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まだ名前のない距離 30 触れそうで触れない、その境界線のまま

夜風が少しだけ強くなって、

街灯の光が揺れた。



影も、それに合わせて揺れる。



ふたりの影は、

ときどき重なって、

ときどき離れる。




ユイは、その揺れを見ていた。



自分の影なのに、

どこか他人みたいに見える瞬間がある。




「ねえ」



今度は、さっきより少しだけはっきりした声。




レンは横目で見る。



「なに」




ユイは前を向いたまま続ける。




「こういうのってさ」




言いかけて、少し止まる。



言葉を探しているというより、

言葉にすると壊れそうで迷っている感じだった。




「戻れるのかな」





レンはすぐには答えない。



歩く音だけが少しだけ先に進む。




「戻るって?」





ユイは視線を落とす。




「前みたいに、とか」



「なかったことに、とか」





その言葉は、少しだけ街の音に溶けた。




レンは小さく息を吐く。




「無理じゃない?」





あまりにも普通の言い方だった。




でも、その普通さが逆に優しかった。




ユイは少しだけ顔を上げる。




「だよね」





その一言で、何かを諦めたわけじゃない。



ただ、形を変えただけだった。




レンは続ける。




「でもさ」




「消す必要もないんじゃない」





ユイは足を止めそうになって、

でも止まらないまま聞いている。




「残ってても、歩けるし」




「歩いてるうちに、変わるし」





ユイは小さく笑う。




「またそれ」




「適当」





レンも少しだけ笑う。




「でも、たぶん本当」





沈黙が一度だけ落ちる。




でもそれは重くない。



むしろ、少しだけ柔らかい。





信号が遠くで青に変わる。




その光に照らされて、

ふたりの影が一瞬だけ同じ形になる。




そしてまた、ずれる。





ユイは小さくつぶやく。




「このままでいいのかな」





レンは少し前を見てから、




「決めなくてもいいんじゃない」





そのまま歩き続ける。





ユイも、少し遅れてついていく。




同じ歩幅で。




同じ夜の中を。





まだ名前のない距離は、

確かにそこにあって、



消えることもなく、

急ぐこともなく、



ただふたりの間で、

静かに呼吸していた。

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