リリアンの誤算<三> Sideリリアン
サミュエルが、結婚式という人生でも一、二を争うセレモニーよりも自分を優先してくれた。
その事実は今までで一番リリアンの心を満たした。
しかもその後もウォルス邸に帰ろうとしない。
リリアンの体調は薬が抜けるにつれ回復していったが、それでもサミュエルは傍にいてくれた。
(サミュエル様はフレア様ではなく私を選んでくれたんだわ)
リリアンがそう思ってしまったのも仕方ないだろう。
サミュエルは今までと変わらずリリアンを気遣い、仲の良い家族のように過ごした。
リリアンにとってそれは幸せな時間だった。
もしかするとこのままずっと一緒にいられるかもしれない、そんな幻想を抱いてしまくらいに平和だったのだ。
しかし、そんなことが続くわけがない。
結婚式から数日後、突然ウォルス家の家令がミュラー邸へやって来た。
そして彼の来訪を機に、とうとうサミュエルはウォルス邸に戻ってしまう。
リリアンは不安だった。
一度は阻止することができた婚姻だが、サミュエルとフレアが再び顔を合わせたらどうなるだろうか。
(いやよ。サミュエル様は私と結婚するんだから)
とはいっても現状リリアンにはどうすることもできなかった。
回復したばかりだというのに立て続けに体調不良になるのはさすがに不自然だし、リリアンの方から気軽にウォルス邸へと出向くことも難しい。
いくら当主と親しいとはいえ、夫人を迎えた格上の侯爵家に、招かれてもいない男爵令嬢が訪ねることなどできないからだ。
(ああ……いったいどうしたら……)
そうやって何日気を揉んでいただろうか。
事態は思わぬところから動くことになる。
♢♢♢
初めて足を踏み入れたリックベルト邸は、侯爵家であるウォルス邸を凌ぐほど豪奢だった。
華美な装飾が施されているわけではない。
むしろ全体的な装飾は抑えられていたが、一目でわかるくらいに質の良い物たちがあちこちに使われていたのだ。
(リックベルト家は裕福だとは聞いていたけれど、これほどまでとは……)
通された応接室で、サミュエルの隣に座りながらリリアンは思う。
目の前の飴色に輝く応接テーブルは猫足が優美な曲線を描き、腰を下ろしたソファは今まで座ったことがないくらいに柔らかい。
そんな、これまで触れることもなかった極上の家具たちを、しかしリリアンは堪能することができなかった。
それは、隣に座るサミュエルに原因がある。
サミュエルはリックベルト邸へ訪問するために迎えに来てくれた時から不機嫌だった。
見たことがないくらいに雰囲気はピリピリしており、馬車の中でも一言も話さない。
リリアンが話しかけてもろくに返事も返してくれず、眉間には皺が寄っていた。
そしてその理由を、リリアンはこの場で知ることになる。
『婚約者ですら家に泊まることはないのに、ただの幼馴染という異性の家に何泊もするなんてはしたない』
そう言われた時はリリアンもカッとなった。
それは羞恥というよりも、フレアに侮蔑されたと感じたからだ。
(そもそも、サミュエル様を繋ぎとめるだけの魅力がないフレア様がいけなんじゃない!)
心の中でそう反論して、けれどその後のサミュエルの言葉が胸に突き刺さる。
(幼馴染でしかないと、本当にそう思っているの……?)
ただの幼馴染に、あれだけ心を砕けるものなのか。
サミュエルの行動が、幼馴染への対応としては行き過ぎていると誰もが思っているのに。
「私たちの関係は、まだ婚約者のままです」
フレアとサミュエルのやり取りによって、嵐に巻き込まれた木の葉のような心境でいたリリアンの耳に、フレアのはっきりとした声が聞こえた。
(……え?)
サミュエルがウォルス邸に戻ってからすでに何日も経っている。
リリアンは、てっきり二人はすでに婚姻届を出していると思っていた。
(まだ、結婚していないの?)
考えてみれば呼び出された先はリックベルト邸だ。
二人が結婚しているのなら、話し合いはウォルス邸で行われるのが普通だろう。
思わず、口元に笑みが浮かぶのを我慢できなかった。
(もしかしてフレア様は、婚約を解消しようとしている……?)
それはリリアンにとって思ってもみない幸運だ。
あんなにフレアよりもリリアンを大切にしてくれるサミュエルは、なぜかこの期に及んでもフレアと結婚しようとしている。
でもフレアにはもうその気はないようだった。
二人が正式に別れる。
そうであれば、リリアンがサミュエルと結婚することも可能になるだろう。
そう思いながら見つめる先で、フレアがある書類をテーブルの上に広げた。
『婚約破棄届』
書類には、そう、書いてあった。
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