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DEATH TERRARIUM  作者: 美味いもん食いてぇ


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第37話


 帰り道、川沿いを歩く九十九は、憑き物が落ちたような顔で月を見上げていた。夜空に差す一筋の光芒。明確な道が引かれた今、僕はもう迷わない。迷わないで済む。彼女のおかげで。

 ……九十九は鳴り続けているスマホを取り出し、通話ボタンを押した。


『っ依絆? 依絆なの⁉︎ あぁ良かったぁ』


「ごめん母さん、友達の家にいた」


『は⁉︎ な、何を言っているの⁉︎ 聞いたわよ⁉︎ 塾も学校も休んで、今までずっと友達と遊んでいたの⁉︎ お昼から⁉︎ 何で返信もしてくれないの⁉︎ どれだけ心配したと思っているのよ⁉︎ はぁ、はぁ、っ……依絆?』


「……母さん、帰ったら話がある」


『え? ちょっと、依絆⁉︎ どういう』


 ブツッ、と通話を切った九十九は、スマホをしまって深呼吸する。


「……さぁ、気合い入れろよ僕。生まれて初めての反抗期だ」


 清々しくも悪い笑みを浮かべ、九十九は意気揚々と帰路についた。


 ……午後二十一時。

 九十九帰宅。彼は自宅のドアノブの前でもう一度深呼吸し、一気に玄関ドアを開いた。リビングから、ガタッと母が立ち上がった音がした。


「ただいま」


「お、お帰りなさい」


 玄関を抜け、リビングの扉を開く。飛びついてきたアゲパンを撫でながら、九十九は大テーブルに目をやった。母がいた。椅子に座り直した母の顔は、白を通り越して青ざめていた。……悪いことをしたな。

 九十九は内省しながら、椅子を引いて席に着く。


「……」


「……」


 ……無言の数秒。先に切り出したのは九十九だった。


「まず、勝手に学校を休んで、勝手に塾を休んで、連絡を無視してすみませんでした」


 頭を下げる九十九に、母がゆっくりと口を開いた。


「……うん。私もいきなり怒鳴ったりしてごめんなさい。あなたのことが心配で、取り乱していたの」


「分かってる」


「……それで、何でこんなことをしたか説明してくれる? 今は本当に大事な時期だし、周りの特進クラスの子達も頑張っているでしょ? 一日休むだけで、一気に離されてしまうのよ? でも大丈夫、お母さん分かっているから。その友達に誘われたんでしょう? 学校と塾をいきなり休むなんて、普段の依絆ならしないもの。依絆は優しいから、断れなかったんでしょう? もうその友達と関わるのはやめなさい。依絆が断れないなら、お母さんが」


「……そういうのが嫌で、無視したんだよ」


「……ぇ?」


 怒気の込もった低い声に、母の体がビクッと固まる。……見たこともないほど冷たい、息子の瞳。自身の喉元にナイフを突き付けられているような、そんな威圧感に気圧され、母は本能的に息を止めた。


「……い、依絆?」


「母さん、僕も今気づいたんだけどさ、……僕、友達のことを否定されるの嫌いみたい。二度としないで」


「わ、分かったわ。ごめんなさい」


「いいよ」


 微笑む九十九に、完全に場の主導権が渡った。


「先に言っとくけど、学校を休んだのは僕が行きたくなかったからだし、昼はアゲパンと公園で遊んで、昼寝したら塾に間に合わなくて、面倒臭かったから休んで新宿をぶらついていたら、友達に会って夕食をご馳走してもらっただけだから。今日の大半はずっと一人で過ごしていたよ」


「な、何でいきなりそんなこと……」


「母さん、いきなりじゃないんだよ。……ふぅ。これからこの十七年間で、僕が思っていたことを全て話すね」


「え?」


「幼稚園の時、劇の主役に立候補させたの覚えてる? 全員の前で歌を歌わされて、母さんは褒めてくれたけど、僕は恥ずかしくて泣きそうだったよ。

 小学生の時、毎週通っていたスイミングスクール。僕が辞めたいって言っても、《せっかく続けたのに》って聞いてくれなかったよね。

 英語教室で帰国子女だらけのクラスに入れられた時も、母さんは褒めてくれたけど、僕が陰でバカにされていたの知らないでしょ?

 ピアノの練習が嫌で泣いていた時、母さん言ったよね。《上手なのにどうしてやめたいの?》って。上手でも楽しくないものは楽しくないんだよ。

 クラスメイトと喧嘩した時も、僕が悪くないって言っているのに、《大人な方が謝るのよ》って無理やり謝らせられたの、あれ死ぬほど悔しかったよ。

 図工の作品の提出前に、《ここちょっと直しておくわね》って母さんが手を入れたの、今でも覚えてる。褒められたけど、あれは僕の作品じゃなかった。

 プログラミング教室も、全然分からなくて不安だったのに、《あんなに楽しそうだったじゃない》って、何をどう見たらその感想が出てくるのか不思議でならなかった。

 書道も楽しくなかったし、華道も茶道もテニスもスキーもバイオリンもディベートも楽しくなかった。

《委員長をやりなさい。良い経験になるから》って言われてやったけど、あんな雑務押し付けられるだけの仕事やりたくなかった。

 生徒会に推薦された時も、僕が向いていないって何度も言ったのに、《周りが期待しているのよ》って、僕の意思はいつも後回しだった。

 志望大学の話し合いで、《医学部にしなさい》って言われた時、僕の将来は僕のものじゃないんだなって思った。

 何より、自分の意見すらまともに言えない自分が大嫌いだった」


 顔を覆った母の手の隙間から、ポタポタと涙が零れ落ちる。母は首を横に振り、掠れるような声で懇願した。


「……ごめんなさい、ごめんなさいっ。もうっ、いいから」


「ダメ、聞いて」


「依絆、許してっ」


「幼稚園の時、運動会のかけっこで転んで泣きそうになった僕に、全力で駆け寄って来てくれたよね。《よく頑張ったね》って泥だらけの僕を抱き締めてくれたの、今でも覚えているよ」


「……ぇ?」


「小学生の時、風邪を引いて寝込んだ日、母さん仕事全部キャンセルして看病してくれたよね。あの時作ってくれた卵雑炊、味はちょっと濃かったけど、凄い美味しかったよ。

 日曜の夜、一緒にテレビを見て、ソファで笑い転げるのが僕の楽しみだった。

 ピアノの発表会で本番前に震えていた僕の手を、何も言わずにずっと握っていてくれたでしょ? あの温もりだけで、僕はステージに立てた。

 言い合いの喧嘩になった次の日は、僕の好きなプリンを買って帰ってきてくれたよね? 謝罪のメモ付きで冷蔵庫に入れてくれて、どれだけ僕が悪くても、いつも最後には母さんが謝ってくれた。今だからこそ、母さんの優しさが分かるよ。

 大事なテストの期間は、一緒に夜更かしして夜食を作ってくれるの、本当に嬉しい。

 春のお花見も、秋の紅葉狩りも、学校の運動会とかも、大事な行事の時は、必ず母さんがお弁当を作ってくれたよね。母さんはいつも《下手でごめんなさい》って笑うけど、僕にとっては世界一のお弁当だったよ。特に甘い味付けの卵焼きと、不恰好なタコさんウィンナーが好きだったかな。

 夏祭りに履いた草履で、僕が靴擦れしちゃった時、母さんおんぶして祭りを回ってくれたよね。あの時母さんの背中から見た打ち上げ花火は、今でも僕の目に焼き付いているよ。

 クリスマスの朝、枕元にある手紙付きのプレゼント。毎年くれる誉め殺しの長文手紙は、宝物としてとってあるよ。隠す気なさすぎて、小一の頃にはサンタがいないって気づいちゃったけどね。

 たまに一緒に行くレストランで、母さんが仕事の話とか聞かせてくれるのも、僕にとっては大人扱いされているみたいで、ちょっと誇らしかった。

 ……母さん、悪いことなんて霞むくらい、僕は母さんに沢山のものを貰っているよ」


 目を見開いてボロボロと涙を流している母に、九十九は照れ臭そうに笑う。


「一緒に話したかったことが山ほどある、話さなければいけないことが山ほどあった。それを怠ったのは僕だ。なのに勝手に孤独感を感じて、こことは別の場所に自分を探しに行っ⁉︎ っとと」


 助走をつけて抱き締めに来た母を、九十九は素直に受け止める。

 嗚咽で上下する背中を撫でて、初めてその薄さに、華奢さに気づいた。あの夏祭りで感じた、大海のような背中はもうない。背丈も、力も、いつの間にか超えてしまった。……とっくのとうに、僕が支える番だったんだ。


「ヒグッ、ごめんなさいっ、依絆っ、ずっと苦しい思いをさせてっ、ごめんなさぃっ」


「話聞いてた? 母さん。謝罪させてほしいんだけど」


「依絆が謝ることなんて、何一つないでしょ! グスッ、忙しいのを言い訳にして、あなたの優秀さに甘えていたのは私よ。……依絆の心が、この家から離れていっているのは薄々感じていたの。それが怖くて、お金を渡すことでしか、私自身に存在意義を見いだせなくなっていたのよ。自業自得なのにね?」


 涙を拭き力なく笑う母が、隣の椅子に腰掛ける。


「いつの間にか自分の理想を押し付けて、依絆の気持ちをこれっぽっちも考えていない毒親に成り下がっていたわ。あなたはもう立派な大人なのに、いつまでも子供扱いして……。依絆、もう一度チャンスをくれなんて言わないわ。失敗した時にはもう遅いって、そう言い聞かせてきたのは私だもの。だからこの先、あなたの邪魔は一切しない」


「あ、いや」


「家を出ていくと言っても、私は止めないわ。自由にやりたいことを、やりたいだけやりなさい。たまに声を聞かせてさえくれれば、お母さんはそれで良いから」


 覚悟を決めた母の笑顔は、どうにも悲観的で。……違うんだよなぁ。

 溜息を吐いた九十九は、リュックの中をゴソゴソと漁る。


「まったく、母さんは極端なんだよいつも」


「え?」


「僕が言いたいのは、――はい」


 ……ひとひらの赤い花弁がふわりと舞い、静観していたアゲパンの鼻に落ちた。深紅の花弁が深い愛情を告げ、淡い桃色の花弁が優しさと気恥ずかしさを添える。決して華美ではないが、二色のカーネーションが束ねられたブーケには、確かな想いが込められていた。



「ありがとう、母さん。これからもよろしく。ってこと」



 ……目の前のブーケを見て、母の思考が過去に飛ぶ。彼女の中で、ついこの前ピクニックでタンポポをくれた息子と、眼前で恥ずかしそうに花束を持つ息子が重なった。


「ッ……っこちらこそ、よろしくね。ありがとうっ」


 胸の前でブーケを握り、崩れ落ちた母に九十九は頬を掻く。必死に嗚咽を我慢しようとする声と、床に落ちる涙を見て、静かに母の背中をさすっていたその時。


「ブシュンッ!」


「っわ⁉︎」「っ⁉︎」


 我慢の限界に達していたアゲパンが、鼻の上に乗った花弁をくしゃみで吹き飛ばした。しんみりとした空気の中に、突然弾けたマヌケな音。


「……ぷっ」


 顔を見合わせて笑う二人に、アゲパンの尻尾はヘリコプターの如く回転していた。




「……ふぅ」


 九十九は一人湯船に浸かりながら、浴室の天井をぽけーっと見つめていた。

 ……体が軽い。十七年分のおもりを一日で外したのだ。この開放感は、きっと今日しか味わえない。九十九は目を瞑り、今一度黒月への感謝を噛み締める。


 母と話し合った結果、塾は一週間に三回。自習は好きな時に行けば良いことになった。その代わり今のレベルを維持するのが条件だが、今までの母さんを思えばとんでもない譲歩と言える。

 友人と仮想通貨諸々(ゲーム)で小銭を稼いでいるのも明かした。少し不安そうではあったが、とりあえず受け入れてはくれた。僕の目的がゲームな以上、これからも大金が入り続ける予定だ。ある程度貯まったら、怪しまれないようにペーパーカンパニーでも建てるか。

 九十九は傍に置いていたスマホを取り、とある連絡先に発信する。


『はい』


「昨日ぶりです。いきなり電話かけてすみません」


『おやおや、九十九様ではありませんか。この番号にかけてくださったということは、専属契約を期待しても?』


「それはもう少し考えさせてください。まだまだ余裕はありませんので」


『ハハハ、謙虚なお方だ。して、ご用件は?』


「個人的に、少しお願いしたいことがありまして」


『……ふむ。申し訳ございませんが、契約をしていない鴉が、個人的にプレイヤーの指示を受けることは禁止されているのですよ。九十九様の力になりたいのは山々なの』


「失礼、言い方が悪かったです。お願いというより、助言に近いかもしれません。これは本来、あなた方運営が迅速に対処しなければならない問題ですので」


『……と言いますと、あの件ですか?』


「はい。調べてほしい方がいます」


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