第30話 妙なレビュー
朝日が差し込む作業場の机で俺はパソコンの画面を見つめていた。
昨夜出品した【深層探索用・試作薬】の三十本は数秒で完売した。
購入してくれた方たちへの感謝を込めつつ、俺はショップの管理ページから「購入者レビュー」の欄を開いた。
「どんな感想が来てるかな……」
ダンジョンでの使い心地や、回復ポーションとの併用感についてのフィードバックを期待していた。
ところが、画面をスクロールしていくと、どうも様子がおかしい。
『夜勤明けに使用。いつもなら昼過ぎまで残る全身の重さがすっと引いた』
『長時間のデータ解析後に服用。脳の奥の不快な圧迫感が消え、集中力が完全に回復』
『深夜までの書類作業に。これまで飲んでいた高価格帯の疲労対策飲料とは明らかに質が違う』
『長距離運送の仕事で使用。身体の重さが劇的に軽くなりました』
「……ん?」
冒険者向けの商品ページなのにレビューを書いているのは明らかに冒険者ではない。
さらに読み進めると。
『次回販売分は、三万円でも構いません。優先的に購入させていただけないでしょうか』
『多少の値上げがあっても買い続けます』
『三百円とは言わず値上げしていただけないでしょうか』
指がピタリと止まった。
「さん……三万円……?」
画面の文字を二度見直す。
【販売価格:300円】
間違いなく自分が設定した価格だ。
「いやいや、大げさすぎるだろ……ただの試作品だぞ?」
苦笑しながら、俺は頭を掻いた。
「それにしても……なんで冒険者以外の人たちがこんなに買ってるんだ?」
商品ページを開き直し、記載した文章をじっくりと読み返した。
【品名:深層探索用・試作薬】
【説明:深い階層を探索される冒険者様向けに、魔力循環の補助と疲労軽減を目的とした試作品です。30本限定となりますので、よろしければご意見をいただけますと幸いです】
「うん……ちゃんと深層探索用って書いてあるし、カテゴリも冒険者用薬品なんだけどな……」
いくら考えても、理由が分からない。
画面をさらに追っていくと、評価の星が少し低いレビューが目に留まった。
『効果は確かに感じられました。ただ、苦味がかなり強く、喉に残ります』
『青臭さが少し気になりました。もう少し飲みやすくなると助かります』
俺はそこで画面を拡大した。
「やっぱりか……」
三万円という極端な書き込みよりも、「苦味」と「青臭さ」という指摘の方が胸に強く刺さった。
「前の抽出工程だと、雑味がどうしても残っちゃうんだよな。温度管理をもう少しシビアにしないと……」
俺は椅子から立ち上がり、手帳を開いてメモを走らせた。
お金をもらって売る以上、少しでも飲みやすいものを作らなければ申し訳ない。
値段が安いからといって妥協していい理由にはならなかった。
棚から昨日仕込んだばかりの新しい試作用小瓶を取り出す。
今回の改良では、魔力芋を煮出す際の温度を従来より二度下げ、抽出時間を三分延長した。さらに、濾過の工程を二回から三回に増やしている。
栓を抜くと、かすかな清涼感を含んだ香りが立ち上った。
小瓶を傾け、口に含む。
「……ん」
舌の上に広がる液体を確かめ、ゆっくり喉へ流した。
「うん。前のやつより苦味が角取れてるな」
喉を通った後に残るあの独特の青臭さもかなり薄い。
「これなら前よりずっと飲みやすい。……でも、後味をもう少し爽やかに工夫できるかもしれないな」
手帳にペンを走らせる。
・抽出温度の再調整 → 改善
・青臭さの低減 → 改善
・喉越し → 改善
・長期間の保存性 → 未確認・要検証
「次は保存期間のテストだな。瓶の密閉方法も工夫してみるか」
俺は腕を捲り上げ次の試作に向けて錬金釜の準備を始めた。
◇
帝国製薬本社・経営企画本部。
プシュッ、と鋭い音がして、黒木は缶の呑み口に唇をつけた。
強烈な人工甘味料の味と炭酸の刺激が喉を駆け抜ける。
ゴクゴクと半分ほど飲み干し、息を吐いた。
「……」
目の下には相変わらず薄暗いクマがある。
エナジードリンクのカフェインで頭は冴える。だが、肩から背中にかけて張りつく鉛のような重さは、何一つ変わらない。
一度味わってしまった感覚を知る前なら、これで満足できただろう。
今は喉を通る刺激が妙に空しく感じられた。
黒木はモニターに表示されたスタンダードポーションの売上推移へ目を向けた。
ここ数週間、ゆるやかではあるが確実に右肩下がりの描線を描いている。
(原因は一つではない。市場全体の冷え込み、競合他社の低価格路線……)
黒木は画面を切り替えた。
佐伯修一の個人ショップページ。
(……この男の存在が、まったく無関係とも思えん)
佐伯が出品しているのはわずか三百円の試作薬。
供給量も一度に三十本程度。我が社の全体売上から見れば誤差のような数字に過ぎない。
それでも、スタンダードポーションを購入していたヘビーユーザーの減少と、佐伯の出品時期には無視できない重なりがあった。
時計の針は十四時五十九分を指している。
事前情報によれば、佐伯が新しい試作品を出品するのは十五時頃。
黒木はキーボードに指を置き、リロードボタンの上にカーソルを合わせた。
十五時ちょうど。
カタッ、と軽快な打鍵音が響く。
ページが更新された。
【深層探索用・試作薬(改良型)】
【在庫:30】
「……来た」
黒木は即座に購入画面を開いた。
商品ページから購入ボタンをクリックし、手慣れた操作で決済画面へ進む。
「よし」
確定ボタンを押した。
――その直後。
【申し訳ありません。この商品は完売しました】
画面中央に赤文字が浮かび上がった。
「…………」
黒木は画面を見つめた。
わずか数秒。
もう一度ページを更新する。
【在庫:0】
「……」
黒木は椅子の背にもたれた。
眉間にシワが寄る。
怒鳴る気力もない。
「……またか」
やり場のない徒労感だけが広がっていく。
コンコン、とドアが叩かれた。
「本部長、お話し中でしたか?」
分析担当の社員が入ってくる。
黒木は画面を閉じた。
「いや……現時点ではごく小規模な、個人販売品の動向を確認していただけだ」
「ああ、例の個人出品者の……ですか。弊社としても、本格的な対策チームを組むべきでしょうか?」
黒木は一瞬だけ黙った。
(教える必要はない)
この薬のことを社内に広めれば、どうなる。
出品されるのはたった三十本だ。
社員が知ればその分だけ自分の手元に届く可能性が下がる。
「……いや」
黒木は何事もなかったように答えた。
「わざわざ社内のリソースを割くほどのものではない。性能自体は確かに興味深いが、供給能力が圧倒的に不足している。我が社のシェアを脅かすレベルではない」
「はぁ……左様ですか」
社員は少し首をかしげたが本部長の判断に従って頷いた。
「分かりました。では先ほど依頼されたスタンダードポーションの地域別出荷データの資料をお持ちしましたので、こちらに置いておきます」
「ご苦労」
社員が礼をして部屋を出ていく。
ドアが閉まる。
黒木はしばらく動かなかった。
やがて手元の資料へ目を落とす。
佐伯の薬を買っていく購入者たちの傾向。
帝国製薬のスタンダードポーションの売上が、どの地域・どの層から落ち込んでいるか。
二つの資料を並べる。
(……確定とまではいかないが、一因である可能性は極めて高い)
佐伯修一という職人が作る薬はすでに市場の一部へ入り込んでいる。
しかも、厄介なのはその性能だけではない。
三百円。
それでいて、買った人間は次も欲しがっている。
黒木は資料の端を指で叩いた。
(薬草水とは違う。だが、あの薬もまた、既存製品では代替できない価値を持っている)
今の供給量なら、帝国製薬のシェアを大きく揺るがすことはない。
そう判断したところで、黒木は先ほどの購入画面を思い出した。
【完売】
「……」
黒木は引き出しを開けた。
奥には一本の空瓶が収まっている。
黒木は瓶を指先で転がし、すぐに引き出しを閉めた。
「……仕事だ」
明日の朝一番には経営企画本部の会議がある。
佐伯の薬が市場に与えつつある影。
スタンダードポーションの売上低下。
購入者層の変化。
報告すべき数字を一つずつ整理する。
その一方で黒木の頭の片隅には別の数字が残っていた。
【在庫:30】
そして、
【完売】
(……次こそは)




