代償
驚きと戸惑い、そして密かな喜びを内包した室内の空気を、破ったのもまたフレアだった。
「婚約破棄の慰謝料ですが、私の希望をお伝えしても?」
さらに具体的な話にサミュエルの眉根が寄る。
しかしさすがのサミュエルも、ここまできて婚約の継続が難しいのは理解したのだろう。
「金銭を要求するつもりか?」
若干不愉快そうな表情を浮かべながらそう言った。
(ウォルス家の財政は厳しいものね)
サミュエルが渋い顔をするのも理解できる。
慰謝料の相場は破棄に至る内容によるが、今回は全面的にサミュエル側の有責によるものだ。
普通に考えればそれなりの金額が要求されてもおかしくない。
「心配する必要はありませんわ。少なくない時間を一緒に過ごしてきたのですもの。無理なことは申しません」
フレアの言葉に、サミュエルが予想外なことを言われたとでもいう顔をする。
「私が慰謝料としてサミュエル様に求めるのは、サミュエル様がリリアン様と結婚し、ウォルス家を、そしてウォルス領を発展させていくことですわ」
フレアの言葉に、リリアンがその顔に喜びを浮かべた。
しかし同時に、サミュエルの顔色は悪くなっていく。
「……フレア、なぜ私とリリアンの結婚を?」
「今回の婚約破棄の原因はお二人の関係性の近さです。この先もしサミュエル様が新しい婚約者を迎えられたとしても、その方もお二人のことで悩むでしょう。それならばいっそのこと、サミュエル様とリリアン様が一緒になるのが一番だと思いましたの」
そう言ってフレアはにこりと笑った。
「いや、しかし、リリーは病弱だ。侯爵夫人として務めるのは難しいだろう」
「先ほどの報告書にあった通り、リリアン様はもう他のご令嬢と変わりないくらいに健康ですわ」
リリアンはあの報告書の内容を否定したが、今度はそんなことをしないはず。
そう確信をもって、フレアはリリアンを見た。
「そう……ですね。たしかにまだ体調が悪くなることがありますけど……努力しますわ」
両手を胸元で握り、か弱そうでありながらも健気な自分を演出しつつリリアンがサミュエルを見上げる。
「それならば問題はありませんね」
リリアンの様子にサミュエルは腰が引けた状態だ。
「それに、そもそもこの提案は慰謝料の変わり。サミュエル様の承諾は必要としていませんわ」
(リリアン様との結婚では、財力を当てにできない。これからサミュエル様は、領地運営のためにも自分で働いていかなければいけないわ。さぞかし焦っているでしょうね)
フレアはサミュエルの心情が手に取るようにわかった。
「いや、でも……」
なんとかフレアの言葉を撤回させたいのか、サミュエルが口の中でごにょごにょと何かを言っている。
「お二人が結婚すれば、ミュラー家の男爵位はウォレス侯爵家の従属爵位になりますわ。サミュエル様は今までずっとミュラー領のことに心を砕いていらっしゃったんですもの。これで公然とミュラー領へも援助できますわね」
ルアール国では、後継者が女性しかおらず、その女性が他家へと嫁ぐ場合相手の家へ爵位が受け継がれる。基本的には従属爵位となり、必要に応じて子や血縁、もしくは功績を上げた者へと与えられることがあった。
そしてもちろん、爵位を受け継ぐということは付随するすべての物も引き受けるということ。
ミュラー男爵には領地があるため、それもまた含まれる。たとえその領地が利益を上げるどころか負債しか生まないとしても、拒否することはできないのだ。
「フレア様。私はフレア様のことを誤解していましたわ。あとから現れてお金の力でサミュエル様を手に入れようとしている悪女だと思っていましたが、こんなに思いやりのある方だったんですね」
にこやかに笑いながらそう言ったリリアンに、フレアは心底呆れた。
(リリアン様は褒めているつもりなのかもしれないけれど、言っている内容はかなり失礼だわ。しかも、自分が悪いと思っていないせいか謝りもしないのね)
しかしそう思ってもフレアは指摘しない。
間違いに気づかないリリアンは、いつかその考えなしの発言のせいで追い詰められるだろう。
そしてその責任はサミュエルにも降りかかってくるはずだ。
この場でやり込めるだけが報復ではない。
じわじわと蝕まれていく彼らを、フレアはのんびりと待てばいいのだから。
(そんなことを思う私は、たしかに悪女なのかもしれないわ)
今まで知ることのなかった自身の暗い部分に気づき、しかしそれもまた自分の一部なのだと、フレアはそう思ったのだった。
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