第16話 暗黙の了解
翌朝も俺はいつも通り朝六時に作業場へ入り薬草水を仕込んだ。
「……よし、今日も三百本。仕込みは完了だな」
熱い緑茶をすすりながら額の汗を拭う。
◇
同じ頃、ダンジョン街の冒険者ギルドロビー。
大型モニターの前に人だかりができていた。
スマホを握りしめた若手パーティ『青空の翼』のリーダー・トールは、タイムラインに流れる画像を二度見していた。
『佐伯さんの薬草水について』
一、転売品は絶対に買わない
二、備蓄目的の買い占めは禁止
三、買えなかった場合は暴れず、次の出品を待つ
「……誰が決めたんだ、これ」
「誰が決めたんでもないよ」
隣で弓を抱えた後衛の少女が首を横に振った。
「みんな、佐伯さんの薬が荒らされてなくなったら困るから……いつの間にか勝手に守り始めてるんだよ」
誰かが命令したわけでもない。
それでも、冒険者たちの間に自然発生的な決まりごとが広がりつつあった。
その時、購買カウンター付近で怒号が飛んだ。
「一人で二十本もカートに入れる気か!?」
「当たり前だろ! 俺たちは今日から五層の深部に行くんだ! 予備も含めて確保しておかないと死ぬんだよ!」
二級の金属タグを胸に下げた中級冒険者の男が、胸倉を掴まんばかりに叫んでいた。
危険な階層へ挑む以上、最高品質の薬を多く備えておきたい。それは冒険者として当然の、切実な生存本能だった。
「だからって、お前らが二十本取ったら他の奴が買えないだろ!」
「じゃあどうしろってんだ! 予備なしで深部に潜れって言うのか!?」
緊迫した空気に、トールが歩み寄った。
「気持ちは分かります。俺だって五層に行くなら二十本欲しいです」
「あ?」
「でも、今日俺たちが予備まで買い占めたら……明日五層に行く別のパーティはどうなりますか? 薬を持てずに全滅するかもしれない。……次に薬が買えなくて死ぬのは、俺たちかもしれないんですよ」
「…………」
中級冒険者の男は、苦々しい顔で沈黙した。
「佐伯さんは、俺たち冒険者全員のためにあの値段で出してくれてます。一組が溜め込んでこの循環を壊したら、結局回り回って全員が首を絞めることになります」
男はトールを鋭く睨みつけたがやがて乱暴に頭をかきむしった。
「……チッ。分かったよ。今日の探索で使う六本だけにする。……文句ねえだろ」
「……ありがとうございます」
ギルド二階の業務用モニター前では、職員たちがその光景を感心したように見つめていた。
「……殺到していた苦情が、嘘みたいに消えましたね」
「ああ。ギルドから何も要請していないのに……冒険者たちが自ら相互扶助の秩序を作り始めている」
そこへ、SNS投稿が流れてきた。
『もうみんながやってるなら、それでいいと思う。佐伯さんは毎日作ってくれてる。焦って転売屋から買うな』
◇
だが、その直後、タイムラインに波紋が広がった。
佐伯の薬を大量に出品していた転売グループのアカウントが、連続で投稿を開始したのだ。
『転売屋を悪者扱いする連中に告ぐ。俺たちは法律に違反してない』
『正規価格で購入して、市場に出してるだけ。需要があるから高くなる。これが市場経済の原則』
『買い占めて全国に流通させてやってるんだから、むしろ感謝されるべきだ』
開き直った投稿に、タイムラインは一瞬で加熱した。
『通販サイト知らないの? 佐伯さん毎日公式で売ってるんだけど』
『お前らが買い占めて供給絞ってるから値段上がってんだろ』
『「流通させてやってる」なら、なんで百円の薬が三千円になるんだよ。差額はお前のポケットの中だろ』
『本当に佐伯さんのためを思って宣伝・流通させてるなら、その転売利益、全部佐伯さんに渡せば?』
追いつめられた転売屋は意地になって打ち返した。
『は? 俺たちは慈善事業をやってるわけじゃない。安く買って高く売る。ビジネスなんだから利益を得て何が悪い?』
しかし、それに対するカウンターはあまりにも冷静で致命的だった。
『……つまり佐伯さんのため、届けてやってる、っていうのは全部建前でただの自分の小遣い稼ぎでしたってことですね』
『最初からそう言えばいいのにwww』
『感謝されるべきとか言ってたの誰だっけ?』
転売屋のアカウントは炎上が広がるにつれて、やがて非公開へと変わった。
◇
その日の夜。
作業を終えた俺は、温かい緑茶をすすりながらパソコンの画面を眺めていた。
レビュー欄を開くと、相変わらず温かい言葉が並んでいる。
『佐伯さん、いつもありがとうございます』
『転売屋からは買いません! 公式販売をずっと待ってます』
『無理して増産しなくて大丈夫ですからね』
『品質を落とさないでください』
「……みんな、本当に優しいなあ」
俺は湯呑みを置きほっと心を和ませた。
よく分からない騒ぎもあったようだがレビュー欄を見る限り、みんな俺の薬草水を気に入って、応援してくれているらしい。
(『無理して増産しなくて大丈夫』か……職人として、こんなに嬉しい言葉はないな)
無理に数を増やして、温度管理や抽出の質を落とすわけにはいかない。
明日も変わらず、できる限りの丁寧さで三百本を作ろう。
(よし。これなら明日も安心して薬を作れそうだ)
穏やかな気持ちでパソコンを閉じようとした、その時――
画面の右下に、一通の通知ポップアップが跳ね上がった。
ピコン。
【差出人:ダンジョン冒険者ギルド本部・物資管理課】
【件名:【重要】佐伯錬金工房様へ 緊急のご相談】
『佐伯錬金工房 佐伯修一様』
『突然のご連絡を失礼いたします。ダンジョン冒険者ギルド本部・物資管理課の――』
「……ん?」
俺はマウスを持ったまま首をひねった。
「……物資管理課? なんでギルドの本部から、俺みたいな個人の店に連絡が来るんだ……?」




