第13話 一級冒険者が百円の薬を試してみた
迷宮領域——黒曜宮殿。
一級冒険者の中でも、厳重な攻略許可を得た者しか立ち入れない高難度領域である。
その最深部近く、冷たい黒檀の石畳の上で、一級冒険者レオン・ヴァルハイトは荒い息を吐いていた。
「……くっ、流言通りの硬度か……!」
視線の先には、全身を漆黒の結晶甲殻で覆った巨大な魔物、黒曜の騎士。
先ほどの一撃を大剣で受け止めたものの、衝撃を殺しきれず、レオンの右腕は激しく痺れ、筋肉が断裂しかけていた。皮膚の下で内出血が広がり、剣を握る指先が痛みに震える。
一級冒険者の戦いにおいて、ほんの一瞬の滞りは死を意味する。
高級回復薬を飲めば傷は塞がる。だが、市販の強力な薬品には必ず薬酔い——急激な細胞活性化に伴うわずかな倦怠感や関節の違和感が残る。
この極限状態において、その僅かな遅れは致命的だった。
(……いや、試すなら今か)
レオンは左手でベルトの最も取り出しやすい位置に差してあった小瓶を引き抜いた。
昨日、オークションサイトから届いた、一本たった百円の薬草水。
澄み切った翡翠色の液体。ガラス瓶越しに見えるその薬液には、澱み一つない。
キャップを外し一気に喉へと流し込む。
——ツンとした薬草特有の刺激臭はない。
青くささの残る瑞々しい香りと、かすかな苦味、そして爽快な清涼感が口いっぱいに広がる。
「……っ!?」
喉を通った瞬間、清涼な熱が体内を駆け巡った。
激痛を上げていた右腕の筋肉がまるで冷やした絹布で包まれたかのように急速に熱を引いていく。
痛みが消え、断裂しかけていた筋線維が違和感なく自然に繋ぎ合わさっていくのが分かった。
レオンは右腕を握り、指を一本ずつ動かした。
動く。
痺れも残っていない。
(……薬酔いが、全くない……?)
通常の高級薬を使った後に訪れる、頭が重くなるような怠さや視界のチラつきが一切ない。
それどころか、血流が整い、指先まで意識が研ぎ澄まされていく。
強引に傷を塞いだときの、身体を置き去りにしたような感覚もない。
ただ、右腕が元の状態に戻っている。
目の前で黒曜の騎士が黒光りする大剣を振り上げる。
レオンは迷わず、右腕で自身の愛剣を強く握り直した。
痺れも、躊躇もない。
「——甘い」
閃光のような一撃。
レオンの放った横一文字の斬撃が、黒曜の騎士の強固な甲殻を真っ向から断ち割った。
響き渡る砕裂音とともに、巨大な魔物が黒い粒子となって霧散していく。
大剣を鞘に収め、レオンは自分の右手をじっと見つめた。
「……傷が治るだけじゃない。身体の判断を、一瞬たりとも狂わせない……」
レオンにとって、それは傷が塞がったこと以上に重要だった。
一瞬の判断、一歩の踏み込み、剣を握る指の感覚。
そのどれか一つでも狂えば、次の一撃で命を落とす。
小瓶に残った最後の数滴を見つめ、レオンは静かに呟いた。
「……佐伯錬金工房か。これなら……次の戦場にも命を預けられる」
◇
その夜。
自宅兼工房の小さな作業場で俺はノートパソコンの画面を眺めていた。
「へえ……一級冒険者のレオンさん、っていう人からメッセージとレビューが届いてるな」
温かいお茶を一口すすり、画面の文字を目で追う。
『佐伯殿。本日、高難度領域にて貴殿の薬草水を使用させていただいた。過酷な実戦において、一切の不純物や身体への負担なく戦線復帰できたことに深く感謝する。職人としての真摯な姿勢が伺える逸品だ。今後も購入させていただきたい』
「一級冒険者さんかぁ……すごい人なんだろうなぁ」
息が漏れた。
「でも、一級冒険者さんだって、怪我をしたら痛いのは初心者さんと同じだもんな。……よし、誰が買ってくれたとしても、手抜きは絶対にできないぞ」
俺は立ち上がると、明日出品する予定の10本の薬草水が入ったガラス瓶を柔らかい布で一本ずつ丁寧に拭き始めた。
「明日も怪我をした冒険者さんのために、ちゃんと届けられるように作ろう」
俺はPCの画面を閉じ、寝室へ向かった。
◇
彼が眠りについた頃。
ネットの冒険者コミュニティSNSには、一つの投稿が投げ込まれていた。
発信者はフォロワー数数十万人を誇る一級冒険者、レオン・ヴァルハイト。
『本日、黒曜宮殿にて右腕に重傷を負うも、佐伯錬金工房の薬草水を使用し、即座に戦線復帰した。
一級冒険者として断言する。
この薬を初心者向けという理由だけで軽視するのはやめた方がいい。俺は次の攻略にも持っていく』
投稿が公開されてから、数分もしないうちに返信が増え始めた。
『……は? レオンさんが100円の薬使ったの!?』
『初心者向けって、あの噂になってる佐伯錬金工房のやつか!?』
『一級冒険者が次の攻略にも持っていくって……それ、命預けるってことだぞ!?』
『待て待て待て! 一級が買うなら、俺たちの分がなくなるだろ!!』
『明日何時に出品されるんだ!? カート待機するぞ!!』
コメントは次々と増えていった。
深夜にもかかわらず、ショップページへのアクセス数まで跳ね上がっていく。
佐伯錬金工房の名前を、それまで知らなかった冒険者たちまで商品ページを開き始めていた。
◇
翌朝。
すっきりと目覚めた俺は、朝食を済ませるとPCの前に座った。
「さて、今日も丁寧に作った10本、出品しようかな」
いつもの手順でショップ画面を開く。
【佐伯錬金工房】
【商品名:薬草水】
【在庫数:10本】
「よし、出品ボタン、と」
マウスをカチリとクリックする。
ピコン。
ピコン、ピコン、ピコンピコンピコンピコン——!
「うわっ……!?」
スピーカーから、聞いたこともないほどの勢いで通知音が鳴り始めた。
画面のタスクバーが点滅し、通知ウィンドウが次々と重なっていく。
「え……? な、何が起きたんだ……!?」
俺はマウスを握ったまま、画面を見つめた。
通知は一つ消えるそばから、また新しいものが表示される。
『注文が入りました』
『注文が入りました』
『注文が入りました』
「……ちょ、ちょっと待って。まだ出品したばっかりだぞ?」
慌てて画面を操作する。
在庫数の表示が、
10本
から、
7本
へ。
そして——
5本。
3本。
「えっ?」
瞬きをする。
1本。
「……え?」
最後の一本が売れた直後、画面に表示された。
【在庫数:0本】
「…………売り切れた?」
俺はしばらく、画面の数字を眺めていた。
「……今、出品したばっかりなんだけどなぁ」
ショップページのアクセス数はまだ増え続けていた。




