第36話
「……黒月さん、ちょっと相談しても良いかな? 一人じゃ解決できそうになくて」
「何かしら?」
「僕、さっきまでTERRARIUMを辞めようと思っていたんだけど」
ゴトンっ、と音のした方に目を向けると、振り向いた妃永が目を見開いたまま固まっていた。ドレッサーから落ちた高そうな化粧水が、九十九の足元まで転がってくる。
「……そ、そうなの」
「うん。はい」
「ありがとう。……」
九十九は化粧水を手渡し、クッションに腰を下ろす。
「……黒月さんは、僕がいなくなったら悲しい?」
「なっ、はぁ? 悲しいわけないでしょ? 少し話したくらいで、私があなたをす、好きになるとでも思ったの? はっ。典型的な陰気男の思考ね。どうせいつも教室で一人机に突っ伏して、女子に話しかけられたこともなく、体育の授業では一人余るような人生を送ってきたんでしょう? 汚れた劣情が透けて見えるわよっ」
「オーバーキルだよ」
九十九は息を荒くする黒月を笑い、腕を枕にして天井を見上げた。
「黒月さんはさ、異能がどうやって生まれるか知ってる?」
「……ええ。マイナス感情の具現化でしょ?」
「うん。僕、昨日それを知ってさ、異能の詳細を見れる人に見てもらったんだけど」
「待ちなさい。……やっぱりあなた、私に相談もなくゲームに参加したのね。道理で位置情報がおかしくなったわけだわ(ボソッ)」
「うん、ちょっと怖いからスルーするね。そこでできた友人に見てもらったところ、どうやら僕の異能は、他人からの愛情や好感情を具現化したものらしい」
「……自分ではなく、他人の?」
「ね、僕も驚いた」
少し考えていた黒月が、「なるほど、理解したわ」と化粧水を顔につける。
「要するにあなたは、ずっと誰かに肯定されたかった……いえ、ゲーム終わりの興奮具合を見るに、自分が肯定される場所そのものが欲しかった。と言った方が正しいのかしら」
「……自分の本心を見透かされるというのは、何とも恥ずかしいね」
「それで何でやめようなんて……あぁ、そういうこと」
黒月が椅子を回し、寝っ転がる九十九を見下ろした。
「TERRARIUM以外にも、自分を受け入れて、肯定してくれる場所があったと知ってしまったのね」
「心理カウンセラーにでもなったらどうだい?」
「他人の心理になんて微塵も興味がないわ」
「心理カウンセラーにだけはなっちゃダメだね」
互いに少しだけ頬を緩め、九十九は上半身を起こす。
「僕はずっと、母さんとアゲパンに守られていた。二人がいるのは日常で、でも僕が楽しいと感じたのは非日常だった。表と裏、どちらを選ぶべきなのか分からなくなっちゃってね」
「くだらない」
「……ず、随分とバッサリだね」
若干動揺した九十九を、妃永は足を組んで冷めた目で見下ろす。
「あなたこそ、随分と贅沢で、傲慢な悩みね。世の中には、生まれながらにして居場所がない人間もいるのよ。生まれながらの勝ち組には、絶対に分からないでしょうけれどね」
「……」
今更気づいた。こんな話、彼女にとっては地雷以外の何ものでもない。何をやっているんだ僕はっ。結局自分のことしか考えていないじゃないか。
「ごめん。もう解決したから、この話やめ」
「それに、答えなんてもう出ているじゃない。何をぐちぐちと言い訳ばっかり並べて、自分で問題をややこしくしているだけじゃない」
「……え? 答えって?」
「は? あなたが楽しいのはTERRARIUMなんでしょ? だったらずっとこっちにいればいいじゃない」
「ゲームでもし死んだら、母さんとアゲパンが」
「死ななければいいじゃない」
「僕を育ててくれた居場所を裏切るわけには」
「その育ててくれた居場所に不満だったから、こっち側に来たのでしょう? そもそも日常に居場所があったことに気づけたのも、TERRARIUMのおかげじゃない。依絆くん、あなた何か勘違いしているわよ? 二人の愛情が依絆くんに気づかせたんじゃないの。異能が二人の愛情に気づかせたの」
「で、でも」
「なら考えてみなさいよ。もし依絆くんがゲームに出会わなかったら、今頃どうなっていたのかしらね? どうせ自分の居場所はここにはないとか言って、東横辺りでバカガキと肩を並べる親不孝者になっていたんじゃないの?」
「……」
「図星じゃない。あなた少し考えすぎなのよ。表裏は常に一体でしょ? なら表と裏、どっちも選んで何が悪いのよ?」
……九十九は口を半開きにしたまま、妃永の仏頂面を見上げていた。
……完全論破だ。反論する余地もない。え? そうじゃん。僕がこんな贅沢な悩みを持てるようになったの、全部ゲームに参加してからじゃん。ゲームがなかった世界線の僕なんて、グロすぎて想像したくもない。
固まってしまった九十九を鼻で笑い、妃永は足を組み替えて吐き捨てた。
「あなたの人生でしょう? どうせ死ぬなら、楽しい方を選びなさいよ」
「――っ……」
天啓であった。神託であった。九十九の価値観の中に、新たに刻まれた言葉であった。九十九は見た。
――己の中にあった汚泥が、一瞬にして晴れ渡る様を。
「……神よ」
「バカじゃないの?」
拝む両手を軽く蹴り、妃永は緩んでしまいそうな頬を隠すように椅子を回す。
「……それにその、あれよ。私だって、あなたのことは認めているし、少しは気持ちが分かるから、その…………次辞めるとか言ったら殺すから」
妃永の背中を見つめたまま、九十九は驚き目を丸くする。手が忙しなさすぎてフェイスパックができない彼女に、九十九は思わず。
「プフッ、アハハハっ」
「っ⁉︎ な、何がおかしいのよ⁉︎」
振り返った妃永は、真っ赤な顔を隠すようにビチャッ! と適当にフェイスパックを貼りつける。
それがまた面白くて、九十九は拳を握り締めた彼女から這って逃げる。
「ふぅ、ふふっ、ちょ、待て待て、おかしくなんてないよ」
「爆笑しているじゃない! このっ、相談なんて乗らなければ良かった!」
「そんなこと言わないで。今の言葉で、どれだけ僕が助かったと思っているんだ?」
「どれだけよ?」
「そうだね。……今まで稼いだ賞金、全額君達に渡したって良い」
「なっ」
「それくらい感謝しているよ。僕は」
九十九は立ち上がり、「清々しい気分だ!」と思いっきり伸びをする。
「物件相談の中にもあったけど、近々引っ越すんでしょ?」
「え、ええ。あなたとの共同物件も買わないとだから、その分も考慮して」
「君達の引越し代、初期費用諸々は全部僕が出すよ」
「何言って⁉︎」
「その分稼いで、共同物件の購入にも遅れないようにするから、安心して」
「そういうことじゃなくて!」
九十九は自分のリュックを背負い、両手を広げた。
「僕は君達姉妹に惚れた!」
「ッは⁉︎」
「ぅへ⁉︎」
お風呂から帰ってきた姫も、突然の告白に髪を拭いた状態のまま固まる。
「その生き様に、信念に、僕は感謝し、感銘を受けた。そして僕は今、テンションが高い! たぶん、頼まれたら何でもやってしまうくらいには昂っている!」
「ブランド服着てみたい!」
「良いだろう!」
「ちょっと姫⁉︎」
「連絡先ちょうだ〜い」「次の休みにする?」「その日部活あるかも」などと勝手に進んでいく話と、何より乗り気な九十九に、妃永はビキビキと青筋を走らせる。
「依絆くん、うちの妹に手出したら、生まれたことを後悔させるからね」
「心配しないで。僕にとっても、姫ちゃんは妹みたいなものだから」
「あっは! それダメなやつ〜!」
イェイイェイとハイタッチする姫と九十九に、妃永は溜息をつきながらも吹き出してしまう。玄関で靴を履く九十九の背中を、二人が名残惜しそうに見つめる。
「……九十九さん、今日泊まってけば?」
「あははっ、流石に無理だよ。また今度遊ぼ?」
「は〜い」
ドアを開けようとした九十九に、静観していた妃永が慌てて口を開く。
「ね、ねぇ依絆くん」
「はい?」
「あなたの相談にも乗ったのだから、私も一つ質問して良いかしら?」
「何なりと」
「あなたが嫌いな人間の特徴を教えてちょうだい」
「嫌いな?」
考え込む九十九を前に、姫が「好きなタイプ聞けば良いのに(ボソ)」と小言を言い、妃永に睨まれる。
……改めて考えてみると難しいな。面倒だなと思ったことは多々あれど、嫌いまで行ったことはない気がする。
九十九は顔を上げ、顎に手を当てたまま答える。
「快楽で人を殺す人間かな。僕の信条の真逆だし」
「……」
「そんなの全員嫌いでしょ〜。違うよ九十九さん、好きになれないっていうか、恋愛対象にならない人! 教えて!」
「そっちの方が難しいな。……強いて言うなら、陰口を言う女性?」
「私言わないよ! ねっ、お姉ちゃん?」
「っ? え、ええ」
ふんすと鼻を鳴らす姫に、九十九は微笑みを返す。「答えになってた?」と問う彼に、妃永は小さく頷いた。
「じゃ、またいつか。お邪魔しました」
「バイバーイ!」
「気をつけて」
閉まるドアを見届け、姫はニヤニヤと姉を見上げる。
「……九十九さん、私が貰って良い?」
「っ、いつまでバカなこと言っているの? ……そういうのは、彼が決めることでしょ」
「じゃあ早い者勝ちね〜」
「っ⁉︎ ちょ、ちょっと姫! 彼はやめておきなさい! えっと、ムッツリ! ムッツリスケベよ彼!」
「九十九さん陰口嫌いだよ〜。それに男の子なんて全員スケベでしょ」
「ぐぅっ」




