リリアンの誤算<四> Sideリリアン
その書類を見た瞬間、リリアンの胸が高鳴った。
(やっぱり! フレア様はサミュエル様と別れるつもりね)
書類名が『婚約解消』ではなく『婚約破棄』という点が少し気になりはしたが、そんなのはリリアンにとって些末なことだった。
これでやっとフレアからサミュエルを取り戻せる、そう思ったからだ。
しかし、サミュエルはそうではなかった。
『リリアンに対して特別な感情はない。下世話な考え方をするな』
怒ったような顔をして言い募るその言葉たちが痛い。
(なぜ? なぜこんなことを聞かされなければならないの?)
それもこれも、フレアが余計なことを言ったからだ。
リリアンにはそうとしか思えなかった。
そもそも、幼馴染として親しかったリリアンとサミュエルの間にフレアが割り込んだのに。
二人の絆を歪めておきながら、自分の都合で今度は婚約破棄をするという。
心の中に不満が渦巻いて、リリアンは一瞬フレアを睨んだ。
瞬間、目が合ったような気がして、リリアンはすぐに視線を伏せる。
そして顔を覆うと泣きながら自身の潔白を訴えた。
先ほどまで少しだけ冷たさを見せていたサミュエルが今までのようにリリアンの心配をしてくれる。
これで、いつもの流れになると、フレアが謝ってこの場が収まるのだと、そう思った。
それなのに。
「リリアン様は成長してからはいたって健康だとうかがいましたわ」
確信をもったフレアの声が聞こえて、彼女は新たに数枚の書類をテーブルの上に乗せた。
『リリアン・ミュラーの健康に関する報告書』
それは、リリアンがサミュエルに隠し続けてきた嘘を暴くための報告書。
リリアンの唯一の武器を奪うための告発、だった。
報告書を読み進めるサミュエルの顔から表情が抜け落ちていく。その様を、リリアンは青ざめながら見ていた。
「リリー、どういうことか、説明してくれるか?」
「それは……」
低く責めるようなサミュエルの声に何も答えることができなくて、リリアンは一言呟いたきり震えるしかない。
そこへ、リリアンとしては予想外の助け舟が出される。
「そのことについては、この場で追求するのは止めていただきたいわ」
そしてさらに、フレアはリリアンが予想すらしなかった提案を申し出たのだった。
『サミュエルとリリアンが結婚し、ウォルス領を発展させていくこと』
フレアが求めた慰謝料はそれだけだ。
その提案を聞いた時、リリアンは呆気にとられた。
それがフレアにとってなんの得にもならない内容だと思ったからだ。
(もしかして、フレア様はやっと気づいたのかしら? サミュエル様が本当に想っている相手が私だということに)
気づいたからこそ、申し訳なく思ったのかもしれない。
「私はフレア様のことを誤解していましたわ。あとから現れてお金の力でサミュエル様を手に入れようとしている悪女だと思っていましたが、こんなに思いやりのある方だったんですね」
だから、にこりと微笑んでそう答えたのだった。
♢♢♢
サミュエルがフレアと別れ、とうとうリリアンの婚約者となった。
長年の想いが実ったと、リリアンは胸が躍るようだった。
サミュエルがフレアとの婚約破棄からの再婚約ということもあり、結婚式までの時間が短いのだけが不満だったけれど。
(本当は婚約者としての時間をもっと楽しみたかったのに……。あ! でも、ただの婚約者よりも侯爵夫人の方がいいわね)
『侯爵夫人』
なんて素敵な響きだろう……リリアンはそう呼ばれる日が待ち遠しくなった。
貧乏男爵の娘が侯爵夫人になるだなんて、まるで御伽話のようだ。
(きっとみんなびっくりするわね。そして羨むに違いないわ)
リリアンは自分の身に起こった奇跡のような物語を誰かに自慢したくて仕方なかった。
病弱と言っていたせいでリリアンは今まであまり社交に出ていない。
そのため友人も少なかった。
しかし今ではサミュエルにもリリアンが健康であることが知られてしまっているし、これからは積極的にお茶会や夜会に出席してもいいかもしれない。
煌びやかな美貌のサミュエルにエスコートされて、今まで参加する資格のなかった高位貴族の夜会に出席する自分を想像するだけでワクワクした。
(そうよ。今までの私とは違うのよ。男爵令嬢ではなく侯爵夫人。誰も私をバカにすることなんてできないわ)
これまではウォルス家の好意に甘えて作ってもらっていたドレスや購入していたアクセサリー類も、当たり前のように手にいれることができる。
(さっそく舞踏会用のドレスを作ってもらわなきゃ。もちろん、お茶会用の分も。高位貴族は同じドレスを何度も着ないっていうもの。私もたくさんのドレスが必要だわ)
そう思うと、リリアンはさっそく家令を呼ぶように侍女に命令した。
(今までみたいに街のお店に行って、値段を見ながら悩むことなんてないのよ! ウォルス邸に呼びつければいいんだもの)
これまででは考えられないような待遇を受けることができるだろう時間は、想像するだけでも楽しい。
(なるべく早く呼びたいわ。もし他の人の予約が入っていたとしても関係ない。侯爵家よりも高位の貴族なんて数えるほどしかいないもの)
多くの人にかしずかれる自分を思い浮かべながら、リリアンはその光景にうっとりと酔いしれたのだった。
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