第二話 道を引く王
俺は——名前のない役人だ。
宮に仕えている。走り回る仕事をしている。走り回るといっても——日本武尊のようには走らない。あの方のように走れる者は人間にはいない。俺は人間の速さで走る。
十三代目の王に仕えている。若帯日子命。——名前が長い。この家系は名前が長くなる一方だ。
皆は成務と呼んでいる。
成務の王は——地味な王だった。
父の景行は息子を西と東に走らせた。祖父の垂仁は殉死を止めた。曾祖父の崇神は祟る神を鎮めた。——派手なことをした王たちの後に来た、地味な王。
戦がない。遠征がない。敵もいない。——日本武尊が西と東を全部平らげてしまったからだ。走る男が走り尽くしたあとの国には——走る先がない。
残っているのは——形を整えることだけだ。
成務の王がやったことを記す。
一つ。国に境を引いた。
どこからどこまでがどの国か。——決まっていなかった。初代の王が国を建ててから十三代。田は増えた。道は伸びた。集落は広がった。——しかし境が曖昧だった。この山の向こうは誰の土地か。この川のこちらは誰が治めるか。——誰も決めていなかった。
決まっていないと——揉める。隣同士が。「この田は俺のだ」「いや俺のだ」と。揉めたら力の強い方が取る。力の強い方が取ると——弱い方が怒る。怒ると——争いになる。
争いを止めるには——境を引けばいい。ここからここまではお前の国。ここから先は隣の国。——線を引く。線を引けば揉めない。
俺の仕事は——その線を引いて歩くことだった。
山を越えた。川を渡った。海岸を歩いた。——成務の王の命令で。
「この尾根を境にしろ。北が丹波。南が播磨」
「この川を境にしろ。東が近江。西が山城」
「この岬を境にしろ。東が安芸。西が周防」
線を——引いた。山と川と海で。自然のものを使って。人が決めた線ではなく、地面が決めた線を。山は動かない。川は流れを変えるが——大筋は変わらない。海岸は削れるが——岬は残る。
動かないもので線を引けば——揉めない。「山が決めた」と言えば、人は納得する。自分が決めたと言えば怒る者がいるが、山が決めたと言えば——怒る相手がいない。山は怒れない。
二つ。国造と県主を置いた。
国ごとに——治める者を決めた。初代の王が降した者たちの子孫が多い。弟宇迦斯の子孫。弟磯城の子孫。——降った者たちが、そのまま土地を治めている。
治めていたが——名前がなかった。「あそこの長」とか「あの土地の偉い人」とか。名前がないと——命令が届かない。「国造に伝えろ」と言えば一人に届く。「あそこの偉い人に伝えろ」と言えば——誰に届くか分からない。
名前をつけた。役職を。国造。県主。——名前がつけば、人が定まる。人が定まれば、仕事が定まる。仕事が定まれば——国が回る。
三つ。道を整えた。
初代の王の時代に道はあった。——大国主命が歩いた道がある、と古い帳簿に書いてある。足の裏で分かる温かい道。——俺にはそんなものは分からない。しかし目に見える道は整えられる。
草を刈った。石を退けた。橋をかけた。——道が通れば人が通る。人が通れば飯が動く。飯が動けば——国が太る。
地味な仕事だ。——誰にも感謝されない。道が通っていることを当たり前だと思う者が多い。当たり前だと思うのは——道がちゃんと通っているからだ。通っていなければ当たり前ではなくなる。
当たり前を作る仕事。——それが成務の王の仕事だった。
成務の王は——静かな人だった。
声が小さい。体が小さい。目立たない。——しかし、よく聞く人だった。役人の報告を。国造の訴えを。県主の相談を。——黙って聞いて、考えて、答えを出す。
初代の王が「聞く男」だったと帳簿にある。——成務の王も聞く人だった。ただし初代のように足の裏で聞くのではなく、耳で。普通の耳で。人の言葉を聞いて、人の顔を見て、判断する。——神の力ではなく、人の力で。
それでいいのだと思う。——神の力が薄まった代には、人の力で治めるしかない。人の力で治める方が——実は長持ちする。神の力は消えるが、人の力は人がいる限り続く。
成務の王は——帳簿に多くは残らないだろう。
戦がなかった。遠征がなかった。名前だけの王たちと同じように——「何もなかった」と書かれるかもしれない。
しかし——境を引いた。名前をつけた。道を整えた。
国に形を与えた。——初代が建て、走る男が広げた国に、線と名前と道を与えた。形がなければ国ではない。ただの広い土地だ。形があるから国になる。
成務の王が死んだ。——静かに。
次の王は——仲哀。日本武尊の子。走る男の息子。
走る男の子が王になった。——走るのか。父のように。
走らなかった。——しかし、信じなかった。
〈第二話・了〉




