まだ名前のない距離 8(続き)
公園の時計が、
午後五時を知らせる。
◇
カン、カン——
◇
ゆっくり響く音が、
やけに遠かった。
◇
二人の間には、
まだ肩が触れたままの熱だけが残っている。
◇
レンは前を向いたまま、
小さく息を吐いた。
◇
「……なんか、現実感ねえ」
◇
「私も」
◇
ユイが苦笑する。
◇
でもその声は、
少し弾んでいた。
◇
◇
沈黙。
◇
けれど、
さっきまでとは違う。
◇
気まずいわけじゃない。
◇
むしろ——
◇
落ち着かないくらい、
満たされていた。
◇
◇
ユイがふと、
足元を見ながら呟く。
◇
「ねえレン」
◇
「ん?」
◇
「これってさ」
◇
「うん」
◇
「……付き合う、ってことでいいの?」
◇
◇
レンの思考が止まる。
◇
真正面から来た。
◇
しかも、
めちゃくちゃ自然に。
◇
◇
「いやその……」
◇
「なにその反応」
◇
「待て、心の準備が」
◇
「遅い」
◇
ユイが笑う。
◇
その笑顔が、
いつもより近い。
◇
◇
レンは観念したみたいに、
空を見上げた。
◇
「……まあ、そうなんじゃねえの」
◇
「曖昧」
◇
「だって慣れてねえんだよ」
◇
「私も慣れてないし」
◇
「じゃあおあいこ」
◇
「そうかも」
◇
◇
ユイがまた、
小さく笑う。
◇
そのあと。
◇
少しだけ遠慮がちに、
レンの袖をつまんだ。
◇
◇
「……嬉しい」
◇
その一言が、
反則みたいに胸へ刺さる。
◇
◇
レンは視線を逸らしながら、
ぼそっと返した。
◇
「俺も」
◇
◇
風が吹く。
◇
夕方の匂い。
◇
遊んでいた子供たちも、
少しずつ帰り始めていた。
◇
◇
なのに二人だけ、
まだベンチから動けない。
◇
◇
ユイが不意に、
くすっと笑う。
◇
「レン、顔赤い」
◇
「お前もな」
◇
「私はいいの」
◇
「なんでだよ」
◇
「女の子特権」
◇
「ずる」
◇
「ふふ」
◇
◇
その笑い声を聞きながら、
レンは思う。
◇
多分これから、
前みたいには戻れない。
◇
でも——
◇
それが嫌じゃない。
◇
むしろ、
◇
少し楽しみですらあった。
◇
◇
ユイが立ち上がる。
◇
「帰ろっか」
◇
「おう」
◇
レンも立ち上がる。
◇
すると自然に、
二人の距離が並ぶ。
◇
◇
前と同じ帰り道。
◇
同じ景色。
◇
同じ夕暮れ。
◇
なのに、
◇
隣にいる相手だけが、
昨日までと違って見えた。
◇
◇
歩き出して数秒後。
◇
ユイの手が、
ほんの少しだけレンの手に触れる。
◇
偶然みたいに。
◇
でも——
◇
離れない。
◇
◇
レンは一瞬だけ驚いて、
それから小さく笑った。
◇
そして今度は、
自分から少しだけ指を重ねる。
◇
◇
ユイが、
照れたみたいに俯く。
◇
「……心臓やばい」
◇
「奇遇だな」
◇
◇
夕焼けに染まる帰り道。
◇
まだ不器用で、
◇
まだ慣れなくて、
◇
でも確かに始まった距離。
◇
二人の間に、
ようやく名前が生まれ始めていた。




