第5話 この薬、百円なの?
「おや、昨日の今日で……」
朝六時。市場へ向かう準備を整えながらパソコンの画面を開いた俺は、首をひねった。
【お気に入り登録】:14
【本日の注文数】:8本
昨日より少しだけ数字が増えている。
「真面目な注意書きを読んで、信頼してくれたなら嬉しいんだがな」
俺は温かい緑茶を一口飲み、湯呑みを置いた。
「よし、今日も100本、丁寧に仕込むとしよう」
100円の薬草水。俺にとっては15年間愚直に磨いてきた基本作業の延長線上に過ぎない。それがほんの少しずつでも誰かの役に立っている——それだけで俄然とやる気が出てくる。
◇
ダンジョン『黒鼠の巣穴』一階層、奥部。
「ハァ……ハァ……っ! くそっ、なんでこんなところに『影蜘蛛』の群れが……!?」
前衛を務めるFランク冒険者の大地は、手に持った粗悪な鉄剣を構え直しながら声を裏返らせた。
足元には、ドス黒い毒糸と不気味な八本脚の魔物が蠢いている。
本来、一階層には出現しないはずの二階層の魔物。最近の異常気象でダンジョン内部の生態系が乱れているという噂は本当だったのだ。運悪く彼ら『四葉』パーティの退路は完全に塞がれてしまっていた。
「大地、危ないっ!」
立ちすくむ大地をかばい、斥候の悠斗が腿を深く切り裂かれる。
「うあぁぁっ!?」
後衛の真奈も魔力切れによる強烈な眩暈で膝をつき、影蜘蛛の粘着糸で壁際へ叩きつけられた。
「真奈! 悠斗!」
わずか数分。初心者パーティの四人はまともに動ける状況ではなかった。
大地の脇腹からは血が溢れ、悠斗は歩行不能、真奈は意識が朦朧としている。無傷なのはパニックで震える補助担当の梨花だけだった。
「回復薬は……!? 誰か、回復薬持ってないの!?」
大地の叫びに、悠斗が血のついた腰袋を震える手で探ぐった。
「あ、ある……! 昨日、ネットで届いたやつ……!」
取り出されたのは素っ気ない透明な小瓶。
手書き風のシールに、黒い文字で『薬草水(100円)』と書かれている。
「100円の気休め水で、この怪我が治るわけないじゃない!」
「でも……これしかないんだよ!」
大地が蓋を力任せに捻り開けた。
「飲め! 残りは傷口にかけるぞ!」
カチャ。
蓋が開いた瞬間、洞窟の湿ったカビ臭さを塗り替えるような澄んだ清涼感が立ち上る。
大地は迷わず液体を一口含み、残りを自分と仲間たちの傷口へ振りかけた。
数秒後。
「……あ」
梨花は息を呑んだ。
大地の脇腹から溢れていた鮮血が嘘のようにぴたりと止まる。
深かった傷口が塞がり、悠斗の足にも、真奈の顔にも一瞬で生気が戻っていく。
「……痛み、消えた」
「あたし……魔力も戻ってる……! 火弾撃てる!」
悠斗は立ち上がった。真奈も杖を握りなおす。
「立てるな!? 撤退するぞ!」
◇
「お前たち……どうやってあの影蜘蛛の発生地帯から無傷で戻ってきたんだ!?」
ダンジョン前哨基地の救護所。ギルドのベテラン職員が、血痕だらけの服を着たまま五体満足で生還した四葉の四人を前に絶句していた。
「これのおかげです」
大地が差し出したのは、空の小さなガラス瓶。
「……『薬草水』? こんな初歩的なハーブ水で深手と魔力枯渇が治るわけないだろ。一体いくらしたんだ?」
「100円です。送料込みで」
「……100円?」
職員の口が止まった。
◇
その日の夕方。
SNS『Y』の冒険者コミュニティに投稿された一通のツイートが、波紋を呼んだ。
【大地@Fランク冒険者】
『マジで死ぬかと思った。黒鼠一階層で影蜘蛛に囲まれて全滅しかけたけど、昨日届いた「100円の薬草水」使ったら血が一瞬で止まって魔力も回復して生還できた。
佐伯錬金工房様、本当にありがとうございました。命の恩人です。#ダンジョン #初心者冒険者 #薬草水』
当初は「自作自演」「ただのハーブ水だろ」と冷ややかな反応ばかりだった。
しかし、そこへ別のFランク冒険者たちが次々と割り込んでくる。
「これマジですよ! 僕たちも一昨日、この薬草水で仲間の深手がすぐ治って助かりました! 100円だけど本物です!」
「俺も買った! 飲むと体力がめっちゃ回復する。商品説明の『怪我をする前に帰れ』って心得が地味に神」
「100円の薬でパーティ全員が生還した」
その衝撃的な事実と、実際に命を救われた初心者たちのリアルな証言。
スクショと共に拡散された商品ページのURLは、夜になるころには引用やスクショが次々と流れていた。
『100円ってマジ? 送料込みで??』
『怪しすぎるけど、ジュース買う感覚で買えるな。一本ポチった』
◇
翌朝。午前六時。
「よし、今日も仕入れの前に注文チェックを……」
パソコンの画面を更新した瞬間、俺は手に持っていた湯呑みを落としそうになった。
【管理画面】
・アクセス数:1,842
・お気に入り登録:480
・本日の注文数:52本
「ご、ごじゅう……二本!?」
思わず眼鏡を外して目を擦る。
昨日まで「1日5本売れた!」と喜んでいたのが、一晩で数字が跳ね上がっている。
注文欄を見れば『100円で売ってくれてありがとうございます!』『心得、勉強になりました!』という若い冒険者たちからの感謝のコメントで溢れていた。
「みんな……口コミを見て来てくれたのか」
胸のあたりがほんのり熱を持つ。
大企業時代、いくら予算を投じても届かなかった貧乏な新人たちに俺の薬が届いている。
(少し値上げした方がいいのかな……?)
一瞬だけ頭をよぎったが、俺はすぐに首を横に振った。
「ダメだ。みんな100円だから買ってくれたんだ。財布が空っぽの駆け出しが買える命綱なんだから、初心者が買いやすい値段を崩しちゃ意味がない」
値段の欄に伸ばしかけていた手を止めた。
「よし、今日の仕込みは少し増やすか! 1日200本ペースなら、昔の工程管理の経験を活かせば一人でも余裕をもって回せるな」
俺はいつも通り丁寧に薬草を洗い始めた。
◇
同じ頃。
東京都内にある冒険者ギルド本部の『素材・薬品鑑定室』。
「……なんだね、朝から騒々しい」
白髪混じりの髪を撫でつけ、ギルド専属の上級鑑定士・神崎玄真は不機嫌そうにメガネを直した。
「か、神崎先生! これの鑑定をお願いします!」
若い職員が青ざめた顔で差し出したのは、緩衝材に包まれた小さなガラス瓶。
中には、かすかに翡翠色の光を帯びた澄んだ液体が入っている。
「Fランク冒険者の間で『全滅を救った神薬』と話題になっている品です。現場の救護担当も、重傷だったはずの冒険者が無傷で戻ってきたのを確認していまして……」
「くだらん」
神崎は鼻で笑い、小瓶を受け取った。
「若い連中がパニックでプラシーボ効果でも起こしたのだろう。どれ、せいぜい初級草を煮出しただけの雑多な薬水——」
言葉がピタリと止まった。
光にかざした液体に、濁りが一切ない。
沈殿がない。初級草の煮出し液なら、多少なりとも濁るはずだ。
(……おかしいな)
神崎は無言で引き出しから魔力測定器を取り出し、小瓶の口に試薬用の針を刺した。
ピピッ——カチッ。
『エラー:測定不能』
「……不具合か?」
神崎は眉間にしわを寄せ、予備の測定器に取り換えて再度針を落とす。
ピピッ——カチッ。
『エラー:測定不能』
三度目も、同じエラー音が室内にむなしく響いた。
「神崎先生……? 一体、何が……」
「……分からん」
神崎の低い声に、職員が息を呑んだ。
ギルドで一、二を争う目利きである神崎が、「分からない」と言ったのだ。
神崎は測定器から目を離し、もう一度小瓶を穴があくほど見つめた。
二台とも測れない。そんな薬を神崎は見たことがなかった。
「……ただ、一つだけ言える」
神崎は瓶に貼られた手書き風の素朴なシールを睨みつけた。
『薬草水(100円)』
『佐伯錬金工房』
「この薬を作った人間は……少なくとも、私の知っている錬金術師ではない」
神崎は瓶から目を離せなかった。
「……これ、誰が作ったんだ?」




