第6話 一体、何を作っているんだ
「……不具合などではないな」
二台の測定器が連続でエラーを吐き出した液晶画面を見つめ、神崎玄真は深く息を吐いた。
「神崎先生……? 本当に機械の故障では……」
「ギルド本部の魔力測定器が同時に二台壊れる確率を考えてみろ。数値が出ないなら、手動で確かめるまでだ」
神崎は白手袋をはめた手で、机の上の小さなガラス瓶をそっと持ち上げた。
『薬草水(100円)』
『佐伯錬金工房』
素っ気ないシールが貼られた、どこにでもある市販用の小瓶。
神崎は顕微鏡のレンズを覗き込み、手元のスライドガラスに焦点を合わせた。
「……濁りがない」
「え?」
「初級回復薬なら、どれほど精製しても微細な沈殿や草の繊維が残る。……だが、これは違う」
神崎は壁際の薬品棚からギルド配給の初級回復薬を取り出し、二つの小瓶を並べて置いた。
「薬草を煎じた液体として見れば、あまりにも均一すぎる。……いや、成分構成そのものが違う。そもそも、既存の薬品と同じ基準で見ていいものなのか……?」
神崎はスライドガラスから目を離し、唸るように腕を組んだ。
◇
「神崎先生! 黒鼠の巣穴で救助されたFランクパーティの、正式な診療記録が届きました!」
職員が慌ただしく持ってきた資料を、神崎はひったくるように受け取った。
「……治療前の状態は?」
「前衛の腹部深層裂傷、斥候の大腿部切断寸前の重傷、魔力枯渇。失血死寸前の惨状です」
「それが、この100円の薬草水を使用した後は?」
「四名全員が自力歩行で帰還。救護所での再検査結果は異常なし。筋肉組織の急速な細胞再生が確認され……後遺症ゼロです」
誰もすぐには次の言葉を出せなかった。
ネットの書き込みとは違う、ここにあるのはギルドの医師が署名した診断記録だ。
「……偶然や錯覚ではない、ということか」
神崎はゆっくりと椅子に腰掛け、手元の報告書にペンを走らせた。
【ギルド本部・薬品鑑定暫定報告】
品名:薬草水
製造者:佐伯錬金工房
分類:既存分類への適合なし
成分:既存回復薬と一致せず
薬効:組織損傷の急速な修復、および魔力回復を確認
総合所見:現行の回復薬分類による評価不能
「評価、不能……?」
職員が報告書を覗き込み、声を漏らした。
「評価できないんじゃない。評価するための基準そのものが存在しないんだ」
神崎は険しい顔で呟いた。
生薬系、魔導系、錬金系。既存のどの体系にも当てはまらない。
◇
「この佐伯錬金工房の登録情報を出せ」
「はい。代表者は佐伯修一。個人事業主で、ネット直販のみです」
「国家錬金術師のライセンスは?」
「ありません。ライセンス未所持です」
神崎の眉間にしわが寄る。
「ライセンスなし……? ならば研究職の隠居か?」
「いえ……経歴によりますと、元・帝国製薬の社員だったようです。数日ほど前に退職し、現在は独立して個人工房を」
「帝国製薬……」
業界最大手の大企業の名を聞き、神崎の目が鋭くなった。
「開発チームのトップだったのか? それとも特命研究員か?」
「いいえ……製造部門・薬草下処理課に十五年間勤務、とあります」
「……は?」
神崎は耳を疑った。
「研究者ではないのか……? 15年間、製造現場にいただけの人間……?」
「はい。研究開発の記録も、特許の取得履歴も一切ありません。ただのライン現場の作業員です」
神崎は言葉を失った。
専門家でも研究者でもない男が、既存の分類を破壊する薬を作って100円で売っている。
一体、どうやって?
「本人に直接電話をかける。つなげ」
「あ、はいっ!」
◇
その頃。
郊外にある小さな一軒家の工房にて。
「ふぅ……よし、これで今日の仕込み分の瓶詰めは完了だな」
俺——佐伯修一は、額の汗をタオルで拭い、作業台に並んだ200本の透明な小瓶を見渡した。
注文が増えてきたため、今日から目標生産量を増やしたのだ。
工場時代に比べれば手動の精錬釜は手間がかかるが、下処理と温度管理の手順さえ守れば、一人で200本くらいどうということはない。
注文してくれた若い冒険者たちが今日も無事にダンジョンから帰ってこられるように。
そう祈りを込めながらキャップを閉めていた、その時だった。
ブルルル……ッ!
「ん……? 知らない番号だな」
タオルで手を拭き、画面をタップする。
「はい、佐伯です」
『突然のお電話、大変失礼いたします。わたくし、冒険者ギルド本部・素材薬品鑑定室の神崎と申します』
「冒険者ギルド……?」
重厚な声に俺は少し身を固くした。ギルド本部なんて、俺のような零細個人には縁のない場所だ。
「あの、何か問題でもありましたでしょうか……?」
『いえ。現在そちらで出品されている薬草水について、少々確認させていただきたいことがございまして』
「はぁ……薬草水ですか」
『ええ。……失礼ですが佐伯さんは以前、どちらかの研究機関で開発を担当されていたのでしょうか?』
「いえ。製造部門です」
『製造……?』
「薬草の下処理を、十五年ほど」
『十五年……』
受話器の向こうで、神崎が絶句するのが伝わってきた。
『……では、一体どのような製法でその薬を? 特殊な錬金陣でもお使いで?』
「製法ですか?」
『はい』
「昔からこの作り方ですよ」
『……昔から、とは?』
「薬草を洗って、下処理して、温度を守って、丁寧に作る。それだけです」
『…………』
「昔の職場でも、ずっとそうしてましたから」
『……佐伯さん』
静かだが、どこか震えるような声が返ってきた。
『あなたはそれを本当に普通だと思っているんですか?』
「え? いやぁ、普通ですよ。ただの丁寧につくった薬草水です。1本100円ですし」
『…………』
再び、重く長い沈黙が落ちた。
「神崎さん……?」
『……分かりました』
重いハァという吐息が聞こえた。
『佐伯さん。明日、直接そちらの工房にお伺いしてもよろしいでしょうか』
「え? 工房にですか?」
『はい。あなたの作業工程を、この目で見させていただきたい』
「はあ……見られて困るような秘密の技術なんて何もありませんから、構いませんけど……」
『ありがとうございます。では、明日午前十時に伺います』
ブツッ、と通話が切れた。
「わざわざギルドの本部から、こんな田舎の工房まで来るのか?」
俺はスマートフォンをポケットにしまい、首をかしげた。
「薬草を洗って煮詰めてるだけの地味な作業なんて、見ても何にも面白くないと思うんだけどなぁ……」
深く考えるのをやめ、俺は薬草水にシールを貼る作業に戻った。
◇
一方。
通話を終えた神崎玄真は、静まり返った鑑定室で、しばらくスマートフォンを握りしめたまま微動だにできなかった。
机の上には、一滴の不純物もなく澄み渡る小瓶が乗っている。
ギルドの魔力測定器では数値化できず、既存の薬品分類にも当てはまらない、評価不能の薬品。
それを、ただの1薬草水と言い切った男。
「……佐伯修一。一体、何を作っているんだ」




