<96>軍人な王子様もゲームの攻略対象者なようです?
「私はお父さまとお母さまと王都の屋敷に戻ってから寮へ帰るわ。荷物が多いし。」
エリックとブルーノにはそう言って、シャーロットは寄宿学校の寮まで帰っていく馬車を見送った。嘘は言っていない。本当のことを言わなかっただけだった。
気持ちを切り替えて部屋に戻ると、美容担当の侍女達に寄ってたかって磨き上げられ支度を整えられた。ガーターベルトを付けて紺色のシルクのストッキングを履き、袖が透かしレースで首元が大きく開いた深い紺色のカクテルドレスを着せられる。髪は結い上げられ、青黒いベルベットのリボンの髪留めをいくつか飾られた。首には青黒いベルベットのリボンでできたチョーカーを胸元で蝶々結びに結んでもらった。
「港の、海外からの貴人用のホテルにお泊りなの。お会いするのはそこのレストランよ。昼食をご一緒にとお望みなのよ。」
母はそう言ってシャーロットの仕上がっていく様子を見ていた。スズランの香水を吹きかけられて、シャーロットは深い紺色のベルベットの靴を履いた。
「こっちは暖かいから、ドレスをあまり用意していなかったのは失敗だったわね。それも、念のためにと作っておいたドレスだけど…。」
きっちりとした正装のドレスを着る機会が、この南方の領地ではあまりなかった。何しろシャーロットは基本は王都で暮らしている。領地の別荘に置いているドレスは、せいぜいカクテルドレスだった。
「こっちに来る時に着てきた黒いコートがあるから、あれを羽織っていくわ。」
シャーロットは侍女に頼んで黒いコートを用意して貰った。いくら王都より暖かいと言っても、季節は真冬だった。ブルーノの国の感覚で頭が夏の格好をしたがっても、体は正直だった。
母は紺色の毛織のアンサンブルのワンピースを着ていた。髪は結い上げてまとめ、耳には昨日お土産で渡した黒真珠のイヤリングをして、胸には揃いのブローチを付けている。
「早速使ってくださって、ありがとう、お母さま。」
「あなた達のお土産は、想像以上に素晴らしかったわ。あげたお小遣いが残っているならご褒美にあげましょう。」
「実は、あまり残っていないの。エリックの分も腕時計を買ったから。」
シャーロットは言い出せずにいたので、母の申し出は嬉しかった。
「そう。やっぱり腕時計は高いのね。お父さまもお喜びだったのよ? 腕時計はまだこの国に流通していないもの。あの国が裕福なのは、そういった技術があるからなのね。」
「お父さまのお土産はエリックとお揃いなんですよ? エリックは自分で半分出したの。あの子、ちゃんとしてるの。お父さまに喜んで貰えて良かったわ。」
母はシャーロットに微笑みかけた。
「ねえ、シャーロットは自分のために何を買ったの?」
「私はこの本を2冊。」
シャーロットは嬉しそうに、テーブルの上に置いてあった地図と絵本を母に見せた。
「子供向けの絵本だから、授業で習った言葉で読めるの。学んだことを生かせれて、いい記念になるわ。」
「綺麗な本ね。あなたらしくていいと思うわ。ミカエル様には?」
「素敵な懐中時計があったので、それを。」
「喜んでもらえるといいわね。今日は…、私達はおそらく同席出来ないけれど、同じホテルにいるから。」
向こうがどういう条件を出してきたのかは、シャーロットにはわからなかった。ただ、自分一人で会うのだということだけは判った。
「大丈夫よ、お母さま。レストランだもの。」
そう言って、シャーロットは微笑んだ。
港には軍艦が停泊していて、港の雰囲気はいつもよりも緊張しているように感じた。見たことのない国の軍艦に、港を警備する誰もが警戒しているのが見て取れた。
灰色の三つ揃えのスーツ姿の父とは無言で頷きあって、シャーロットと母は3人で馬車に乗りホテルに到着すると、ホテルの支配人が出迎えてくれた。背の高い年配の支配人は、シャーロットも子供の頃からの顔なじみだった。
「公爵様、奥様、お嬢様。もう、レストランでお待ちです。」
「わかった、挨拶に私達も伺おう。」
「こちらでございます。」
ホテルと屋根続きの隣のレストランに案内されると、入り口には何人かの軍人が控えていた。
「ハープシャー公爵様と奥様、シャーロットお嬢様です。シュトルク殿下にお取次ぎを。」
支配人が頭を下げると、ドアが開き、レストランの中央の席にシュトルクが座っているのが見えた。壁沿いに何人かの軍人が控えていた。港が一望出来る窓からは、穏やかな冬の太陽光が差し込んでいる。
はあ…、こういう雰囲気、好きじゃないんだけどなあ…。シャーロットは内心思ったけれど、猫をしっかり被って微笑んだ。
部屋に入ってくるシャーロットの姿を見たシュトルクは立ち上がり、公爵と夫人の姿も見ると傍に寄って、笑顔を作って握手をした。シュトルクはタキシードで正装していた。柔らかそうなくせっ毛も、後方へきちんと撫でつけられていて、背が高くて綺麗な顔の精悍な王子様だった。
「今日は無理を言って済まなかったね、ハープシャー公爵。シャーロットと時間を共に過ごせて嬉しいよ。しばらく、二人で食事する時間をくれないか?」
父は微笑んだまま、ゆっくりと言った。
「それぐらいのことでしたら、どうぞごゆっくりと。もし宜しければ、私達もご一緒させていただいても構いませんか?」
「気持ちだけで結構だよ、公爵。私はシャーロットと二人で、食事したいのだ。」
笑顔で睨み合う二人が怖すぎて、猫を被って微笑みながらシャーロットは内心びびっていた。
「では、私達は、殿下の部下の方達とお話しでもさせていただきましょうか? 二人の方が宜しければそういたしましょうか?」
母が笑顔で提案すると、シュトルクは笑顔を作って答えた。
「それには及ばない。この者達は部屋の外で待機することになっている。お気遣い感謝するよ、公爵夫人。」
部屋には私とシュトルクだけ残って、お昼ご飯を食べるってことね? シャーロットは面倒だなと思いながら微笑んだ。異国の軍人と二人きりで何を話せと言うのだろう。
「では、そのようにしようか。シャーロット、傍においで。」
シャーロットの手を握ると、シュトルクはエスコートして、さっきまで座っていた席の傍の席にシャーロットを座らせた。向かい合う訳ではなく近い距離に座るのは、とても親しい間柄のすることに思えた。
「公爵達も昼食にすればいい。同じような頃合いで、私達も今日のところは良しとしようじゃないか。」
シュトルクがそう言うと、父と母を軍人達が部屋の外へと連れ出した。
ハスキーな声で「さ、これで邪魔者はいなくなった」と呟いたのを聞いてしまい、シャーロットは微笑んでいても内心冷や汗が止まらなかった。
二人きりのレストランは恐ろしいほど静かで、シャーロットはすぐ傍に座るシュトルクの息遣いまで聞こえてきそうだと思った。
シュトルクは給仕の者に、シャンパンを二つ頼んでいた。
「君は16なら、この国では成人しているのだろう? 酒も飲めるし、結婚もできる。そうだったね?」
「ええ。あまり好きではないですが、飲めることは飲めます。」
お酒は飲んでも飲まれてしまいます、とシャーロットは思った。口をつける程度でも飲めるというのだろうか?
「私もあまり飲まないよ? 君と同じだ。」
運ばれてきたグラスを手に、シュトルクは、「再会を祝して、」と微笑んだ。
なーんも祝されてないわ、とこっそり思いながら、シャーロットは一口だけシャンパンを口に含んだ。
「では、料理も運んでくれ。」
粛々と前菜から始まって料理が運ばれ、黙々とシャーロットは食べていく。食べ慣れた自国の料理は旅行中の異国の料理を思い出させ、なんだかちょっと悲しくなってくる。
いかんいかん、私はまた一口で酔ってき始めているな…、とシャーロットは思った。
「今朝からこの国の者に、君の話を聞いているんだが…、」
シュトルクはシャーロットに話しかけながら食事をしていく。
「君はなかなかの有名人なのだね。」
「は? はい?」
有名になったつもりなどないシャーロットは面食らった。
「聞くところによると、ハープシャー公爵家の令嬢のシャーロット嬢は、騎士団のリーダーとして新年の祝賀行事に出たそうじゃないか。」
思わずシャーロットは食べていた魚のポワレを落としそうになる。
「いえ、リーダーではありません。祝賀行事には出ましたが…。」
街の噂っていったいどうなっているんだろう。シャーロットは動揺しまくっていた。
「君は青い姫君と呼ばれているようだね。青いドレスを好んできているという話だが。今日もそのようだね。」
「それも初耳ですわ。紫やピンクのドレスも着ていますよ。ただ、青いドレスで公の場に立つ機会があっただけですの。」
だからと言ってそういう格好をあなたに披露したいとは思わないけどねーと、シュトルクを見つめながら思った。
「シュトルク様は、そのお話を聞かれて、どう思われたのですか?」
シャーロットは微笑んで、シュトルクの水色の瞳を見つめた。目立ちたがり屋とでも思ったのだろうか。
「君をますます手に入れたいと思ったよ? 軍人の私には、君のような女性がふさわしい。」
シャーロットの膝の上に、シュトルクはそっと手を置いた。
「私には婚約者がいます。今のお言葉は、最高の誉め言葉としていただきますわね。」
やんわりと断って微笑むと、シャーロットはシュトルクの手を掴んで膝から退けた。
「その婚約者とも、今は仮の状態なのだろう?」
シュトルクは含み笑いをした。
「子供の頃の婚約で、いまだに果たされていないのだとすると、君達の関係はかりそめの婚約だろう?」
「…どうしてそう思うのです?」
シャーロットは微笑みながら尋ねる。この人は何を言い出すのだろう。そう思って、慎重に尋ねる。
「よくある話だよ。貴族が成人するまで害虫が寄らないようにする、お互いにとって保険のような婚約だ。王太子と一番爵位の高い公爵家の令嬢の婚約が幼い子供の時期に行われるのは、大体そんな理由だろう。成人する頃にお互いが自分の好みの異性と婚約しなおすんだ。」
ミカエルは2月に17歳になる。今お互いに成人して16歳でも、学生なので結婚していない。確かに16歳になってすぐ、嫁いでしまう貴族の娘はいることはいた。でも、寄宿学校の卒業を待っての結婚がこの国の貴族の主流になってきていた。
「私の国では16歳の成人が済むと、先に結婚だけしてしまう関係が多い。結婚していても学校に通う貴族の令嬢は、普通にどこにでもいる。君達は何もない、ただの婚約しているだけの関係なのだろう?」
シュトルクはシャーロットの顔を撫でた。
「ダンスをしてみて判った。君は何も経験がないね。婚約者がいても、いないのと同じだ。」
どういう意味なのだろう。シャーロットはナイフとフォークを動かす手を止めて、シュトルクを上目遣いに見つめた。
「虫除けの婚約なら、私が君と結婚することに、何の障害もないはずだ。」
シュトルクは平然と食事をしている。そんな気楽にできる内容の話なのかしらとシャーロットは首を傾げ、黙って食事を再開する。美味しいはずの料理なのに、味を感じないまま食べ続けた。
「私の国は、もう長兄が王太子として妻を娶り、子もいる。次兄は婚約中だ。私はまだ婚約者がいない。身分の釣り合う者がいないこともないが、君のように度胸のある娘が見つからないのだ。」
「度胸と仰いますが、私にはそのようなものはありませんよ?」
シャーロットは猫を被ったまま微笑む。そんなものがあったら、もっと言いたいことを言って大胆に生活しているだろう。
「初対面の軍人の私に、微笑みながら優しく名を尋ねる女性を、君以外知らない。」
シュトルクはそう言って、シャーロットに微笑みかけた。シャンパンのグラスを空けたシュトルクは、給仕に同じものを頼んだ。
「君はこの国で一番の港を持つ公爵家の娘だ。君の弟はあのリルル・エカテリーナの婚約者だ。君と縁を結んで損をする可能性はない。」
「弟が…、エリックが、リルル王女の婚約者だとご存知なのですか?」
「ああ、名前だけは聞いたことがあった。エリックが名乗って初めて気がついた。一番の有力候補だとリルル・エカテリーナの国では認識されている公爵家の貴公子は、この者だと、ね。」
うちの弟はちーっともそう思ってないようですけどね。シャーロットは心の中で呟いた。
「私が、あなたと縁を結ぶことで得るものはありますの?」
シャーロットは微笑みながら首を傾げた。父も断ってもいいと言った。「遠い東方の国の軍師様と結婚する理由が、今のところ、見えてきませんわ?」
シュトルクは優しく微笑んで、シャーロットを見つめた。
「君は地図と異国の絵本を買っただろう? 学ぶ事や見知らぬ世界へ旅することが好きなはずだ。私と共に生きれば、新しいことを学ぶ機会がいくらでもできる。それが、君が得るものだ。」
本屋で何を買ったのかまでバレているのか…。シャーロットは言葉を失った。
「こういった会う機会は、今後、私がこの国に寄港するたびに設けてほしい。君が私の妻になると誓ってくれる日まで、ね。」
そう言ってシュトルクは、水色の瞳に余裕の笑みを浮かべていた。「同じ王子でも、国に縛られ続ける王太子より、私の方が、自由に生きられるぞ?」
食事が終わった二人がレストランを出ると、護衛の軍人達が取り囲んだ。父と母も遅れてやってくる。
「公爵、今日はありがとう。またこういう機会を作ってほしい。船は早々に引き上げるとするよ。用事も済んだしね。」
シュトルクは父と握手をして、機嫌良さそうに言った。ほっとした表情の父に、シャーロットも安心して頷いた。母は静かに怒っている表情をしていた。
シュトルクはシャーロットの手を握りしめ、屈んで囁いた。
「今度会う時は、もっと気軽な格好で来てくれ。初めて出会った時のように。」
「それは…、お会いする場所にもよります。」
シャーロットが微笑むと、シュトルクも微笑んだ。
「では、また。シャーロット。」
頬にキスされて、シャーロットはそういう文化の国なら仕方ないなと、シュトルクの頬にキスを返した。この人の国の別れの挨拶なのだろうと思った。
軍人達に低いどよめきが走った。
なんだろう、と思ったけれど、シャーロットはシュトルクから離れ、父と母の元へと歩いた。一緒に別荘に帰る馬車に乗り走り出すと、それまで黙っていた父がシャーロットに言った。
「シャーロット、お酒を飲んだね?」
「ええ、一口だけ。」
溜め息をついた母に、父は困った顔をして、言った。
「あの国での挨拶は別れの時も握手だ。握手をして頬にキスする別れの挨拶は近親者のみ、なのだよ?」
知らなかったシャーロットは、顔を赤くして俯いた。
「食事が何もなかったんならそれはそれで良かったが、あれだけの大勢の前でああいう意思表示をしてしまうと、この先、何度か会う機会がありそうだね。」
父が溜め息をつきながら言った言葉に、シャーロットはただただ項垂れるだけしかなかった。
ありがとうございました




