まだ名前のない距離 39 戻れない気配に、気づかないふりをして
夜道は、
◇
変わらず静かだった。
◇
◇
けれど、
◇
さっきまでとは、
◇
少しだけ違う。
◇
◇
ふたりの間にある空気が、
◇
わずかに変わっている。
◇
◇
レンが、
◇
ぽつりと口を開く。
◇
◇
「なあ」
◇
◇
「ん?」
◇
◇
「さっきさ」
◇
◇
「“またしよう”って言ったじゃん」
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ視線を前に向けたまま答える。
◇
◇
「言ったね」
◇
◇
「……あれさ」
◇
◇
レンは、
◇
ほんの少しだけ迷う。
◇
◇
「どういう意味で言った?」
◇
◇
ユイは、
◇
一瞬だけ黙る。
◇
◇
そして、
◇
少しだけ笑う。
◇
◇
「なにそれ」
◇
◇
「逆にどういう意味に聞こえたの?」
◇
◇
レンは、
◇
苦笑する。
◇
◇
「いや……なんか」
◇
◇
「軽く言ってるようで」
◇
◇
「そうでもない感じしたから」
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ歩幅をゆるめる。
◇
◇
「……それ、正解かも」
◇
◇
レンは、
◇
思わず横を見る。
◇
◇
「え」
◇
◇
ユイは、
◇
前を見たまま続ける。
◇
◇
「軽い気持ちじゃないよ」
◇
◇
「でも」
◇
◇
「重くもしたくない」
◇
◇
レンは、
◇
その言葉を受け止めるように、
◇
ゆっくり頷く。
◇
◇
「……むずいな」
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ笑う。
◇
◇
「でしょ」
◇
◇
「でもさ」
◇
◇
ユイが、
◇
少しだけ声を落とす。
◇
◇
「レンはどう思ったの?」
◇
◇
レンは、
◇
すぐには答えない。
◇
◇
ほんの少しだけ、
◇
間を置く。
◇
◇
「……嬉しかった」
◇
◇
その一言は、
◇
思っていたよりも素直だった。
◇
◇
ユイの足が、
◇
ほんの少しだけ止まりかける。
◇
◇
「……そっか」
◇
◇
「うん」
◇
◇
また、
◇
少しだけ沈黙。
◇
◇
でも、
◇
今度は逃げない沈黙。
◇
◇
レンが、
◇
ふっと息を吐く。
◇
◇
「なんかさ」
◇
◇
「今日でさ」
◇
◇
「ちょっと変わった気しない?」
◇
◇
ユイは、
◇
すぐには答えない。
◇
◇
少しだけ考えてから、
◇
口を開く。
◇
◇
「……する」
◇
◇
「戻れると思う?」
◇
◇
レンのその一言に、
◇
ユイの視線がわずかに揺れる。
◇
◇
「……どうだろ」
◇
◇
「戻りたい?」
◇
◇
今度は、
◇
ユイが問い返す。
◇
◇
レンは、
◇
少しだけ笑う。
◇
◇
「いや」
◇
◇
「別に」
◇
◇
「じゃあ、いいじゃん」
◇
◇
ユイも、
◇
小さく笑う。
◇
◇
そのやり取りが、
◇
どこか軽くて、
◇
でも確かだった。
◇
◇
レンが、
◇
少しだけ声を落とす。
◇
◇
「でもさ」
◇
◇
「戻れないってさ」
◇
◇
「ちょっと怖くない?」
◇
◇
ユイは、
◇
ほんの少しだけ、
◇
息を吸う。
◇
◇
「……ちょっとね」
◇
◇
「でも」
◇
◇
「悪くない」
◇
◇
レンは、
◇
その言葉に、
◇
少しだけ驚く。
◇
◇
「強いな」
◇
◇
「そうでもないよ」
◇
◇
ユイは、
◇
ほんの少しだけ笑う。
◇
◇
「ただ」
◇
◇
「レンとなら、いいかなって思っただけ」
◇
◇
その言葉に、
◇
レンは一瞬だけ黙る。
◇
◇
何か言おうとして、
◇
やめる。
◇
◇
代わりに、
◇
小さく笑う。
◇
◇
「……それ、ずるい」
◇
◇
「なにが?」
◇
◇
「なんか全部持ってくじゃん」
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ首をかしげる。
◇
◇
「意味分かんない」
◇
◇
「分かんなくていい」
◇
◇
ふたりで、
◇
また少しだけ笑う。
◇
◇
そのあと、
◇
ほんのわずかに、
◇
距離が縮まる。
◇
◇
さっきよりも、
◇
確実に。
◇
◇
触れてはいない。
◇
◇
でも、
◇
もう、
◇
いつでも触れられる距離。
◇
◇
レンが、
◇
小さく呟く。
◇
◇
「なあ」
◇
◇
「ん?」
◇
◇
「これさ」
◇
◇
「名前、つける?」
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ考える。
◇
◇
そして、
◇
静かに首を振る。
◇
◇
「……まだいい」
◇
◇
「今は、このままでいい」
◇
◇
レンは、
◇
その答えに、
◇
ゆっくり頷く。
◇
◇
「……そっか」
◇
◇
夜は、
◇
変わらず続いている。
◇
◇
けれど、
◇
ふたりの距離は、
◇
もう元には戻らない。
◇
◇
それでも、
◇
どちらも、
◇
それを選んでいる。
◇
◇
名前のないまま、
◇
進んでいく関係。
◇
◇
その輪郭が、
◇
ほんの少しだけ、
◇
はっきりし始めていた。




