第9話 これを、ギルドとして見過ごせるのか
午前十一時四十分。
冒険者ギルド本部、素材・薬品鑑定室。
防音ドアが勢いよく開くと同時に、神崎玄真が足を踏み入れた。その手に握られたアタッシュケースには、出来上がったばかりの薬草水、比較実験データ、そして手書きの緻密な作業記録が収められている。
「あ、神崎先生! 随分早かったですね」
デスクで分析機器の保守をしていた若手職員が振り返り、身を乗り出した。
「どうでしたか!? あの佐伯錬金工房……何か特殊な高圧錬金炉とか、秘密の魔導抽出機でも設置されていたんですか!?」
神崎はアタッシュケースをデスクへ静かに置くと、深く息を吐き出した。一瞬の沈黙の後、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「……何もなかった」
「え……? 何も、ですか?」
若手職員が拍子抜けしたような顔になる。
「高圧錬金炉も、魔導式の抽出装置もない。あるのは市販のガスコンロと手鍋、そして汎用の包丁だけだ」
「な、なんですって……!? じゃあ、一体何が原因なんです? なぜあの100円の薬が、三万円の特選ポーションを上回るんですか!?」
「本人だ」
「……え?」
神崎は作業記録を指でなぞった。そこに並ぶのは、洗浄、選別、切断、加熱――どれも特別な工程ではなかった。
「……それって、そんなに特殊なことなんですか?」
「そうだ。少なくとも、私が知る限りでは誰でもできる技術ではない。そして最大の問題は、製作者本人がそれを『十五年やっていれば誰でもできる普通の作業』だと思い込んでいる点にある」
「……普通の作業……?」
言葉を失う若手職員の背後から、腕を組んだ鑑定室主任が足音を忍ばせて歩み寄ってきた。
「神崎君。その暫定報告書の内容……そのまま提出するつもりか?」
主任の顔には専門家としての厳しい色があった。
「既存の分類に当てはまらないどころか、薬効を説明できる特殊な術式も設備も確認できない。これをギルドが冒険者向け回復薬として公式認定できるわけがないだろう」
「認定してほしいと言っているのではありません」
神崎は揺るぎない視線で主任を見返した。
「ですが、ギルドとして無視することはできません。直ちに正式調査対象に指定すべきです」
「待て。回復速度が異常なのは分かったが安全性の検証はどうなんだ?」
主任は指先で報告書を叩いた。
「驚異的な組織修復性能……裏を返せば、細胞の異常増殖や魔力中毒を引き起こすリスクと背中合わせだ。性能が高いことと、安全であることは別問題だぞ」
「おっしゃる通りです。だからこそ、放置できないのです」
神崎の声音が熱を帯びる。
「もしこの薬草水に未知の副作用があれば、命を落とすのは信じて使った冒険者たちだ。逆に、もし完璧に安全なのだとしたら——我々ギルドは、これほどの回復薬を『ただの100円の雑品』として市場に放置していたことになる。どちらに転んでも、ギルドが『知りませんでした』では済まされません」
主任は苦虫をかみ潰したような顔で沈黙した。
「……これを、ギルドとして見過ごせるのですか?」
神崎の問いかけに、主任は答えることなく報告書を閉じた。
◇
その時、若手職員がギルドの管理端末を操作しながら、驚きの声を上げた。
「……あの、神崎先生、主任! 大変です!」
「どうした」
「佐伯錬金工房のオンラインショップですが……今朝の時点で在庫切れになっています! 午前中だけで通常の三日分の注文が入っています!」
神崎の表情が一変した。
「なんだと……? もうそこまで噂が広まっているのか!?」
「はい! 駆け出しの冒険者たちの間で口コミが広がっていて……注文が膨れ上がっています!」
神崎は拳を握りしめた。
安全性の最終確認が取れていない薬品がギルドの正式な調査を待たずに、現場の駆け出し冒険者たちの手に渡り始めている。
「……主任。一刻の猶予もありません。明日、正式な訪問調査を行います」
「分かった。医療部門の責任者にも同行させよう。万が一の副作用リスクを現場で叩き出す」
◇
午後二時。
郊外の古い住宅街にある佐伯錬金工房。
俺——佐伯修一は、作業台の上でスマートフォンの画面を眺めていた。ネットショップの注文管理ページを開くと、通知の数が昨日までの倍近くに膨らんでいる。
「うおっ……今日もすごい注文だ」
俺は驚きつつも、作業服の袖を捲り上げた。
「完成品の在庫も全部出ちゃったし、待たせるわけにはいかないな。……よし、張り切って梱包しよう!」
利益なんてほとんど出ないけれど、これで駆け出しの冒険者さんが一人でも無事に帰ってこられるならそれでいい。
「よし、発送準備完了! 明日の仕込み用に、薬草をもう少し多めに買っておかないと」
俺の関心は、今日の発送と明日の仕込みの段取りだけだった。
その時、作業台のスマートフォンが震えた。画面には神崎玄真の文字。
「あ、神崎さん。さっきはどうもでした」
『……佐伯さん。お忙しいところ恐縮ですが、先ほどの件についてお伝えしたいことがありまして』
電話の向こうの神崎さんの声は、午前中以上に切迫していた。
『あなたの出品している薬草水について、ギルド本部で正式な調査を行うことになりました』
「えっ? 正式調査ですか?」
俺は手を止めた。
「……あの、俺、何か違反でもしちゃいましたか? 成分の表記漏れとか……」
『いいえ! 手続き上の不備ではありません。……その逆です』
神崎さんが一瞬、言葉に詰まる気配がした。
『……佐伯さん。あなた、ご自身の作った薬がどれほどの価値を持つものか……本当に分かっていませんよね?』
「え?」
俺は素直に首を傾げた。
「丁寧には作ってますけど……それだけですよ? 薬草だって市場で普通に買える物ですし」
電話の向こうで、神崎さんが深く息を飲む音が聞こえた。
やっぱりおかしいと思われるのだろうか。たかが100円の薬草水にギルドが調査に入るなんて、大袈裟すぎる気がするのだが。
『……佐伯さん。明日、もう一度お時間をいただけますか?』
「あ、はい。もちろん大丈夫ですけど……」
『明日は私一人ではありません。ギルド本部の医務部門責任者と、管理部門の上層部を連れて伺います』
「ええっ!? 上層部の方まで!?」
俺は思わず声を上げてしまった。ただの元工場作業員の個人工房に、ギルドの偉い人たちが来るなんて……。
『では、明日午前十時に』
ツ・ツ・ツ……と通話が切れた。
「まいったな……。そんな大層な人が来ても、見せられるのは薬草と窯くらいしかないんだけどなぁ……」
俺は困り果てながらスマホを置き、苦笑い混じりに次の薬草の仕分けへと戻った。
◇
ギルド本部の鑑定室。
電話を終えた神崎が受話器を置くと、背後から主任が歩み寄ってきた。
「神崎君」
「主任。明日、上層部を伴って佐伯氏の工房へ赴くアポイントを取りました」
「うむ。医務部門のトップも同行させる。……神崎君、明日の調査で、君は何を確認するつもりだ? 薬効の再現性か?」
神崎は首を振った。
「薬の性能だけではありません」
「ほう?」
「あの異常な精度を持つ薬を作り続けている佐伯修一という人間そのものです」
神崎は遠くを見つめるように目を細めた。
「彼の一手が、いずれギルドの薬品基準そのものを揺らすことになる……。それも含めて、我々は確かめねばなりません」
主任はこくりと頷き、手元のファイルを閉じた。




