礼します」
ミレアが、茶を載せた盆を持って入ってきた。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
ミレアはゼイルの前へ杯を置く。
ゼイルが手を伸ばした。
――ピチャン。
「……?」
杯の水面に、小さな波紋が広がった。
ゼイルの手が止まる。
ミレアが首をかしげる。
「どうかなさいましたか?」
「いえ……」
ゼイルは杯を見つめた。
静かになった水面に――。
――ピチャン。
再び、波紋。
ゼイルの目が細くなる。
「これはこれは……」
「?」
ゼイルは足元に置いていた鞄を開いた。
中から、二本の角を取り出す。
ゴトッ。
ミレアの顔が強張った。
「……!」
「バルガの角です」
ユラが息を呑む。
「バルガ様の……?」
「ええ」
ゼイルは再び杯へ目を落とす。
――ピチャン。
「水は、残留した魔力にも反応する」
ミレアの肩が、わずかに震えた。
「この波紋は――」
ゼイルがゆっくりと顔を上げる。
その視線が、研究室の奥へ向いた。
「同じ魔力が、この近くにある」
ユラが答える。
「ですが、バルガ様はこちらには……」
「でしょうな」
ゼイルは立ち上がった。
「死んだ者が歩いて来るわけもない」
――ピチャン。
また、波紋が広がる。
ゼイルの口元がわずかに吊り上がった。
「なるほど」
奥の廊下を見つめる。
「そういうことですか」
■4
ゼイルが、奥の廊下へ片手を向けた。
「そこですかね」
ぶつぶつと呪文を唱え始める。
空中に、いくつもの水球が浮かび上がった。
「水弾――《ウォーターシュート》」
――ドッ!
巨大な水弾が壁を打ち抜き、奥の小部屋へ突き抜けた。
「きゃっ!」
ミレアが頭を抱える。
次の瞬間。
――バシャッ!
飛び込んだ水弾が斬り落とされた。
水飛沫が部屋中に散る。
「……ほう」
崩れた壁の向こう。
黒いマントの少年が、剣を手に立っていた。
ゼイルは目を細める。
「魔法を斬る剣技……」
足元の鞄へ視線を落とす。
「なるほど」
「それでバルガが敗れたわけですか」
少年は答えない。
剣を下げたまま――。
まっすぐに、ゼイルを見つめていた。
■5
ゼイルは、少年の剣を見つめた。
「七年前の聖魔大戦――」
「勇者レオンが使用した剣技」
「――《魔斬剣》」
ミレアが目を見開く。
「魔斬剣……?」
「魔法そのものを斬り裂く、勇者の剣」
ゼイルは少年へ視線を戻した。
「勇者レオンのほかにも使い手がいたとは、初耳ですが……」
少年は答えない。
剣を構えたまま、じっとゼイルを見つめている。
「まあ、そんなことはどうでもいい」
ゼイルが両手を広げた。
「魔法を斬る」
「なるほど。厄介な剣技です」
そして、薄く笑う。
「ですが――」
「剣は一本しかない」
ぶつぶつと呪文を唱え始める。
ゼイルの周囲に、小さな水球が浮かび上がった。
一つ。
二つ。
十。
二十。
さらに増えていく。
ミレアが息を呑む。
「そんな……!」
ついには、数えることすらできないほどの水弾が、少年を取り囲んだ。
「剣が一本しかないのなら――」
ゼイルが片手を掲げる。
「無数の魔法を、同時に放てばいい」
無数の水弾が、一斉に少年へ狙いを定める。
ゼイルが笑った。
「一本の剣で――」
「いくつまで斬れますかな?」
そして。
掲げた手を振り下ろした。
「無限水弾――《レインビーム》!」
■6
「無限水弾――《レインビーム》!」
ゼイルが手を振り下ろした。
次の瞬間。
無数の水弾が、少年めがけて放たれた。
――ドドドドドドドドッ!
ミレアは思わず目をつぶった。
その瞬間――。
少年は剣を両手で握った。
そして。
高速で回転させた。
――ブンッ!
ババババババババッ!
「なっ!?」
迫り来る水弾が、次々と弾き飛ばされる。
激しい水飛沫が、修道院の中に舞った。
ミレアが目を見開く。
「えっ!?」
「剣を……回して?」
少年が床を蹴った。
――ドンッ!
「!?」
回転する剣で水弾を弾きながら――。
少年の身体が、一気にゼイルの目前まで飛び込んだ。
「な――!」
少年が剣の回転を止める。
――ズバッ!
ドサッ。
ゼイルの首が、床を転がった。
首を失った身体がぐらりと揺れる。
やがて黒い煙となって消えていき――。
カラン。
カラン。
あとには、二本の角だけが残った。
■7
「け、剣士さん……」
ミレアが恐る恐る声をかけた。
少年は剣を鞘に納める。
「ありがとうございます」
「え?」
「お世話になりました」
少年は、崩れた壁と散らかった研究室を見回した。
「俺を助けたばかりに、面倒事に巻き込んでしまい」
「……ごめんなさい」
「そ、そんな!」
ミレアは慌てて首を振る。
「もともとは私が助けてもらったんです!」
「だから、お互い様です!」
「…………」
少年は小さくうなずいた。
「じゃあ、俺は行きます」
「えっ?」
少年が歩き出そうとした、その時。
足元に置かれた鞄が目に入った。
ゼイルが持ってきたものだ。
「……?」
少年が足を止める。
鞄には、一つの紋章が刻まれていた。
少年はしゃがみ込み、その紋章をじっと見つめる。
「この紋章……」
荒野で倒した二本角も身につけていた。
少年がミレアを見る。
「火を使う魔族兵も同じものを……」
「あ、それは――」
ミレアが答える。
「石眼将ガルザ様の紋章です」
■8
「石眼将ガルザ?」
少年が聞き返した。
「はい。この地方を治める、三本角の将軍です」
「三本角……」
少年は少し考え込む。
そして、ミレアを見る。
「……そういえば」
「はい?」
「名前、まだ聞いてませんでした」
「俺はカイルです」
「あっ」
ミレアは慌てて姿勢を正した。
「私、ミレアっていいます。この修道院で見習いをしています」
少年は小さくうなずいた。
「ミレアさん、ですね」
「はい」
カイルは再び、鞄の紋章へ目を落とした。
「それで――」
「その石眼将ガルザについて、詳しく教えてもらえませんか?」
「はい」
ミレアはうなずいた。
「石眼将ガルザは、七年前の聖魔大戦でも戦った魔族です」
「七年前……」
「勇者レオン様たちとも、直接戦ったと聞いています」
カイルは黙ったまま、話を聞いている。
「そして――」
ミレアは少し声を落とした。
「勇者様たちを、石にした魔族です」
カイルの目がわずかに見開かれた。
「……石に?」
「はい」
「勇者レオン様も」
ミレアは続ける。
「聖女セリア様も――」
「…………」
カイルの表情が変わった。
それまで静かだった目に、鋭い光が宿る。
「カイルさん?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて。
カイルが口を開く。
「ガルザの城は、どこですか?」
「え?」
「教えてください」
ミレアは、カイルの顔を見つめた。
その目は――。
さっきまでとは、まるで違っていた。
■9
「ガルザの城は、どこですか?」
「ここから北へ向かった先です」
ミレアが答える。
「荒野を抜けたところに、大きな城があります」
「分かりました」
カイルは立ち上がった。
「行きます」
「い、今からですか!?」
「はい」
ミレアは思わずユラを見る。
ユラはしばらく黙って、カイルを見つめていた。
そして。
「ミレア」
「はい」
「カイルさんをご案内して差し上げなさい」
「……院長?」
「あなたなら、城までの道も分かるでしょう」
ユラは机の上に置かれた薬草へ目を向ける。
「それに、城への薬草の納品もまだ残っています」
「あっ……」
「ちょうどいいでしょう」
ミレアは少し迷ったあと、うなずいた。
「分かりました」
ユラはそんなミレアをまっすぐ見つめる。
「ただし――」
「?」
「絶対に、生きて帰ってきなさい」
ミレアは一瞬、目を見開いた。
そして。
「はいっ!」
力強くうなずいた。




