第7話 この薬、高級回復薬より効くのか?
翌日、午前八時。
冒険者ギルド本部、素材・薬品鑑定室。
防音ドアが開くと同時に、神崎玄真は白手袋をはめながら足を踏み入れた。
「神崎先生、おはようございます。昨日の小瓶ですが……」
デスクで作業していた若手職員が振り返る。神崎はそれには応えず、壁際の保管庫へまっすぐ歩み寄り、耐熱ガラス戸を開けた。
「……三万円の高級回復薬を出してくれ」
「えっ……!? こ、高級回復薬ですか……!?」
若手職員が素頓狂な声を上げた。
「ギルド備品の中で一番ランクが高い……あの帝国製薬の特選上級ポーションですか!?」
「そうだ。これと比較する」
「先生、正体を調べる前に……三万円の看板商品と比べるんですか?」
「正体を調べるのは後だ」
神崎は淡々と告げた。
「未知だからこそ、まず最高水準と比べる。価格は無視だ。薬効だけを見る」
神崎は実験台の上に二つの小瓶を並べた。
◇
「実験条件を完全統一する。被検体は医療用人工皮膚。深度二ミリの深層傷を作成」
若手職員が精密滅菌ナイフを滑らせ、人工皮膚の表面に一直線の傷を刻んだ。
「まずは、帝国製薬の特選上級ポーションからだ。滴下量は規定の〇・二ミリリットル」
澄んだ琥珀色の薬液が傷口へ垂らされた。
直後、ほのかな発光とともに細胞が引き寄せ合い、組織の結合が始まる。
「……出血停止、約三秒。組織修復完了まで、約百二十秒。やはり素晴らしい性能ですね」
「ああ。極めて優秀だ」
神崎も微かに頷いた。相手を貶める気など毛頭ない。何億という研究費を投じて作られたこのポーションは、間違いなく現行技術の最高到達点だ。三万円の価値は十二分にある。
「これが現在市場で手に入る回復薬の最高水準だ。では——同じ条件でこちらを使う」
神崎は薬草水のキャップを外し、スポイトで翡翠色の液体を吸い上げた。新しく傷を刻んだ人工皮膚の上へ、一滴垂らす。
◇
最初の二秒。
傷口が引き締まる挙動を見せた。その様子は高級回復薬と大差ないように思えた。
「……え?」
若手職員の言葉が途切れた。
「ストップウォッチを見ろ!」
神崎の一喝で、職員は弾かれたように手元へ視線を落とした。
『00:09.8』
高級回復薬で百二十秒かかった組織修復が、わずか十秒で完了していた。
神崎は画面を拡大した。傷跡の線はどこにもない。
高級回復薬ですら微細に残る組織の歪み—が、薬草水を垂らした画面には一切存在しなかった。完璧な細胞配列のまま再生されている。
「あり得ませんよ! 組織の個体差です、もう一度やります!」
動揺した職員が新しい皮膚をセットし、再度傷を切り裂く。
薬草水が垂らされた。
修復時間、八秒七。
「も、もう一度……!」
三度目の実験。
修復時間、九秒一。
「……再現性まであるというのか」
神崎の掠れた呟きが、静まり返った室内に入り混じった。
◇
三万円。最高級。現行技術の結晶。
それが、百円の薬草水に圧倒された。
「……神崎先生、これ……どういうことなんですか……?」
青ざめた職員の問いに神崎は眼鏡を押し上げた。
「性能だけなら、答えは出た。三万円の最高級品すら遠く及ばない、異常な回復力だ」
「じゃあ、この薬の正体が判明したんですか!?」
「……いや」
神崎は首を振った。
「何一つ分かっていない。なぜこの性能が出るのか、どういう原理で傷痕すら残さないのか……答えはゼロだ」
神崎は白手袋を脱ぎ、デスクに放った。
「性能は測れた。だが、理由は何も分からない。……本人に直接確かめる必要がある」
神崎は壁の時計を見上げた。午前九時十五分。
昨日はただの確認のつもりで約束した工房訪問だった。
だが今は違う。
「……あの男が何をしているのか、工程を見れば何か分かるはずだ」
◇
午前九時三十分。
郊外の古い住宅街にある小さな一軒家。
俺は工房の作業台で薬草の下処理を行っていた。
水槽の水で根の泥を優しく落とし、葉の傷んだ部分をナイフの先で慎重に削ぎ落とす。
十五年間、工場の現場で叩き込まれた地味な手作業。息をするのと同じ基本作業だ。
その時、作業台のスマートフォンが揺れた。
神崎からの着信だった。
「あ、神崎さん。おはようございます」
『……おはようございます、佐伯さん。本日は予定通り、午前十時に伺います』
受話器越しの神崎の声は昨日にも増して固く張り詰めていた。
『……佐伯さん。到着前に一つだけお伝えしておきたいことがあります。先ほどギルド本部で、あなたの薬草水と一瓶三万円の特選上級ポーションの比較実験を行いました』
「えっ? 三万円の高級品ですか!?」
思わず声を上げた。大企業の技術の粋を集めた高額ポーションなど、自分のような個人工房の試作品と比較されること自体恐れ多すぎた。
『はい。結果……あなたの薬草水のほうが約十二倍の速度で組織を完全修復し、傷痕すら残しませんでした。明確に三万円の高級品を上回っています』
「……そうなんですか?」
『……驚かれないのですか?』
神崎の問いに俺は作業台の上の青々とした薬草を見つめ、あはは、と苦笑した。
「いやぁ……それ、薬草の状態が良かったんじゃないですか?」
『…………』
「薬草って、摘んだ時期やその週の雨量で成分のノリが結構変わるんですよ。今回はたまたま、すごく生きが良い材料が手に入ったんだと思います」
十五年間、現場で素材と向き合ってきたからこその素直な推測。
『……だとしても、三回試して三回とも同じ結果が出た説明には——』
「ああ、それは僕の洗い方が均一だったからですね。泥の落とし方にムラがあると効き目がブレるので、基本通り丁寧に出しただけです」
『…………』
「だから神崎さん、三万円の薬より凄いなんて大袈裟ですよ。本当にただの運と基本作業ですから」
『……分かりました。では、後ほど』
ツ・ツ・ツ……と通話が切れた。
「神崎さんも真面目な人だなぁ。三万円の薬なんて金箔でも入ってそうなのに……俺の作業場を見てもらえば『なーんだ、本当にただの手作業か』って納得してもらえるだろ」
◇
午前九時五十五分。
神崎玄真は、アタッシュケースを手に古い住宅街の細い路地に立っていた。
門柱に掲げられた小さな木板の看板。
『佐伯錬金工房』
頭の中で想像していたのは最新鋭のクリーンルームや大規模な抽出プラントだった。
しかし目の前にあるのは、どこからどう見ても築数十年のごく普通の一軒家だ。
「……ここが」
神崎は看板を見上げ、インターホンを押した。
ピンポーン。
直後、ガラガラと音を立てて玄関の引き戸が開いた。
エプロン姿の修一が穏やかな笑顔で顔を出す。
「あ、神崎さんですね! 遠いところお疲れ様です。どうぞ、上がってください」
「……失礼します、佐伯さん」




