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まだ名前のない距離 36 触れないままで、確かに近づいていくもの

夜の空気は、



少しだけ冷たくなっていた。




昼間の名残は、



もうどこにもない。




ただ、



静けさだけが、



ゆっくりと広がっている。




足音が、



一定のリズムで重なる。




コツ、コツ、と。




ふたり分の音が、



ひとつの流れになっていく。




レンは、



隣を見ない。




見なくても、



そこにいると分かるから。




ユイも、



あえて視線を向けない。




その距離が、



ちょうどいいと知っているから。




さっきまでの出来事を、



言葉にしようと思えば、



きっとできる。




でも、



それをしてしまえば、



何かが変わってしまう気がした。




まだ、



変えたくない。




今は、



このままでいい。




そんな空気が、



ふたりの間に流れている。




信号が、



赤に変わる。




自然と、



立ち止まる。




並んだまま、



同じタイミングで。




その瞬間だけ、



時間が少しだけ濃くなる。




動かないからこそ、



意識してしまう距離。




ほんのわずか、



肩が近い。




触れてはいない。




でも、



触れそうな距離。




ユイは、



ほんの少しだけ、



呼吸を整える。




レンも、



気づかないふりをしながら、



同じように息を整える。




何も起こらない。




でも、



何も起こらないことが、



どこか心地いい。




やがて、



青に変わる。




同時に、



また歩き出す。




止まっていた時間が、



ほどけるように動き出す。




さっきより、



ほんの少しだけ、



距離が自然になる。




無理に近づくでもなく、



離れるでもなく。




ただ、



そこにある距離。




それを、



お互いに受け入れている。




ユイは、



ふと気づく。




さっきまでよりも、



安心して歩いている自分に。




理由は、



はっきりしない。




けれど、



確かにある。




隣にいることが、



少しだけ当たり前になっている。




レンは、



何も言わないまま、



少しだけ歩幅を緩める。




それに合わせて、



ユイも自然と歩幅を合わせる。




言葉はいらない。




それだけで、



十分だった。




遠くで、



車の音が流れていく。




夜の街は、



静かに動いている。




その中で、



ふたりだけが、



少し違う時間を歩いているみたいだった。




特別なことは、



何もない。




けれど、



何もないことが、



こんなにも満たされる。




ユイは、



小さく息を吐く。




それは、



ため息じゃない。




どこか、



ほどけるような呼吸。




レンは、



それに気づくけれど、



あえて何も言わない。




そのままでいいと、



思ったから。




街の灯りが、



またひとつ、



ふたりを照らす。




影が、



並んで伸びる。




少しだけ、



近い影。




でも、



まだ重ならない。




その距離が、



今のふたりには、



ちょうどいい。




名前のないまま、



進んでいく関係。




けれど、



確かに前よりも、



一歩だけ近づいている。




誰にも気づかれないくらいの、



小さな変化。




それでも、



ふたりには分かる。




触れなくても、



伝わるものがあると、



知ってしまったから。




夜は、



まだ続いていく。




そして、



ふたりの距離もまた、



静かに変わり続けていく。

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