まだ名前のない距離 36 触れないままで、確かに近づいていくもの
夜の空気は、
◇
少しだけ冷たくなっていた。
◇
◇
昼間の名残は、
◇
もうどこにもない。
◇
◇
ただ、
◇
静けさだけが、
◇
ゆっくりと広がっている。
◇
◇
足音が、
◇
一定のリズムで重なる。
◇
◇
コツ、コツ、と。
◇
◇
ふたり分の音が、
◇
ひとつの流れになっていく。
◇
◇
レンは、
◇
隣を見ない。
◇
◇
見なくても、
◇
そこにいると分かるから。
◇
◇
ユイも、
◇
あえて視線を向けない。
◇
◇
その距離が、
◇
ちょうどいいと知っているから。
◇
◇
さっきまでの出来事を、
◇
言葉にしようと思えば、
◇
きっとできる。
◇
◇
でも、
◇
それをしてしまえば、
◇
何かが変わってしまう気がした。
◇
◇
まだ、
◇
変えたくない。
◇
◇
今は、
◇
このままでいい。
◇
◇
そんな空気が、
◇
ふたりの間に流れている。
◇
◇
信号が、
◇
赤に変わる。
◇
◇
自然と、
◇
立ち止まる。
◇
◇
並んだまま、
◇
同じタイミングで。
◇
◇
その瞬間だけ、
◇
時間が少しだけ濃くなる。
◇
◇
動かないからこそ、
◇
意識してしまう距離。
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◇
ほんのわずか、
◇
肩が近い。
◇
◇
触れてはいない。
◇
◇
でも、
◇
触れそうな距離。
◇
◇
ユイは、
◇
ほんの少しだけ、
◇
呼吸を整える。
◇
◇
レンも、
◇
気づかないふりをしながら、
◇
同じように息を整える。
◇
◇
何も起こらない。
◇
◇
でも、
◇
何も起こらないことが、
◇
どこか心地いい。
◇
◇
やがて、
◇
青に変わる。
◇
◇
同時に、
◇
また歩き出す。
◇
◇
止まっていた時間が、
◇
ほどけるように動き出す。
◇
◇
さっきより、
◇
ほんの少しだけ、
◇
距離が自然になる。
◇
◇
無理に近づくでもなく、
◇
離れるでもなく。
◇
◇
ただ、
◇
そこにある距離。
◇
◇
それを、
◇
お互いに受け入れている。
◇
◇
ユイは、
◇
ふと気づく。
◇
◇
さっきまでよりも、
◇
安心して歩いている自分に。
◇
◇
理由は、
◇
はっきりしない。
◇
◇
けれど、
◇
確かにある。
◇
◇
隣にいることが、
◇
少しだけ当たり前になっている。
◇
◇
レンは、
◇
何も言わないまま、
◇
少しだけ歩幅を緩める。
◇
◇
それに合わせて、
◇
ユイも自然と歩幅を合わせる。
◇
◇
言葉はいらない。
◇
◇
それだけで、
◇
十分だった。
◇
◇
遠くで、
◇
車の音が流れていく。
◇
◇
夜の街は、
◇
静かに動いている。
◇
◇
その中で、
◇
ふたりだけが、
◇
少し違う時間を歩いているみたいだった。
◇
◇
特別なことは、
◇
何もない。
◇
◇
けれど、
◇
何もないことが、
◇
こんなにも満たされる。
◇
◇
ユイは、
◇
小さく息を吐く。
◇
◇
それは、
◇
ため息じゃない。
◇
◇
どこか、
◇
ほどけるような呼吸。
◇
◇
レンは、
◇
それに気づくけれど、
◇
あえて何も言わない。
◇
◇
そのままでいいと、
◇
思ったから。
◇
◇
街の灯りが、
◇
またひとつ、
◇
ふたりを照らす。
◇
◇
影が、
◇
並んで伸びる。
◇
◇
少しだけ、
◇
近い影。
◇
◇
でも、
◇
まだ重ならない。
◇
◇
その距離が、
◇
今のふたりには、
◇
ちょうどいい。
◇
◇
名前のないまま、
◇
進んでいく関係。
◇
◇
けれど、
◇
確かに前よりも、
◇
一歩だけ近づいている。
◇
◇
誰にも気づかれないくらいの、
◇
小さな変化。
◇
◇
それでも、
◇
ふたりには分かる。
◇
◇
触れなくても、
◇
伝わるものがあると、
◇
知ってしまったから。
◇
◇
夜は、
◇
まだ続いていく。
◇
◇
そして、
◇
ふたりの距離もまた、
◇
静かに変わり続けていく。




