まだ名前のない距離 9
駅までの道は、
思ったよりもあっという間だった。
◇
手を繋いだまま、
二人ともほとんど喋らない。
◇
けれど不思議と、
沈黙は重くなかった。
◇
むしろ——
◇
繋がっている手の温度だけで、
十分すぎるくらいだった。
◇
◇
信号待ち。
◇
赤に変わった瞬間、
二人は同時に立ち止まる。
◇
その拍子に、
軽く肩が触れた。
◇
◇
「……近い」
◇
ユイがぼそっと呟く。
◇
「さっきからずっとな」
◇
「わざとじゃないし」
◇
「俺も」
◇
◇
ちらっと視線が合う。
◇
すぐに逸らす。
◇
でもまた、
気になって見てしまう。
◇
◇
「……なんかさ」
◇
ユイが小さく言う。
◇
「ん?」
◇
「さっきからずっと、
変な感じ」
◇
◇
レンは少しだけ考えて、
苦笑した。
◇
「まあな」
◇
「レンも?」
◇
「当たり前だろ」
◇
◇
ユイが少しだけ安心したように、
息を吐く。
◇
「よかった」
◇
◇
信号が青に変わる。
◇
人の流れに紛れて、
二人も歩き出す。
◇
◇
それでも、
繋いだ手だけは離れない。
◇
◇
改札が見えてきた。
◇
人の数が一気に増える。
◇
少しだけ、
現実に引き戻される感じ。
◇
◇
「ここでさ」
◇
ユイが立ち止まる。
◇
「うん」
◇
「私、こっちだから」
◇
◇
反対方向のホーム。
◇
いつもの別れ方。
◇
でも今日は——
◇
少し違う。
◇
◇
繋いでいた手が、
ゆっくり離れる。
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その瞬間、
妙に寂しくなる。
◇
◇
「……あのさ」
◇
レンが呼び止める。
◇
ユイが振り返る。
◇
◇
「明日も、
一緒に帰るか」
◇
◇
ほんの一瞬の間。
◇
それからユイは、
ぱっと笑った。
◇
「うん」
◇
◇
その返事は、
驚くくらい迷いがなかった。
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◇
「じゃあまた明日」
◇
「おう、また明日」
◇
◇
ユイが改札を抜けていく。
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何度も振り返る。
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そのたびに、
小さく手を振る。
◇
◇
レンも、
ぎこちなく手を上げる。
◇
◇
やがて姿が見えなくなって。
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人の波だけが残る。
◇
◇
レンはその場で、
少しだけ立ち尽くした。
◇
◇
「……マジか」
◇
◇
ぽつりと呟く。
◇
さっきまでの出来事が、
ゆっくり実感に変わっていく。
◇
◇
ポケットに手を入れる。
◇
けれど、
もう片方の手は——
◇
まだ温もりを覚えていた。
◇
◇
「……やばいな」
◇
◇
思わず笑う。
◇
◇
帰り道は一人なのに、
◇
さっきまでよりも、
少しだけ世界が明るく見えた。
◇
◇
名前のついた距離は、
◇
まだぎこちなくて、
◇
少し照れくさくて、
◇
でも確かに——
◇
昨日までの自分とは、
違う場所へ連れていこうとしていた。




