第20話 帝国製薬は分析する
「……これが、あの百円の薬か」
帝国製薬・中央研究所。
ガラスで区切られた無菌室の中央にスチール製の分析台が置かれている。
その上に載っているのは小さな薬瓶が一本。
経営企画本部長の黒木はアクリルケース越しに瓶を眺めた。
帝国製薬が一日に生産するポーションは十五万本。それを分析するための研究所でたった百円の薬が一本だけ厳重に保管されている。
その事実が妙に癪に障った。
透明な液体がLED照明を受け、翡翠色の光を返している。
瓶の側面に貼られた簡素なラベルには黒いインクで二つの文字列だけが記されていた。
【薬草水】
【100円】
傍らに立つ研究主任の高橋が白衣のポケットから手帳を取り出した。
「はい。出品と同時にアクセスが殺到しまして。購買部が複数のルートから確保を試みましたが……手に入ったのは、この一瓶だけです」
「たった一瓶に、そこまで手間取ったのか」
「需要が尋常ではありません。ギルドの公開データでも中級以上の冒険者や医療関係者からの購入希望がかなり多いようです。出品されれば、ほとんど一瞬で売り切れます」
「ふん……」
黒木は鼻を鳴らした。
「一日三百本しか作れないんだろう。市場全体から見れば、取るに足りない数字だ」
「はい」
黒木はアクリルケースの中の瓶から目を離した。
「あれだけの需要が集まる理由は確認しておく。分析を始めろ」
「承知しました」
高橋がタブレットを操作すると壁面のモニターに成分解析の結果が映し出された。
「まず成分分析です」
高橋は表示されたデータを確認しながら続ける。
「結論から言いますと、特殊な希少素材や未登録の魔法触媒が混入している形跡はありません」
「……なんだと?」
黒木の眉が寄る。
「主原料は市場で安価に流通しているごく普通の緑薬草。それに、精製水。……それだけです」
「普通の緑薬草?」
「はい。我が社でも日常的に使っている原料です。基本的な配合比率も標準レシピから大きく外れていません」
「未知のダンジョン素材も高価な回復成分もなし?」
「ありません」
高橋は首を横に振った。
「原材料だけなら、我が社のスタンダードポーションと同等以下です」
黒木は腕を組んだ。
無菌室には空調の低い駆動音だけが響いている。
「……材料が同じなら、なぜ効く?」
「そこです」
高橋が画面を切り替えた。
今度は帝国製薬のスタンダードポーションと、佐伯の薬草水を並べた比較表が表示された。
「性能試験で問題の理由が出ました」
「言ってみろ」
「治癒開始までの時間は、我が社のスタンダード品の約七分の一。薬効成分の吸収効率も、ほぼ限界値です。それから……」
高橋が一度言葉を切った。
「薬酔いの原因になる残留不純物が、ほとんど検出されませんでした」
黒木の指が止まった。
「……ほぼ、ゼロ?」
「測定限界ぎりぎりです」
「…………」
高橋が別のデータを表示する。
「こちらは特選上級ポーションとの比較です」
一本三万円。
帝国製薬が誇る高級ラインのポーションだった。
「初期の組織修復が始まるまでの時間は薬草水の方が上です」
黒木は奥歯を噛んだ。
一級冒険者レオン・ヴァルハイトがSNSで口にした、
『大手が出している数万円の高級ポーションより効きが早い』
という評価。
それが実際の試験でも裏付けられてしまった。
「……おかしい」
黒木の声が低くなる。
「薬草も精製水も我が社で扱っているものと同じ。配合比率にも大きな違いがない。なら、我が社でも作れるはずだろう」
「それが……作れないのです」
高橋が首を振った。
「成分分析の結果をもとに同じ比率で再現サンプルを作りました。同じ緑薬草を使い、実験室で調合しています」
「結果は?」
「治癒速度も純度も、我が社の通常品と大差ありませんでした」
高橋は苦い顔をした。
「材料を揃えて、配合まで合わせても、佐伯さんの薬草水にはならないんです」
「なぜだ」
「……工程かと」
高橋が別のアーカイブを開く。
「佐伯修一が在籍していた頃の作業記録です。我が社が生産ラインの自動化を進めた際、廃止した工程が残っていました」
モニターに、古い作業手順が並ぶ。
・薬草の水分量と葉脈の硬さを確認
・部位ごとに選別し、抽出温度を調整
・ろ過時の落下速度と圧力を管理
黒木は画面を眺めた。
「……手作業か」
「はい」
「我が社が切り捨てた工程を、そのまま続けているわけだな」
黒木は鼻で笑った。
「大量生産に向かない。人件費もかかる。作業者によって品質が変わる。……そんな方法を続けているからこそ、再現できないだけじゃないのか?」
「私も最初はそう考えました」
高橋は答えた。
「なので、実際に試しました」
「手作業で?」
「はい。同じ緑薬草を用意して、過去の手順書に従わせました。温度も時間も記録通りに管理しています」
「それで?」
「一回目は失敗しました」
高橋は淡々と続ける。
「作業者を別のベテラン技師に替えて二回目。結果は同じでした。三回目も同様です」
「……三回とも?」
「はい。性能は我が社のスタンダード品とほぼ同じでした」
分析室に沈黙が落ちた。
黒木はモニターに表示された三つの試験結果を睨んだ。
「……手順書通りにやっても再現できない?」
「その通りです」
高橋が古い作業記録を指で拡大した。
「問題はここです」
そこにはいくつかの簡素な記述が並んでいた。
『葉の状態を確認して抽出温度を調整』
『液体の色と香りを見て加熱を終了』
「具体的な温度も、加熱時間も記録されていません」
「……数値化されていないのか」
「はい」
高橋は画面を閉じた。
「その日の薬草の状態。気温や湿度。抽出中の液体の色。香りの変化。そういったものを見ながら、佐伯さん自身が調整していたようです」
「つまり、手順書だけでは足りない」
「おそらく」
「……厄介だな」
黒木は椅子に腰を下ろした。
原材料ではない。
配合でもない。
設備でもない。
手順書でも再現できない。
黒木はアクリルケースの中にある一本の薬瓶へ目を向けた。
「……佐伯本人か」
高橋が頷く。
「私も、そこが一番可能性が高いと考えています」
「本人の感覚と技術が製品の性能を決めている」
「はい。少なくとも、現在のデータからはそう判断するしかありません」
黒木はしばらく黙っていた。
やがて、一本の指で机を叩く。
「なら、調べればいい」
「……何を、ですか?」
「佐伯が何を見ているのかだ」
黒木は即答した。
「薬草のどこを見て、どの時点で温度を変えるのか。何を基準に加熱を止めるのか。経験なのか、感覚なのか、それとも我々が知らない別の技術なのか」
高橋は黙って聞いている。
「そこが分かれば再現の糸口は見つかる」
黒木は机上の薬草水を見た。
百円。
帝国製薬の高級ポーションなら三万円を超える商品だ。
それと同等以上の性能を持つ薬が百円で売られている。
「……調査対象を変える」
「変更ですか?」
「薬草水そのものを追うのは一旦やめろ」
黒木は高橋を見た。
「佐伯修一を調べろ」
「佐伯さん本人を?」
「そうだ。現在の住居、工房の設備、仕入れている原材料、資金繰り。過去の勤務記録も洗い直せ」
黒木は淡々と指示を並べた。
「それから、現在どんな環境で薬草水を作っているのかも確認しろ。設備が変わったのか、原材料の仕入れ先が違うのか。何か見落としている可能性がある」
「承知しました」
高橋が頭を下げる。
「佐伯修一という男を最初から調べ直します」
「頼んだぞ」
高橋が部屋を出ていく。
一人残った黒木はアクリルケースの中の小瓶を見つめた。
「……百円、か」
その声には先ほどまでの余裕がなかった。




