第12話 「百円の薬なんて」と笑った中級冒険者
「……おいおい、マジかよ」
ダンジョン街の東区にある、中級冒険者御用達の酒場『銀の杯亭』。
木目の荒いテーブルを囲む三人組の冒険者——パーティ『鋼の爪』のリーダー・グレンは、端末の画面を指で叩きながら鼻で笑った。
「昨日のギルド公式発表、見たか? 例の佐伯錬金工房の薬草水。ギルドの医務部門が直々に乗り込んで完全適合、おまけに推奨薬品と同等以上の品質だとよ」
「見た見た」
向かいに座る魔術師のミリアが、薄い麦芽酒のグラスを傾けながら肩をすくめる。
「掲示板は大騒ぎよ。初心者たちが神薬だなんだって崇めてるわ」
「バカバカしい」
グレンは腰に差した大型の戦斧を撫でながら、あきれたように吐き捨てた。
「一本百円だぞ? 送料込みで。本当にそんな凄え効き目があるなら、もっと高い値段をつけるだろ。どうせ初心者用の薄めた回復液に毛が生えた程度の代物だ」
「でもグレン、ギルドの医務部門って嘘はつかないでしょ?」
斥候のロイドが干し肉をかじりながら口を挟む。
「嘘はつかないが、基準が初心者基準なんだろ。俺たち三級冒険者が行くB階層の怪我にはどうせ使い物にならねえよ。高価な上級回復薬が一本三万円する時代だぞ?」
「……あ、佐伯錬金工房、今日の出品が始まったわ」
ミリアが画面を操作しながら呟いた。
【商品名:薬草水】
【価格:100円】
「一本100円ねぇ……」
グレンはニヤリと口角を上げた。
「まあいいや。100円なら失敗しても痛くねえ。気付け薬代わりに一本だけ買ってみるか。失敗したら笑い話のネタにしてやるよ」
◇
翌日。
グレンたちは『黄昏の坑道』と呼ばれる中級ダンジョンの第15階層へ足を踏み入れていた。
湿った岩肌、漂うカビと硫黄の匂い。
初心者が立ち入る浅い階層とは、空気の重さがまるで違う。
「ロイド、前方の気配は?」
「オークが二匹、あと……待て、奥にデカいのがいる!」
暗闇から現れたのは、通常のオークの倍近い巨体を誇る『バーサークオーク』だった。
赤く血走った眼光と、身の丈ほどもある鉄塊のような棍棒。
中級冒険者でも、三人以上のパーティで慎重に対処すべき強敵だ。
「チッ、B階層の浅い場所に連中が出現するなんて聞いてねえぞ!」
グレンが大型戦斧を構え、前線へ飛び出した。
「ミリア、詠唱を急げ! 俺が止める!」
「【火炎弾】!」
ミリアの放った炎がオークの顔面で炸裂するが、突進の勢いは止まらない。
狂暴化した魔獣は痛みを無視し、丸太のような腕で棍棒を振り下ろしてきた。
——ガアァァンッ!!
凄まじい金属音が坑道内に響き渡る。
グレンは大楯で直撃を防いだ。
だが、バーサークオークの尋常ではない筋力は楯の上からグレンの左腕を叩き潰した。
「ガハッ……!?」
鈍い骨の破砕音。
衝撃で吹き飛ばされたグレンは岩壁に激突して崩れ落ちた。
左腕は不自然な方向に曲がり、皮膚を突き破った骨の破片と、破裂した血管から赤黒い血が溢れ出している。
「グレン!?」
「ロイド、牽制して! エマ、早く手当てを!」
治癒術師のエマが駆け寄り、震える手をグレンの左腕にかざした。
「【軽度治癒】……っ! くっ、ダメ……! 傷が深すぎて、私の魔力じゃ止血するのが精一杯……!」
「エマ、ハイポーションは!?」
グレンが脂汗を流しながら叫ぶ。
「前回の探索で使い切ったでしょ!? 今はないわ!」
「クソッ……!」
左腕の激痛に、グレンは歯を喰いしばった。
前方ではロイドとミリアが必死にオークを牽制しているが、長時間は持たない。
引き返そうにも、背後の通路には追撃の魔獣の気配がある。
ここで前衛のグレンが戦線離脱すればパーティの全滅は免れない。
「グレン、これ……!」
ミリアが胸元のポーチから、昨日の夜に届いた小瓶を取り出した。
安っぽい透明ガラスに、市販の紙シールが一枚貼られただけの薬。
「……ハッ、正気かミリア? そんな百円の安物で……」
グレンは苦悶の表情で言おうとしたが、左腕から溢れ出る激痛が言葉を遮る。
選択肢はなかった。
「……くそっ、持ってこい!」
グレンは右腕で瓶をひったくると歯で木栓を引き抜いた。
途端に、薬品特有のツンとした刺激臭ではなく、青々とした薬草と澄んだ清涼感のある香りが鼻をくすぐった。
迷う暇はない。
そのまま口に含み、喉の奥へと流し込む。
——スーッと、驚くほどさっぱりとした風味が喉を滑り落ちた。
「……あ?」
次の瞬間、グレンの体内を温かな清涼感が満たしていった。
強烈な痛みが、糸を引くように遠ざかっていく。
粗悪な回復薬や強引な治癒魔法を使う時に感じる、細胞が無理やり引っ張られるような痛みも、身体を重くする疲労感もない。
じわじわと傷口の奥が温かくなり、だらだらと流れていた出血がぴたりと止まる。
折れていた骨が静かに元の位置へと噛み合い、裂けていた肉と皮膚が滑らかに閉じていく。
数十秒後。
腕に薄い赤みを残して、傷は塞がっていた。
「痛みも……重さも、何にもねえ……!?」
グレンは左腕を持ち上げた。
指を握る。
開く。
ついさっきまであれほど痛んでいた腕が、何事もなかったように動いた。
「……は?」
グレンは自分の左腕を見つめた。
「治った……のか……?」
「治った、じゃないわよ! なによ今の!?」
横で見ていた治癒術師のエマが、思わず声を上げた。
「動脈破裂に複雑骨折よ!? 高いポーションや上級治癒魔法を使ったって、激痛と体力の消耗でしばらく動けなくなるのが普通なのよ!? なんで反動もなしに、こんな自然に塞がってるのよ!?」
「おいグレン! 無事か!?」
前線からロイドが叫ぶ。
オークが痺れを切らして、こちらへ突進してきていた。
「おう……無事だ! 全快だ!!」
グレンは跳ね起きると、床に転がっていた大型戦斧を右手一本で軽々と拾い上げた。
「ミリア! ロイド! 離れてろ!」
グレンは地面を強く蹴りつけた。
迫るバーサークオークの棍棒を治ったばかりの左腕で構えた大楯が受け止める。
——ズゥンッ!
足腰で衝撃を受け止め、そのまま押し返す。
オークが一瞬よろめいた。
その隙に、グレンは右手の戦斧を一直線に振り抜いた。
首級が飛び、巨体がドサリと崩れ落ちる。
「……助かった」
斧を収めながら、グレンは短く息を吐いた。
◇
ダンジョンから無事帰還したグレンたちはそのままギルドのロビーに座り込んでいた。
グレンの手には空になった小さなガラス瓶がある。
「百円の安物、ねぇ……」
グレンは苦笑した。
「これがなかったら、俺たちはあそこで全滅してた。……ミリア、端末を出せ」
グレンは端末を受け取ると、真剣な眼差しでレビュー画面に指を走らせた。
【投稿者:鋼の爪・グレン】
【評価:★★★★★】
【タイトル:初心者向けという表記は今すぐ改めるべき】
『本日、B階層にてバーサークオークと遭遇。左腕骨折と動脈破裂の重傷を負いましたが、この薬草水を一口飲んだことで完全に復帰でき、無事に帰還できました。
何より驚いたのは、回復後に体力の消耗や反動が一切なかったことです。
百円だからと侮っていた自分を恥じます。
薬の性能はもちろんですが……何より、粗悪品で儲けようとする業者が多い中、これほどの薬をこの価格で提供してくれている佐伯さんの職人魂に救われました。
佐伯さん、俺たちの命を救ってくれて本当にありがとう。これからはパーティの備蓄として、佐伯さんの薬を買わせていただきます』
◇
同じ頃。
自宅工房で、夕食の鍋を火にかけていた俺は、パソコンの画面に表示された通知に気づいた。
「おや、新しいレビューが来てるな」
画面を開くと、星五つの評価とともに長文が書かれていた。
「……そっか。中級ダンジョンで怪我をした冒険者さん、無事に帰ってこられたんだな。良かったぁ」
温かいお茶を一口すすった。
「丁寧につくった薬だから、飲んだ人の体に負担をかけずに治ってくれたみたいだ。怪我をした人がちゃんと生きて戻れる……職人を続けていて、一番嬉しい瞬間だな」
◇
パソコンを閉じようとした、その時だった。
グレンが書いた実戦レビューのコメント欄に、新しい書き込みが入った。
『中級冒険者のレビューなど普段は読み流すが……「回復後の反動がない」「職人魂に救われた」という言葉が気になった。
安さや効き目ではなく、作り手の姿勢にこれほど感謝が集まる薬草水か。
……佐伯錬金工房。次の出品、私も一度確認させてもらうとしよう』
そのアカウントのアイコンには、ギルド最高峰を示す一級冒険者の金色のエンブレムが刻まれていた。




