第17話
一休み中に来たお手伝いさんに挨拶し、アゲパンと散歩に出かける。
近くの公園で一頻り遊んだ後、昼寝を始めたアゲパンを家に置いて塾に向かった。
……自習室で虚空を見つめていた九十九は、他人のくしゃみで我に帰る。
気づけば、一問も解かずに三十分が経過していた。
塾に来てから、まだ三時間も経っていないというのに。……ダメだ、今日は帰ろう。
九十九は溜息を吐き、勉強道具を片付け始めた。
塾を出ると、燃えるような夕焼けが新宿の街を照らしていた。昼と夜の狭間、この街が唯一緩慢となる時間。
九十九はスマホ片手に、赤く染まった繁華街を散歩する。
画面に映し出されているのは、今朝届いていた一件のメール。『重要』と書かれたこのメールのせいで、今日の九十九は心ここに在らずであった。
それは【TERRARIUM】運営から送られてきた、諸々の注意事項やゲームに関する説明。最低限頭に入れておくべき内容である。
九十九は適当なカフェに入り、長ったらしい文章を今一度頭の中で整理する。
注意事項で主に重要そうだったのは、
・プレイヤー同士の関係は基本自由だが、他プレイヤーへの過剰な干渉にはペナルティが科される可能性あり。
・ゲーム外での異能の使用は禁止。※鍛錬や自衛の場合を除く。
の二点。
ゲームルールに関する物では、
・ゲームは定期的に全国各地にあるTERRARIUM(会場)で開催されており、プレイヤー自身が選び参加する。尚、参加前に知らされるのは、募集人数とタイムリミットだけ。
・各ゲームには必ず、【Survival】【Combat】【Mission】のいずれかのジャンルと、ゲームに応じたルールが存在する。
・武器の持ち込みは自由。
の三点だろうか。
他にもスポンサー契約とか、主催権利の獲得とか色々あったが、まぁいい。それよりも武器の件だ。
前回はノービスゲームだから武器が支給されていたっぽいが、本来は自分で持ち込む物らしい。これは由々しき事態だ。
九十九はパスタを頬張りながら、スマホのホーム画面にある真っ白なアプリをタッチした。
開かれたのは、スマホゲームのロビー画面のような、白黒で統一されたオシャレなUI。【TERRARIUM】の専用アプリらしい。今朝見たら勝手に入っていた。
右上にはゲーム内口座残高、八百五十万円が表示されている。ゲーム一回でこの金額を稼げるとなると、参加する人間が後を絶たないのも頷ける。
「こちらクリームソーダでございます」
九十九は画面をサッと隠し、「ありがとうございます」と笑顔で受け取る。
それより何がヤバいって、この『購買』だ。
タッチすると、売られている物がジャンル別にズラリと表示される。
その中の『武器』一覧には、恐らく本物と思われる銃火器が大量に売られていた。
僕や黒月さんみたいに、戦闘向けの異能ばかりじゃないんだ。必要な調整だとは思うが、銃口を向けられて冷静に立ち回れる自信はない。早急な異能の理解と訓練が必要だな。
月水金は塾があるから、火木土日で訓練するか? いや、いきなり通塾頻度が減ったら、母さんに連絡が行くかもしれない。それに成績が落ちるのもマズい。
九十九が手帳を取り出し、ウキウキで今後の予定を考えていた。その時だった。
「あれ? 九十九君じゃね?」
いきなり名前を呼ばれて顔を上げると、そこにはクラスメイトの男女数人が立っていた。
「き、奇遇だね」と九十九は慌てて手帳を隠す。
「それな。九十九君もよくここ来るの?」
「いや、初めてかな」
「マジ? ここ今学生の間で人気なんだよ。まさか九十九君がいるとは思わなかったわ」
道理で客層が若いと思ったんだ。しくじった。
九十九は残りのクリームソーダを一気に飲み干し、荷物を纏め始めた。
「そうなんだ。確かに料理もオシャレで美味しかったし、良いお店だと思うよ。あ、カニクリームパスタオススメだよ! じゃあまた明日!」
「え、九十九君も今から帰る感じ? じゃあ一緒にカラオケ行かない⁉︎」
「え?」
「マジで? 九十九君来れんの?」「え、賛成!」「九十九君の歌聞いてみた〜い!」
待て待て待て、どうしてそうなる?
「九十九君いつも用事あって遊べねーじゃん? この前のクラス会も塾で帰っちゃったし。時間あるなら行ってみね?」
全員の期待の眼差しを受け、九十九の笑顔が引き攣る。
それが善意だと分かっているからこそ、断り辛い。でも、すぐにでも予定を組んで色々検証したいし、あの黒犬のことも調べてみたいし。でも、ここで断ったら今後の人間関係に確実に響く。今まで作ってきた僕の人畜無害な印象が、人畜無害なノリの悪い陰キャになってしまう。高校生活でそれは死も同然だろう⁉︎
……そこで九十九は不思議に思った。
いつもの自分なら、行きたい行きたくないに関わらず、すぐに了承していた筈だ。自分という人間が、他人によって作られていることを理解しているから。
……じゃあ何で今、僕は断りたいと思っているんだ?
……その疑問は、九十九を形成する要素が、彼らではなくなった何よりの証明だった。
「無理よ。その人は私が借りるから」
突然入ってきた第三者の声に、全員が注目する。
九十九の後ろの席に、彼女はいた。
「え? ……は?」
完全に笑顔が崩れた九十九の視線の先で、彼女は熊さんパンケーキの目玉をフォークで突き刺し、優雅に髪を耳にかけた。
「ごめんなさいね。先約があるの」
「え、あ、そうなんですね! ごめんなさい勝手に誘っちゃって! 何だよ九十九君言えよ〜!」「……すっごい美人」「なになに⁉︎ もしかして彼女⁉︎」「嘘だろ九十九君……」
去っていくクラスメイトに好奇の視線を向けられ、九十九は立ったまま片手で顔を覆う。
そんな彼を彼女、黒月は鼻で笑い、熊さんの耳を切り裂いて口に入れた。




