まだ名前のない距離(3)――少しだけ、触れた日
次の日。
目が覚めた瞬間――
「あー……」
昨日よりも先に、ユイのことを思い出した。
理由なんて分かってる。
考えないようにしても、
勝手に浮かぶ。
「……めんどくせえな」
小さく呟く。
でも、
その“めんどくささ”が、
少しだけ嫌じゃない。
◇
教室。
「おはよ、レン」
「……おう」
今日も同じ。
でも、
ほんの少しだけ違う気がする。
何が、とは言えないけど。
「なんか眠そう」
「ちょっとな」
「昨日遅かった?」
「普通だよ」
「ふーん」
じっと見てくる。
「……なんだよ」
「別に」
そう言いながら、
少しだけ笑う。
……なんだそれ。
◇
授業中。
珍しく、
ユイが静かだった。
寝てるわけじゃない。
でも、
いつもより話しかけてこない。
(……なんだ?)
気になる。
でも聞くほどでもない。
そんな微妙な距離。
◇
昼休み。
「レン」
「おう」
「ちょっと付き合って」
「どこだよ」
「いいから」
またそれだ。
でも今回は――
いつもより少しだけ強引だった。
◇
校舎裏。
人気のない場所。
「……どうした」
「ん」
ユイは少しだけ間を置いてから、
「ちょっとね」
曖昧に答える。
そして、
隣に立つ。
近い。
昨日より、
確実に近い。
「……なんかあったのか」
「別に」
即答。
でも、
少しだけ声が柔らかい。
「ただ」
「ただ?」
「こうしたかっただけ」
「は?」
意味が分からない。
そのまま数秒。
風の音だけが通る。
◇
「レンさ」
「なんだよ」
「手、冷たい?」
「は?」
唐突すぎる。
「いや、普通じゃねえの」
「ふーん」
そう言って――
ユイが、
ほんの少しだけ手を伸ばした。
「ちょ――」
触れる。
一瞬だけ。
指先が、
軽く触れた。
「……」
「……」
すぐに離れる。
でも、
その一瞬で十分だった。
「……何してんだよ」
「確認」
「何のだよ」
「秘密」
またそれか。
でも――
今のは、
ちょっと反則だろ。
◇
「レン」
「……なんだよ」
「びっくりした?」
「してねえよ」
「嘘」
即答。
「顔に出てる」
「出てねえ」
「出てる」
少しだけ笑う。
いつものユイに戻ってる。
でも、
さっきの一瞬だけは――
違った。
◇
「ごめん」
「……は?」
珍しく謝る。
「ちょっとだけ、試した」
「何をだよ」
「レンの反応」
「やめろそういうの」
「でもさ」
ユイは少しだけ目を細める。
「ちゃんと嫌がらなかった」
「……」
言葉に詰まる。
否定できない。
「それで分かった」
「何がだよ」
「ううん」
首を振る。
「やっぱりまだ秘密」
◇
チャイムが鳴る。
「戻るか」
「うん」
歩き出す。
さっきより、
少しだけ距離が近い。
気のせいじゃない。
でも、
さっきみたいに触れてはこない。
◇
放課後。
「今日はどうする」
「寄り道」
「即答かよ」
「うん」
当たり前みたいに言う。
でも今日は――
「昨日のとこじゃないよ」
「じゃあどこだよ」
「歩きながら決めよ」
「適当だな」
「いいでしょ」
◇
並んで歩く。
ふと、
さっきの感触がよみがえる。
一瞬だけの、
あの触れ方。
(……なんなんだよ)
気になる。
でも、
聞いたら終わりな気がする。
◇
「レン」
「なんだよ」
「さっきのこと」
「……」
先に来た。
「忘れていいよ」
「は?」
「なんとなくだから」
「……お前な」
軽すぎる。
でも――
「でも」
ユイが少しだけこっちを見る。
「嫌じゃなかったなら、それでいい」
「……」
また、
言葉が詰まる。
◇
「レンってさ」
「なんだよ」
「ちゃんと受け止めるよね」
「意味分かんねえ」
「分かんなくていいよ」
少しだけ笑う。
「そういうとこ、好き」
「……は?」
心臓が一瞬止まる。
「言い方軽すぎるだろ」
「そう?」
「そうだろ」
「じゃあ訂正」
一歩だけ前に出て、
振り返る。
「ちょっと好き」
「変わってねえよ」
「そう?」
笑う。
いつも通り。
でも――
さっきより少しだけ、
逃げ場がない。
◇
帰り道。
今日も別れ際。
「じゃあね」
「おう」
少しだけ間。
「レン」
「なんだよ」
「明日も来る?」
「……行くに決まってんだろ」
「うん」
安心したように頷く。
「じゃあいいや」
◇
背中を向けるユイ。
少し歩いてから、
また振り返る。
「なんだよ」
「今日はね」
「うん」
「昨日より、もっといい日だった」
「……そうかよ」
「うん」
満足そうに笑う。
そして今度こそ去っていく。
◇
一人になる。
ふと、
右手を見る。
さっき触れられた場所。
何も変わってないはずなのに――
少しだけ、
熱が残ってる気がした。
◇
まだ、
名前はない。
でも――
確実に、
昨日より近い。
ほんの少しだけ、
踏み込んだ距離。
それを、
嫌じゃないと思ってる自分がいる。
むしろ――
もう少しだけ、
進んでもいいかもしれないと、
そう思い始めている。




