第8話 ……普通の作業、だと?
「……失礼します、佐伯さん」
午前十時ピッタリ。
ギルドの鑑定士である神崎さんは、どこか固い表情のまま、俺の古い借家の玄関をくぐった。
「すみませんね、狭くて散らかっていて。こちらが作業場になります」
俺はエプロンの紐を結びながら、奥の六畳間へ神崎さんを案内した。
すると神崎さんは、足を踏み入れるなり立ち止まり、部屋の隅から隅へと視線を走らせた。その目は何を探しているのか、こめかみを押さえて微かに震えている。
「……佐伯さん」
「はい? どうしました?」
「魔導式の抽出装置は……どちらに?」
「え? 抽出装置? そんな高価なもの、あるわけないじゃないですか」
そんな大企業が使うような数千万円もする機械、個人工房に置けるはずがない。
「では……高圧錬金炉や、魔力制御用の回路は?」
「ないですないです。あるのはあの蒸留器と、精錬窯くらいですよ」
俺が正直に答えると、神崎さんは口を半開きにしたまま止まってしまった。
……なんだろう。ギルドの鑑定士さんともなると、もっと凄い設備を想像して期待して来てくれたんだろうか。なんだか期待外れな思いをさせてしまって申し訳ない気分になる。
「本当に……ここで、あの薬草水を作っているのですか?」
「ええ。そこで材料を洗って、下処理して、鍋で煮出してるだけですよ」
俺は作業台の上の竹ザルを指差した。
◇
「佐伯さん。本日使う予定の薬草を、鑑定させていただいても?」
神崎さんがカバンから小さな機械——素材アナライザーを取り出した。
「あ、どうぞどうぞ。今朝買ったばかりの初級回復草です」
神崎さんが竹ザルに機械をかざすと、ピピッと電子音が鳴る。
「……何の変哲もない、市場で安価に流通している薬草だ」
「はい。初心者冒険者さん向けの商品ですからね。高級な薬草なんて使ったら、とても一本100円じゃ出品できませんから」
俺は笑いながら、真鍮製の水槽に水道水を注ぎ始めた。
神崎さんは画面を見つめたまま「素材のせいでもない……?」とブツブツ呟いている。
(やっぱり、今朝の電話で言っていた三万円のポーションより効くっていうのは、神崎さんの勘違いか何かなんじゃないかなぁ……)
大企業の帝国製薬が作った三万円の高級薬と、俺が100円で売ってるただの薬草水。比較になるわけがない。
「それじゃ、今日の仕込みを始めますね。神崎さんも、狭いですけど適当に座ってください」
俺は水道水で薬草を丁寧に洗う。
ここからは、俺が十五年間叩き込まれてきた基本作業だ。
まずは根元の泥落とし。ブラシなんて使うと柔らかい葉や茎が傷ついてしまうから、指先でさらさらと撫でるように優しく落としていく。
次に、竹ザルから薬草を一本ずつ取り出し、手元の包丁で下処理をしていく。
トトン、と軽い音を立てて、葉の先端をほんの数ミリ切り落とす。
次の薬草は、根の接合部を斜めにちょんとカット。
三本目は、葉の裏側をサッと撫でて、傷がある部分だけを小さく丸く切り抜く。
「……佐伯さん。今、何をした?」
急に背後から固い声が飛んできた。振り返ると、神崎さんが鬼の首でも取ったかのような目つきで俺の手元を覗き込んでいる。
「え? 傷んだところを切り落としただけですよ」
「傷んだところ……? 私には、どれもまったく同じ青々とした健康な葉に見えたが」
「あ、本当ですか?」
俺は包丁を止め、切り落とした胡麻粒ほどの小さな葉の破片を指先に乗せて見せた。
「ほら、ここです。裏側の葉脈が少しだけ黒ずんでるでしょう? これ、急激な寒暖差で組織が微小に壊死しかけてる証拠なんです。これを取り残すと、煮出した時に青くささと微かな濁りが出ちゃうんですよ」
神崎さんは俺から破片を受け取ると、手元の拡大ルーペで穴が空くほど見つめ始めた。
「……これを、全本数やるのか?」
「やりますよ? これをサボると、薬草水の風味が落ちちゃいますから。工場にいた頃も、下処理の工程で『妥協するな』って徹底的に叩き込まれましたし」
俺は当然のこととして答え、再びテンポ良く包丁を動かした。
こんなの、薬草加工の現場じゃ基礎中の基礎だ。工場では「もっとスピードを上げろ」「非効率だ」って怒られてばかりだったけど、個人工房なら自分の納得がいくまで丁寧に下処理ができる。やっぱり手作業は落ち着くなぁ。
ふと後ろの気配を感じてチラッと見ると、なぜか神崎さんが青ざめた顔で額の汗を拭っていた。
部屋の温度、高すぎるのかな。後でエアコンつけてあげよう。
◇
下処理を終えた薬草を鍋の水に入れ、コンロの火をつける。
水温が徐々に上がっていくのを見つめていると、神崎さんが不安そうに声をかけてきた。
「……火加減の自動制御はしないのか? 錬金術における抽出反応は、一分一秒の温度変化で成分が激変するぞ」
「あ、一応デジタル温度計もありますけどね」
俺はコンロのダイヤルをミリ単位で微調整しながら答えた。
「手で火を調整した方が早いんですよ。ほら、そろそろ七十二度になりますから」
「なっ……!?」
神崎さんが手元の温度計を見て声を張り上げた。
「佐伯さん……なぜ温度計を見ずに、七十二度に達するのが分かったんだ!?」
「え? 泡の大きさですよ」
俺は鍋の中を指差した。
「水温が七十度を超えると、鍋底から上がってくる泡の大きさが米粒から胡麻粒サイズに変わるんです。それと、立ち上る蒸気の匂いが、青くさい香りから甘い香りに切り替わる瞬間があるんですよ。そこで火を弱めないと、一番良い抽出成分が熱で飛んじゃうんです」
俺は鍋の湯気から漂う微かな甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。うん、今日も良い抽出ができそうだ。
「十五年も毎日鍋を見つめていれば、見分けられるようになりますよ」
俺が笑顔でそう言うと、神崎さんは俯いたまま、石のように固まってしまった。
……うーん、やっぱり大企業の高価な自動制御装置に比べたら、こういうアナログな手作業は古くさく見えちゃうのかな。でも、俺にはこのやり方が一番しっくりくるんだよなぁ。
◇
「はい、出来上がりました」
抽出を終えた翡翠色の液体を、冷ましながら汎用ボトルへ注ぎ込む。
「神崎さん、どうぞ。出来立てです」
「……あ、ありがとう」
神崎さんは震える手で小瓶を受け取った。
そのまま小瓶をじーっと見つめ、ハッと悟ったような顔で低く呟いた。
「……私は、根本から何かを勘違いしていたのかもしれない……」
「え? 何か言いましたか?」
「……いや」
神崎さんは深々とため息をつき、真剣な眼差しで俺を見てきた。
「……いえ。ありがとうございました」
神崎さんはしばらく黙ったまま、完成した薬草水を見つめていた。
……うーん、やっぱりギルドの専門家の人から見たら、俺のやり方はこだわりが強すぎて変に見えるのかな。
まあ、考えても仕方ないか。
明日の分も薬草を洗うところから始めよう。
俺は作業台に残った薬草を竹ザルへ戻した。
◇
工房を出た神崎玄真は、手の中の小瓶を見つめていた。
「……普通の作業、か」
覗いてみたものの、頭の整理は一向につかない。
設備は普通。
素材も普通。
製法も、説明だけ聞けば単純な抽出作業に過ぎない。
それなのに、完成した薬は三万円の最高級ポーションを上回る。
神崎は小瓶をアタッシュケースへ収めた。
「……ならば、次は私一人の判断では済まない」
これはもう、一鑑定士の領分を越えている。




