第26話 奪ったはずの市場
「プロジェクト・ビギナーズ、全ライン稼働開始。第一陣、全国各支部のギルド窓口および認定薬局へ一斉配送完了」
帝国製薬本社・経営企画本部。
大型モニターが並ぶ会議室に報告の声が響いた。
正面のスクリーンには日本全国のギルド店舗を示す地図と販売データが映し出されている。
「初動、想定数値を上回っています!」
営業担当の社員が端末を見ながら声を上げた。
「北海道から九州まで、全国主要都市の冒険者ギルド窓口で販売開始と同時に購入が集中しています。特にFランク、Eランクの登録者が多い支部では消化が早い。一部の都市部ギルドではすでに入荷待ちの列ができています!」
黒木は腕を組んだまま、スクリーンを見ていた。
手元の端末にはSNSや冒険者専用掲示板の書き込みが次々と表示されている。
『マジか、帝国製薬のビギナーズポーション80円だってよ!』
『今までの半額以下じゃん。ギルドの窓口で普通に買えたわ』
『今まで安いのって個人出品の怪しい通販しかなくて、すぐ売り切れてたから助かる』
『大手だから品質チェックも通ってるし、とりあえず2本買った』
「順調ですね、黒木本部長」
マーケティング担当の男性が資料をめくりながら口元を緩めた。
「一本八十円という価格と全国五万本の供給量。それに帝国製薬の名前がついている。初心者冒険者が買わない理由はありません」
「当然だ」
黒木は画面から目を離さなかった。
「佐伯修一がどれだけ精度の高い薬を作ろうと、一日三百本では全国の需要を満たせん。一瓶百円の薬草水を買いたくても買えなかった連中なら、いつでも買える八十円の商品を選ぶ」
「はい」
営業担当が頷く。
「佐伯の薬が高品質なのは間違いありません。ただ、浅層で活動する初心者冒険者まで同じ性能を求めているわけではないでしょう。彼らが必要としているのは、安くて、いつでも買える回復薬です」
黒木はスクリーンに映る販売数を指で示した。
「ビジネスとはそういうものだ。最高品質の商品が、常に市場を取るとは限らん」
◇
都内某所。
冒険者ギルド支部の購買カウンターに若い男女が並んでいた。
二人とも皮の胸当てに擦り切れたブーツ姿だ。
「すごいな、これ……本当に八十円だ」
剣を背負った少年が、手のひらに載せた青い液体の瓶を見る。
ラベルには『帝国製薬』の文字が入っている。
「うん! 今までは一番安くても五千円だったから、怪我するのが怖くて依頼を選んでたけど……これなら二本買えるよ!」
隣の少女が財布の中身を確認する。
「通販で話題の佐伯錬金工房の薬草水も気になってたんだけどね。百円でめちゃくちゃ効くらしいよ」
「俺も見た。でも、出品された瞬間に売り切れるんだろ?」
「うん」
「だったら、今日はこっちでいいな。帝国製薬なら変な薬ってこともないだろ」
少年は二本の瓶をポーチへ入れた。
「これで今日の採取依頼も少し安心だな」
「うん!」
二人はそのままダンジョンへのゲートへ向かっていった。
同じような光景が全国のギルド支部で起きていた。
佐伯の薬草水を嫌っているわけではない。
欲しくても買えなかった初心者たちが目の前に並んだ八十円の回復薬へ手を伸ばしただけだった。
◇
発売から三日。
帝国製薬本部の会議室では販売実績の報告が続いていた。
「ビギナーズポーションの出荷数は初日から増加しています。全国の初心者冒険者層における購入シェアは現在六十八パーセントです」
営業担当が資料をめくる。
スクリーンには帝国製薬の販売シェアを示す棒グラフが表示されていた。
「佐伯のネット販売ページへの初心者層からのアクセス数も減少しています。SNSでも『わざわざ争奪戦に参加しなくても帝国製薬の八十円で十分』という書き込みが増えています」
「……そうか」
黒木は椅子に座ったまま、画面を見ていた。
「佐伯錬金工房の販売状況は?」
「はい」
部下がタブレットを操作する。
「初心者層の離脱に伴い、総PV数は約四十パーセント低下しています。個人工房としての集客は落ちています」
「完売状況は?」
黒木が口を挟んだ。
部下の指が止まる。
「……完売、ですか?」
「一日三百本の出品枠だ。消化速度を聞いている」
「少々お待ちください」
部下が画面を切り替える。
そして、眉を寄せた。
「……売れています」
「どれくらいだ」
「発売初日も、昨日も、今日も……出品から三分以内に三百本すべて完売しています」
「……何?」
営業担当が身を乗り出した。
「初心者層のアクセスが四十パーセントも落ちているんだろう? なのに、なぜ完売する?」
「価格は変わっていません。一瓶百円です」
「なら、誰が買っている?」
部下は急いでデータを呼び出した。
「購入者の属性を出します」
スクリーンの表示が切り替わる。
【佐伯錬金工房・薬草水 購入者属性推移】
「な……」
営業担当が画面を見たまま固まった。
「初心者が八パーセント?」
「はい」
「じゃあ、残りは……」
「Bランク以上が五十八パーセントです」
部下が別の資料を表示する。
「それだけではありません。Bランク以上の冒険者による再購入率が九十四パーセント。出品時間に合わせて購入するための準備をしている人間までいます」
「準備?」
「自動購入ツールや高速回線を使っているようです。出品される時間も、口コミで広まっています」
黒木は画面を見た。
初心者向けの商品として始まった販売ページから、初心者が消えている。
その代わりに上級冒険者たちが群がっていた。
「……そういうことか」
黒木は椅子の背に体を預けた。
「黒木本部長……」
営業担当が戸惑ったように声をかける。
「我々は、佐伯の顧客を減らしたのでは?」
「減っていない」
黒木は短く答えた。
「初心者が買わなくなっただけだ」
「では、なぜ上級者が?」
「決まっている」
黒木はスクリーンの数値を指した。
「分析で分かっていた。あの薬は初心者向けの商品じゃない。性能だけを見れば、深層攻略者こそ欲しがる薬だ」
「……だから初心者が消えた分だけ、その連中が入ってきた」
「そういうことだ」
黒木は机を指先で叩いた。
「一日三百本しかない。なら、その三百本を取れる人間が買う」
営業担当が呟く。
「我々が初心者を引き取ったせいで……」
「佐伯の薬を奪い合う相手が減った」
黒木が続けた。
「初心者市場を取ったつもりが、あの男にとっては――」
黒木はそこで言葉を切った。
「最も手間のかかる客層を我々が引き受けただけなのかもしれんな」
◇
都外れの小さな借家。
作業場ではガラス瓶が触れ合う音がしていた。
カチャ、カチャ。
俺は精錬窯の火を弱め、できあがった薬草水を木杓子ですくう。
澄んだ蒸気が上がり、青くささの中に少し甘い香りが混じった。
「ふう……今日も三百本、できたぞ」
汗を拭き、作業台のスマートフォンを手に取る。
ネット通販の管理画面を開く。
今日も出品した分は、すでに在庫ゼロになっていた。
「……あれ?」
購入者から届いたメッセージを眺める。
『佐伯様、本日も無事に購入できました。第45層のボス戦前線で使わせていただきます。命の恩人です』
『前回の探索で深層特有の魔力酔いを防げました。百円という価格には、いまだに驚いています』
『我がクランの主力部隊用に、毎日購入しています』
「なんだか……最近、買ってくれる人が変わったなあ」
以前は、
『初めてのダンジョン、頑張ります!』
『お小遣いで買えました!』
そんなメッセージが多かった。
それが最近は第何層だの、深層だのという話ばかりだ。
俺は画面を見ながら首を傾げた。
「あ、そうか」
ぽん、と手を打つ。
「帝国製薬さんのおかげだ」
一瓶八十円。
しかも全国のギルドで買える。
「お金のない初心者さんは、もう俺の通販を待たなくてもいいんだ。ギルドへ行けば、安い薬が買える」
俺は嬉しくなった。
「よかったなあ。これなら、薬が買えなくて無理をする初心者さんも減るぞ」
スマートフォンを置き、作業台へ戻る。
「そうなると、俺の薬草水は……深い階層へ行く人向けに作ってもいいのかな」
棚から乾燥させた薬草を取り出す。
葉を指先で軽く揉むと、カサリと乾いた音がした。
「深いところだと、怪我だけじゃなくて魔力の消耗も大きいだろうしな」
ノートを開く。
「いつもの下処理を少し変えて、抽出温度を二段階にしてみるか。回復だけじゃなくて、魔力の巡りを助けるようにできれば……」
ペン先が走る。
「疲れにくくなる薬、か」
考えているうちに、いくつか試したい方法が浮かんできた。
俺は思わず笑った。
「面白そうだな」
新しい薬を作る。
そのことを考えるだけで、手が動きたくなる。
「よし。明日はこれを試してみよう」
俺はノートに大きく丸をつけた。
◇
深夜。
帝国製薬本社・経営企画本部。
照明の落ちた部屋で黒木のPC画面だけが光っていた。
画面には佐伯錬金工房の通販ページが表示されている。
「黒木本部長」
夜勤の部下が声をかけた。
「佐伯のページに動きがありました」
「なんだ」
黒木は画面を見たまま答える。
「出品予定欄に新しいカテゴリーが追加されています。商品名は『試作品・名称未定』。説明文も更新されています」
「見せろ」
部下が画面を拡大する。
そこには、短い文章が表示されていた。
『深層攻略を目指す冒険者様向けに、長時間の探索でも魔力循環を健やかに保つための試作薬を準備中です。必要な工程が増えるため一瓶三百円になってしまいますが、準備ができ次第出品します』
「……三百円?」
黒木が画面を見つめる。
現在、大手各社が販売している深層攻略者向けの特級・最高級ポーションは一瓶数万円程度。
その市場へ、佐伯は三百円の商品を出そうとしている。
「本部長……」
部下の声が小さくなる。
「これが本当に、佐伯の薬なら……」
「分かっている」
黒木は答えた。
佐伯の薬草水はすでに既存の回復薬とは比較にならない性能を見せている。
その男が深層攻略者向けの薬を作る。
「我が社の高価格帯商品まで、食われる可能性があります」
「……」
黒木は画面に表示された『三百円』を見つめた。
初心者市場を取った。
八十円の商品を全国へ流した。
佐伯の客を減らした。
それで終わるはずだった。
「初心者市場は取った」
黒木が呟いた。
「だが、あの男はもう次を見ている」
「次……ですか?」
黒木は答えなかった。
画面の向こうではまだ試作品の名前すら決まっていない。
それでもその薬が完成すれば何が起きるのか。
黒木には想像がついた。
「……佐伯修一」
黒木は小さく名前を呼んだ。
「お前には何が見えている」




