第二十六話 日没の強制差押プロトコル
夕暮れの街角、高級ブティックの立ち並ぶ通りで、俺はアキラ・カネシロを視野にロックしたまま足を止めた。
今回の方針は、貧乏宿での解析ですでに固まっている。世界の根源をハッキングさせている原因は、ルミナリア社長が配った【絶対言語理解】の仕様漏れだ。世界を構成する通信規約まで言語として解読させてしまったから、直接改ざんされた。
修正パッチは完了している。あとは本人に直接会って、そのチート機能を書き換えるだけだ。万象すべてを解読・ハックできるルート権限を剥奪し、地上の言語限定の一般翻訳ツールへとダウングレードする。
俺が懐の全権承認印に指をかけた、その時だった。
「お? なんだなんだぁ?」
ブランド物の紙袋を両手に抱えたアキラが、現地の美女を連れたまま、なんとニヤニヤと笑いながら俺たちのほうへトボトボと歩み寄ってきた。
「……待て。対象がこちらに気づいたぞ」
俺とエルフィが一瞬で警戒レベルを引き上げた――が、アキラの視線は、俺たちの前を通り過ぎて、その後ろへと注がれた。
アキラは、寒さでガタガタと震えながら金髪を振り乱し、隠すところだけ隠した極小の真紅のビキニ姿で突っ立っているルミナリアを、頭のてっぺんから爪先までじろじろと下卑た目で舐めるように見回した。
「やんじゃん、にーちゃん! マジ最高じゃん! なにその超絶美女? 夕方の街中でそんなハレンチな極小ビキニ着せてデートとか、どんだけ過激なプレイしてんのよ! ウチら完全に趣味合うわー、友達になれんじゃね? ウェーイ!」
アキラはブランド袋を揺らしながら、信じられないほど軽いノリで俺の肩を叩こうと手を伸ばしてきたが、見えない防壁にバァンと弾かれ、アキラは「おっと、なんだこれ?」と首を傾げた。
だが、そんなことはどうでもいい。
アキラは、俺を神界の『執行官』として見にきたのではない。夕方の街角で、涙目で鼻水を垂らしビキニ姿のまま凍えているルミナリアを見て、俺のことを『ド派手に女をはべらせて豪遊している同類のパリピ』だと完全に勘違いしたのだ。
(クソが、超絶に腹が立つ)
俺は、怒りで煮えくり返る感情に震えた。
よりによって、12億円を横領した不届き者のコソ泥クラッカーから、「お前も同類だろウェーイ」などと親近感を持たれるとは、俺の美学に対するこれ以上ない侮辱だった。元はと言えば、すべて着替えをサボってビキニのまま転送されてきたこの無能な金髪世襲令嬢のせいだ。あとで絶対にボーナスを全額償却してやる。
俺はアキラの「ウェーイ」を完全に無視し、一ミリも表情を変えずに冷徹に言い放った。
「監査を始める。エルフィ、対象のアカウントの脆弱性ログを読み上げろ」
「ハッ! 了解です、ユウキ主任!」
エルフィはスーツの眼鏡をクイと上げ、バインダーの画面を鋭い指先で叩いた。アキラから同類と見做された俺の怒りを察知したのか、彼女の口調もいつになく極低温に引き締まっている。
「アキラ・カネシロの【絶対言語理解】のログを解析しました。ルミナリア社長が例外処理を全く書かずにルート権限を付与したため、現在アキラ・カネシロのチート能力にはアクセス制限が一切かけられていません」
「世界の根源をハックできたのは、ただの設計ミスによるセキュリティホールだ。それを自分の実力だと勘違いするなよ、クラッカーくん」
「あ? んだこら?急にサラリーマンみたいなトーンになりやがって……俺の能力は、神をも超えるチートだぜ。お前らみたいなガキに何ができるって――」
アキラが顔を歪ませ、空中にシステムウインドウを展開しようと指を動かした。概念を書き換え、俺たちをシステムから消去しようという腹だろう。
だが、その操作が発火することはなかった。
「仕様の変更を適用する。エルフィ、承認パッチを流し込め」
俺が懐から『神界全権承認印』を突き出すと同時に、エルフィが光のキーボードを鋭く叩いた。
「ハッ! 修正パッチの適用、完了しました!」
ピキィィィィン……!
夕暮れの街角に、システム同期を告げる冷徹な電子音が響き渡る。その瞬間、アキラの目の前にあったシステム画面が、激しい真っ赤なエラー警告を吐き出して一瞬で完全にロックされた。
「え……? 画面が動かない……!? 俺の【絶対言語理解】が……世界の根源を読み込めなくなっている……っ!?」
アキラが狂ったように虚空を叩くが、半透明のウインドウはビクリとも反応しない。
「お遊びのクラッキングはここまでだ、アキラ。お前のチートから世界のインフラを書き換えるルート権限を完全に剥奪した。今のお前の能力は、ただの地上の言語限定の翻訳ツールに機能制限されている」
「そ、そんな馬鹿な! 俺の、俺の12億円の資産はどうなるんだよ! ホテルのスイートルームは! ブランド品は!」
絶望に顔を青ざめさせ、床に落ちた大量のブランド袋をかき集めようとするアキラ。俺はその哀れな横領犯を見下ろし、極低温のトーンで最後通牒を叩きつけた。
「当然、合法的かつ強制的に資産差し押さえを執行した。言葉での督促など生温い。お前が天界のシステムを改ざんして現地マネーに変換していた個人口座、その所有権の定義を、世界の根源にお前のものから神界の管理物へと強制的に書き換えた。お前の金は、今この瞬間に全額我が社の売上へとロールバックされている」
「う、嘘だ……俺の、俺の12億円が……一瞬でゼロに……っ!?」
アキラはその場にへたり込み、頭を抱えてガタガタと震え出した。だが、俺のデバッグはこれで終わらない。
「仕上げだ、エルフィ。対象の存在プログラムを『絶対的債務者』として世界の根源に固定しろ」
「ハッ! 債務者概念の固定プロトコル、デプロイ完了しました!」
エルフィの冷酷な宣言と共に、アキラの胸元に、神界への巨額の負債を示す禍々しい刻印がバチィィィン!と刻み込まれた。
アキラが胸を掻きむしり、その場にのけ反る。彼の水着の隙間から露わになった胸元には、赤黒い魔力の光で不気味に明滅する、あまりにも容赦のない電子刻印が浮かび上がっていた。
中央に鎮座するのは、どれだけ稼ごうが一瞬で残高が消滅することを意味する、残酷な【¥0】の巨大な記号。それを囲むように、世界の根源から抽出されたコードの文字列が、まるで逃れられない鉄鎖のように複雑な円を描いている。さらにその最下部には、彼の負債総額【1,200,000,000】という真っ赤なデジタルカウンターが刻まれ、静かに明滅を始めている。
「アキラ。お前が贅沢病で使い込んだ分の差額を含め、お前は今後、生涯をかけて我が社に労働で返済してもらう。お前という存在はシステム側で『絶対的債務者』として完全ロックされた。今後お前がダンジョンで得る報酬、魔物から得る経験値、さらには人助けをして受け取るはずの感謝にいたるまで、お前が発生させるすべての利益は、我が社の口座へ自動的に強制転送される。利益が生じた瞬間、その【¥0】のコードが発火して残高を一瞬でリセットする仕様だ」
「報酬も、経験値も、感謝も……全部天引き……!? じゃあ、僕はこれからどれだけ戦っても、どれだけ人に感謝されても、1円も手に入らないしレベルアップすらしないっていうのか……っ!?」
「その通りだ。これがわが社の強制差押プロトコルだ。泥棒にやる給料など、我が社の帳簿には1ビットも存在しない。カザマやツカサと同じく、お前も地上の現場作業員として、インフラ保守のために身を粉にして働いてもらう」
「そんなの……ただの、ただの永久奴隷じゃないかよ!!」
ハッカー勇者の絶望の悲鳴が、夕暮れの街に空白く響き渡る。視線を上げれば、水平線の向こうで、今日という一日を終える夕日がゆっくりと沈んでいくところだった。
天界から12億円もの資産をかすめ取り、この南国リゾートで我が世の春を謳歌していたハッカーの栄光が、今まさに、燃えるような朱色から冷徹な闇へと没していく太陽とだぶる。
リゾートの華やかな輝きが夜の静寂へと塗り替えられる中、その場に崩れ落ち、絶望の底へと落ち込んでいくアキラの影が、沈みゆく夕日の残光の中に長く、哀れに伸びていた。
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