第11話 その噂は帝国製薬へ
蒸留器を通し、冷やされた翡翠色の液体がカチャ、カチャとガラス瓶に滴り落ちていく。
部屋の中に、澄み切った清涼感のある甘い香りが漂い始めた。
「よし、これで完成です。一本試してみますか?」
俺は出来立ての薬草水を一本、大河原さんに手渡した。
大河原さんは無言のまま、受け取ったガラス瓶をポータブルアナライザーの計測ポートにセットした。
ピッ——。
電子音が鳴り、解析データが液晶画面にハイスピードで吐き出されていく。
『成分純度:99.8%』
『毒性不純物:0.00%』
『副作用性物質:検出限界以下』
『魔力安定度:極めて良好』
『毒性反応:陰性』
「……バカな」
大河原さんの手から、アナライザーが滑り落ちそうになった。それを慌てて神崎さんが支える。
「不純物が……ゼロ? 劇薬成分も、細胞を破壊する過剰な魔力充填も……一切存在しない!? ただの最高品質の抽出液……いや、それどころか成分の分子構造が完全に調和している……!」
「先生、安全性はどうなのですか!?」
坂口さんが身を乗り出す。
「安全どころの騒ぎではない! 細胞への負荷はゼロ、副作用の発生確率は計算上『存在しない』! なんだこれは……これほどの純度の回復薬を、私は四十年の医術人生で一度も見たことがないぞ……!」
大河原さんはしばらく画面を見つめたまま、言葉を探すように口を閉ざしていた。
「……佐伯さん」
大河原さんが俺に向き直った。その声からは、先ほどまでの冷たい警戒感が消えていた。
「君は……なぜこれほどの技術を持ちながら、最新の自動錬金プラントや、高価な魔導ろ過フィルターを使わないのだ? これだけの抽出技術があれば、機械を導入して大量生産すれば莫大な利益が出るはずだ」
俺は少し困惑して、自分の使い古した手を見た。手のひらには、長年の作業でできた厚いタコと、熱で灼かれた小さな傷跡が残っている。
「機械ですか……。前の製薬会社でも、大型の自動製造機を使わされてました。でも、機械って薬草の個体差を無視して、全部同じ圧力と温度で煮潰しちゃうんですよね。そうすると、どうしてもエグみが出たり、成分が壊れて効き目が落ちちゃうんです」
俺は出来上がったばかりの翡翠色の小瓶を愛おしく撫でた。
「ネットで僕の薬を買ってくれてるのは、お金がない駆け出しの若い冒険者さんたちなんです。ダンジョンで怪我をして、高い薬が買えなくて困ってる子たち。そういう子たちに、少しでも安全で、ちゃんと効く薬を届けてあげたいじゃないですか。だから……手間はかかりますけど、自分の目で見て、手で確かめて作るのが一番なんです」
「……」
「安物の薬草でも、丁寧に泥を落として、状態に合わせて刻んで、音と匂いを聞きながら火加減を調節すれば、こんなに綺麗で良い薬になるんです。特別な魔法や高い機械なんて、最初から要らないんですよ」
俺がそう言うと、工房の中にはしばらく誰も言葉を挟まなかった。
大河原さんは目を閉じ、長く息を吐き出した。
坂口さんは構えていたペンを止め、複雑な表情で俺を見つめている。
神崎さんは、どこか誇らしげに小さく頷いていた。
「……坂口君」
大河原さんが口を開いた。
「はい」
「本件に関する医務部門としての判定を言い渡す。……佐伯錬金工房が製造・販売する薬草水は、極めて高い安全性を誇り、副作用の危険性は皆無である。ギルド医務基準において、完全な適合と認める」
「……了解いたしました。管理部門としても、衛生環境および製造過程において一切の違反・違法性は認められないと結論づけます。ネットでの販売継続を全面的に承認します」
坂口さんが手帳をバチンと閉じた。
「あ、ありがとうございます! よかったぁ、販売停止とかにならなくて」
俺が胸をなでおろすと、大河原さんが俺の前に歩み寄り、深く頭を下げた。
「佐伯殿。当初は不法な劇薬や粗悪品を疑い、無礼な態度をとったことを深くお詫びする。……君は、本当の意味での職人だ。駆け出しの冒険者たちは、君のような人に救われている」
「いやいや! 頭を上げてください大河原さん! 俺なんてただのしがないおっさんですから!」
俺が慌てて手を振ると、大河原さんの厳しかった表情が、初めて和らいだ。
◇
その日の午後。
冒険者ギルドの公式ネット掲示板および、オークションサイトの告知ページに、一枚の重要なお知らせが掲載された。
『【重要】個人出品者「佐伯錬金工房」製造の「薬草水」に関する安全検査結果について』
『冒険者ギルド本部医務部門および管理部門による現地実地調査の結果、当該商品につきましては厳格な衛生・安全性基準を完全にクリアしていることが確認されました。
不純物・副作用成分の検出はゼロであり、ギルド推奨薬品と同等以上の極めて高い品質と安全性が証明されております。冒険者の皆様におかれましては、今後も安心してご利用ください』
その告知が出た直後、ネットの掲示板は見たこともないお祭り騒ぎになった。
『うおおおおお! ギルド公式のお墨付き出たあああ!!』
『マジかよ! ギルドの医務部門が直々に行って完全適合とか胸アツすぎるだろ!』
『副作用ゼロ、推奨薬品以上って公式が言っちゃっていいのか!?ww』
『やっぱりあの百円の薬、本物の神薬だったんじゃねえか!』
『佐伯さんすごすぎる! これで安心してまとめ買いできるぞ!』
『おい次の出品いつだ!? 争奪戦になるぞ!!』
口コミの波は、もはや駆け出し冒険者の間だけに留まらず、中級・上級冒険者たちのコミュニティにまで爆発的に広がり始めていた。
◇
同じ頃。
帝国製薬の本社ビル。
上階層にある執務室で、経営企画本部長の黒木は、パソコンの画面に映し出されたギルドの公式告知を睨みつけていた。
「……何だ、これは」
黒木のデスクの脇には、先日の経営会議で提出されたコスト削減成果報告書が置かれている。
『人員整理による人件費削減:年間二千万円。旧式手作業ラインの全廃による効率化達成』
「佐伯修一……。クビにしたあの冴えない中年職人が、なぜギルドからこんな評価を受けている?」
黒木は苛立ちを隠さず、デスクの上の電話をひったくるように持ち上げた。
「おい、購買部か! 今すぐ佐伯が過去に担当していた製造ラインの製品……特に初級回復薬の最新出荷データと、顧客からのクレーム件数をまとめろ! 今すぐだ!」
受話器を叩きつけるように置いた黒木の耳に、窓の外から響く都市の喧騒が不吉なノイズのように聞こえていた。
黒木が効率化のために切り捨てたもの。
その判断が正しかったのかどうかを問うように、帝国製薬の足元で小さな綻びが生まれ始めていた。
◇
夕暮れ時。
ギルドの調査団が帰り、静けさを取り戻した工房で、俺はパソコンの画面を見つめていた。
「うわ……なんだかすごいことになってるな……」
オークションのマイページを開くと、フォロワー数が一気に数千人に跳ね上がっており、ダイレクトメッセージの通知が鳴り止まなくなっていた。
『佐伯さん! ギルドの発表見ました!』
『今度の出品、絶対買います!』
『うちのパーティの命の恩人です!』
「みんな、そんなに喜んでくれるなんて嬉しいなぁ……」




