まだ名前のない距離 37 言葉にしないまま、重なりはじめる気配
まだ名前のない距離 38 言葉にした途端、少しだけ変わる距離
夜の道を、
◇
ふたりは並んで歩く。
◇
◇
さっきまでと同じはずの空気が、
◇
ほんの少しだけ、
◇
変わっていた。
◇
◇
沈黙は、
◇
まだ心地いい。
◇
◇
けれど――
◇
ユイが、
◇
小さく口を開く。
◇
◇
「……ねえ」
◇
◇
レンは、
◇
少しだけ驚いたように、
◇
視線を向ける。
◇
◇
「ん?」
◇
◇
ユイは、
◇
前を見たまま、
◇
少しだけ迷う。
◇
◇
「今日さ」
◇
◇
「……なんか、長くなかった?」
◇
◇
レンは、
◇
一瞬だけ考えて、
◇
ふっと笑う。
◇
◇
「長いっていうか……」
◇
◇
「濃かった、って感じ?」
◇
◇
ユイは、
◇
小さく頷く。
◇
◇
「……それ」
◇
◇
「なんか、分かる」
◇
◇
少しだけ、
◇
空気がほどける。
◇
◇
言葉にしたことで、
◇
何かが軽くなる。
◇
◇
レンは、
◇
歩きながら、
◇
ふと問いかける。
◇
◇
「ユイはさ」
◇
◇
「今日、楽しかった?」
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ間を置く。
◇
◇
すぐには答えない。
◇
◇
でも、
◇
その間は、
◇
重くなかった。
◇
◇
「……うん」
◇
◇
「楽しかった」
◇
◇
そう言ってから、
◇
ほんの少しだけ、
◇
笑う。
◇
◇
「思ってたより、ずっと」
◇
◇
レンは、
◇
その言葉に、
◇
安心したように息を吐く。
◇
◇
「よかった」
◇
◇
「俺も、楽しかった」
◇
◇
ユイは、
◇
ちらっとだけ、
◇
横を見る。
◇
◇
レンは、
◇
まっすぐ前を見ている。
◇
◇
その横顔が、
◇
少しだけやわらかい。
◇
◇
「ねえ」
◇
◇
ユイが、
◇
もう一度呼ぶ。
◇
◇
「ん?」
◇
◇
「さっきのさ」
◇
◇
「……気にしてる?」
◇
◇
レンは、
◇
ほんの少しだけ、
◇
足を緩める。
◇
◇
「……さっきって?」
◇
◇
分かっているくせに、
◇
そう返す。
◇
◇
ユイは、
◇
小さく息を吐く。
◇
◇
「……分かってるでしょ」
◇
◇
少しだけ、
◇
照れた声。
◇
◇
レンは、
◇
視線を逸らしながら、
◇
苦笑する。
◇
◇
「……まあ、うん」
◇
◇
「ちょっとは」
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ肩をすくめる。
◇
◇
「……そっか」
◇
◇
一瞬だけ、
◇
また沈黙が落ちる。
◇
◇
でも、
◇
今度の沈黙は、
◇
さっきとは少し違う。
◇
◇
言葉のあとに残る、
◇
やわらかい余白。
◇
◇
レンが、
◇
ぽつりと続ける。
◇
◇
「でもさ」
◇
◇
「嫌じゃなかった」
◇
◇
ユイは、
◇
足を止めそうになる。
◇
◇
けれど、
◇
そのまま歩き続ける。
◇
◇
「……私も」
◇
◇
小さな声。
◇
◇
それでも、
◇
はっきりと届く。
◇
◇
レンは、
◇
少しだけ笑う。
◇
◇
「そっか」
◇
◇
それ以上は、
◇
何も言わない。
◇
◇
でも、
◇
それだけで、
◇
十分だった。
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ顔を上げる。
◇
◇
夜の空気が、
◇
さっきよりも、
◇
やさしく感じる。
◇
◇
「ねえ、レン」
◇
◇
「ん?」
◇
◇
「またさ」
◇
◇
「こうやって、歩こうよ」
◇
◇
レンは、
◇
一瞬だけ驚いて、
◇
すぐに頷く。
◇
◇
「……いいよ」
◇
◇
「いつでも」
◇
◇
ユイは、
◇
少しだけ笑う。
◇
◇
「“いつでも”はちょっと大げさ」
◇
◇
レンも、
◇
つられて笑う。
◇
◇
「じゃあ、また今度」
◇
◇
「うん、今度」
◇
◇
そのやり取りが、
◇
どこか自然で、
◇
どこか特別だった。
◇
◇
言葉にしたことで、
◇
距離は、
◇
少しだけ変わる。
◇
◇
近づきすぎるわけでもなく、
◇
遠ざかるわけでもなく。
◇
◇
ただ、
◇
確かに、
◇
一歩進んだ距離。
◇
◇
夜は、
◇
まだ続いていく。
◇
◇
そして、
◇
ふたりの会話もまた、
◇
ゆっくりと、
◇
途切れずに続いていく。




