第40話
それから二週間。九十九の日常はとても充実していた。
――とある金曜日の体育――
「九十九!」
「ナイスパスッ!」
九十九の放ったシュートが、ゴールネットに突き刺さる。ホイッスルが鳴り、試合終了。チームの皆とハイタッチする九十九を見て、クラスメイトも歓声を上げる。
「……何か、最近明るくなったよな。九十九君」
「分かる。前はちょっと壁あったっていうか……めっちゃ良い奴なのは変わらないけど」
「勉強できて、運動もできて、気さくで、顔も良いってか。そりゃ女子もああなるわ」
「……何か九十九君良くない?」「え、分かる。めっちゃ推せる」「あんなカッコよかったっけ?」「でも彼女いるんでしょ?」「マジ⁉︎」
――とある月曜日の放課後――
「やぁ九十九君。君から相談なんて珍しい」
「僕を一番分かっているのは、春先生ですので」
職員室で二人向き合い笑い合う。遠くから聞こえてくる野球部の掛け声と、他の教師達が走らせるペンの音が、静かな室内に微かに響いている。
「失礼します」と教師用の椅子に座った九十九に、春國はジュースを差し出した。
「良いんですか?」
「私と君の仲だろう?」
「ありがたくいただきます」
九十九は貰ったジュースを手の中で遊ばせながら、「早速なんですけど」と切り出す。
「春先生って、何で教師になったんですか?」
「おや、教師に興味がおありかい?」
「そういうわけではないのですが、」
「ふふっ。そういえば、最近同じことを聞かれたね。単純に、人が好きだからだよ」
「なるほど。……僕、これからの自分に不安を覚えているんです。将来どうなって、何をしていくのか、漠然とした恐怖がある」
「不安? 君がかい?」
「はい。だから先生の考え方を参考にしたくて。……春先生は高校生の頃、どんなことを考えて生きていましたか?」
「……くくっ、私が高校生の頃かぁ。面白い質問だね」
上品に口元を隠して笑う春國を見つめながら、九十九は真剣な面持ちで返答を待つ。
「今の君達と、そんなに変わらないと思うけどなぁ。参考にならないと思うよ?」
「構いません。そこから拾える物もあるかもしれないので」
「はいはい。何か小っ恥ずかしいなぁ」
三十分ほど話し合い、九十九は席を立ち頭を下げる。
「お時間取っていただきありがとうございました」
「いいよ、私も楽しかったし」
「また明日来ます」
「明日も来るの⁉︎」
「では、」と去っていく九十九の後ろ姿を見送った春國に、近くで聞いていた男性教師が肩を寄せる。
「まじめだね、九十九君。やっぱり才能を持ちすぎてると、色々悩んじゃうのかね?」
「……子供はあれで良いんですよ。人は悩んだ分成長しますから」
「流石春國先生! 良いこと言うね〜。……この後一杯どう?(ボソッ)」
「おっ、良いですね。ごちになります(ボソッ)」
「こんのっ、こういう時だけ調子良いんだからよ」
職員室から、楽し気な笑い声が響いてくる。スマホを取り出した九十九は、『まだかしら?』という文句と共に送られてきた、風穴の空いたサンドバッグの写真を見て吹き出してしまう。彼女の拳を受け続けてガタが来ていたのだろう。最後くらい、優しく供養してあげよう。
九十九は未開栓のジュースを揺らしながら、秘密基地へと向かった。
――とある土曜日の夕方――
バーベルが吹っ飛び、弾丸がソファに穴を開ける。黒月の振り下ろした拳が壁にめり込み、振動と共に白色灯が明滅した。
その拳にアイギスの触腕が絡みつき、同時に踏み込んだ九十九がナイフで彼女の首を狙う。
しかし黒月は拘束された腕に万力を込め、割り込んだアイギスごと九十九をラリアットで吹っ飛ばした。
「馬ッ鹿力がッ⁉︎」
「ちゃんと守らないと死んじゃうわよ? ほら、次はどうするの?」
踏み込む黒月を視界に捉えた九十九は、地面を転がりながら引き金を引く。
「ッガルム、目と喉を狙え‼︎」
「ッグルァア!」
「っ、容赦ないわね」
首を逸らし弾丸を躱した黒月が、その場で半回転。背後から飛びかかってきたガルムを、後ろ回し蹴りで破裂させた。
ガルムの残骸が飛び散った――直後に空中で再生。四足で着地すると同時に地面を蹴り、黒月に背後から牙を剥くも、拳で顔面を潰される。しかし即座に再生。ガルムは彼女の腕に噛みつき、全力で牙を立てた。
九十九はコンクリ柱に背を預けながら、拳銃のマガジンを交換する。周囲に散らばったトレーニング用具を一瞥した後、彼女の動きに集中する。
「ハァ、ハァ、っアイギス、僕の合図で彼女を拘束、周囲の重量物をぶつけろ。ガルム準備。スリーカウント」
黒月に顔面を半分抉り取られたガルムの耳が、ピクッと反応する。
「三、二、一、――ッ今!」
「ッグ⁉︎」
九十九が柱の影から飛び出すと同時に、ガルムとアイギスが入れ替わる。いきなり消えたガルムに黒月の蹴りが空ぶり、その足を捕らえたアイギスが彼女の全身に巻きつき拘束。四方八方に触腕を伸ばしてダンベル、バーベル、プレート、サンドバッグ、冷蔵庫を吸着し、直後一気に引き寄せた。
「まっ――カッハ⁉︎」
全身に重量物を叩きつけられミノムシ状態になった黒月へと、九十九が銃を発砲しながら全力疾走する。顔を守る黒月に肉薄し、
「フゥッ‼︎」
逆手に持ったシースナイフを、彼女の首めがけて思いっきり振り抜いた。
「――ッチィ‼︎」
「んなっ⁉︎」
しかしあろうことか、アイギスの拘束を無理やり引きちぎった黒月が、強引に手を伸ばして九十九の腕を掴む。瞬間、九十九の視界が天地逆転した。
「ガッハ⁉︎」
背中を地面に強打した九十九の肺から、一気に空気が抜ける。咽せる暇もなく、振り抜かれた黒月の足が眼前に迫る。
「フンッ‼︎」
「ッアイギ――ッゥガハ⁉︎ ゲホッゲホッ⁉︎」
黒月の蹴りをくらってアイギスの半分が爆散。吹っ飛んだ九十九が天井にバウンドし、壁に激突して転がった。盛大に咽せる九十九は、地面に手を突いて起き上がり、グラつく視界の中でナイフを振り上げる。
しかし最後の抵抗虚しく、手を掴まれて壁に押し当てられてしまった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……フゥ〜〜」
「ヒュー……ヒュー……ゲホッゲホッ……ハハっ」
……至近距離から聞こえる荒い息遣いに終わりを悟り、九十九はナイフを手放した。
額を伝う血。汗ばんだ口元に張り付いている、数本の髪の毛。興奮で瞳孔が開いた目と、火照った頬。
ジト〜っと睨んでくる黒月を目に、九十九はイタズラっぽく笑う。
「……ほら、防弾の冷蔵庫にして良かったでしょ?」
「……バカ」
手を離され、限界だった九十九の体がガクンッと落ちる。「ちょっ」という彼女の声を最後に、九十九の視界はブラックアウトした。
――とある火曜日の夕食――
ジャケットを着た九十九は、レストランの前で待っていた母に手を振る。二人で席に着き、ドリンクの注文を済ませてナプキンを膝の上に広げた。こういう時だけは、僕も早くお酒を飲んでみたいと思ってしまう。
「それじゃあ、依絆の日々の成長に」
「母さんの日々の健康に」
「「乾杯」」
サーブされたオードブルに手をつけようとした時、母が「あら」と呟く。
「あなた、怪我しているじゃない」
「っ……あぁ、うん。ちょっとサッカーで転んじゃって」
「首にも痣ができているし、……まさか、虐められて」
「母さん。今の僕が、虐められるような男に見える?」
「きっと他の男子に妬まれて」
「母さん。母さん、絶対に外で言わないでよそれ。不登校になるからね?」
「ふふっ、冗談よ。怪我には気をつけるのよ?」
「分かってる」
「ところで、あなたくらいの年頃なら、浮ついた話の一つや二つありそうだけど」
「母さんっ」
――とある土曜日のハイブランド服店――
「うわぁこれ超可愛い〜! どう九十九さんっ?」
「うん、とても似合っているよ。……買っちゃおっか?」
「ん〜っ九十九さん大好き!」
ハイテンションで試着しまくる姫を、九十九と妃永は温かい目で眺めていた。
「まったく、ブランドに固執するような子にならないか心配だわ」
「安心してよお姉ちゃん! そんな下品な女にはならないからさ!」
カーテンから顔だけ出した姫が、ニパっと笑ってまた引っ込む。
「……姫ちゃんって案外毒舌だよね?」
「純粋で正直なのよ。私の妹だもの」
「とんでもない説得力だ」
腿を軽くつねられ、九十九は「解せん」と抗議する。
「でも、本当に良かったの? あの子、ちゃんと買ってもらう気よ?」
「美しい服が何のためにこの世にあるか、黒月さんには分かる?」
「何でかしら?」
「美しい人に着られるためだよ」
「あら、そうだったの」
立ち上がった黒月が、幾つかの服を物色して持ってくる。
「……それは?」
「私に着てほしいって。だからよろしくね、依絆くん?」
「……黒月さんのそういうとこ、嫌いじゃないよ」
「キモいわね。死になさい」
「わっ⁉︎ ちょ、お姉ちゃん⁉︎ 何でおんなじとこ入ってくんの⁉︎」
――とあるイベント前日――
八月になり、世間はすっかり夏休みムードだ。僕の高校も、昨日から夏休みに入った。自宅のソファで寛いでいた九十九は、文庫本のページを捲り、ストローに口をつける。
『プレイヤー専門の医療施設には行った?』
「うん。体調は万全にしておきたいからね。君につけられた傷も治してもらったよ」
『あなたが弱いからついたのでしょう? 人のせいにしないでもらえる?』
ビデオ通話の奥では、黒月が原っぱでストレッチをしている。
「前日はしっかり休もうって、黒月さんが言ったのに」
『少し体を動かしたくなっただけよ。ジョギングしたら帰るわ』
「怪我しないようにね。それで、明日どうする?」
『鴉は十五時に来るのでしょう? なら九時に集まって、少し体を動かしましょう』
「分かった」
九十九は立ち上がり、焼き菓子をつまみながらジュースを補充する。
「……どう? 緊張してる?」
『まさか。あなたは?』
「緊張はしているけど、それ以上に楽しみな自分がいる」
『なら充分よ。それじゃあ、また明日』
「うん。また明日」
まるで学校の帰り道のように軽く、九十九はスマホの通話を切った。




