第二十三話「報告と、静かな日」
第二十三話「報告と、静かな日」
リナが目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。
医務室の天井を見て、しばらく動かなかった。
隣にレナがいた。椅子に座って、眠っていた。リナの手を握ったまま眠っていた。
リナはその手を見た。
それから、レナの顔を見た。
それから、また天井を見た。
「……ここ、どこ」
小さな声だった。
レナが「っ」と言って目を覚ました。
「お姉ちゃん」
「……レナ」
「目、覚めた? 痛いところある? 喉は? 水持ってくる?」
「……一個ずつ聞いて」
「ごめん」
レナが水を持ってきた。リナが少し飲んだ。
「ここ、どこ」
「魔王城」
リナが少し間を置いた。
「……魔王城」
「安全なところ。大丈夫」
「……魔王軍の」
「そう。でも大丈夫。みんないい人だから」
リナがまた天井を見た。
「……何があったか、覚えてない部分が多い」
「ゆっくりでいいよ」
「レナが来た。カノンが来た。それから」
「それから、私がお姉ちゃんの魔力を止めた。だから今ここにいる」
「……レナが」
「うん」
「……馬鹿なことを」
「馬鹿じゃない」
「全魔力を使ったんでしょ」
「使った」
「それは馬鹿でしょ」
「お姉ちゃんのためだから馬鹿じゃない」
リナが目を閉じた。
「……ありがとう」
レナが「うん」と言った。泣きそうな声で。
✦
夕方、私がリナに会いに行った。
「起きてますか」
「起きてます」
リナは体を起こしていた。顔色はまだ悪かったが、目はちゃんとこちらを見ていた。
「カノン」
「はい」
「……迷惑をかけました」
「かけてないですよ」
「施設が崩壊したんでしょ」
「しましたね」
「それは」
「リナのせいじゃないです。私が一撃入れたので」
リナが少し黙った。
「……記憶が、飛んでいる部分があります。IMIにいた頃の、後半の記憶がほとんどない」
「そうですか」
「怖いですか、私のこと」
私は少し考えた。
「怖くないです」
「レナを撃ちました」
「知ってます」
「それでも」
「リナがやりたくてやったわけじゃないので」
リナが目を伏せた。
「……レナは、怒ってないですか」
「怒ってないですよ。心配してます」
「……そうですか」
「会いに行きますか」
「……少し、待ってください。整理したいので」
「わかりました」
✦
廊下でリリスが私を待っていた。
「かのん」
「います」
「……あの人、だいじょうぶ?」
「大丈夫ですよ。起きてます」
「……あいたい」
「会いたいですか」
「……うん。レナのおねえちゃんでしょ」
「そうですよ」
「……だから、あいたい」
私はリナのことを思った。整理したいと言っていた。でもリリスが来たら、少し違うかもしれない。
「一緒に行きますか」
「……うん」
✦
医務室の扉をノックした。
「リナ、リリスが来たいと言っています。いいですか」
少し間があった。
「……どうぞ」
扉を開けた。リリスが入った。
リナがリリスを見た。
リリスがリナを見た。
少し間があった。
「……はじめまして」とリリスが言った。
「……はじめまして」とリナが言った。
「リリスです」
「……月城リナです」
「しってる」リリスが言った。「レナのおねえちゃんでしょ」
「……そうです」
「レナ、ずっとおねえちゃんのことはなしてた」
リナが少し目を細めた。
「……そうですか」
「うん。だから、だいじょうぶか、きになってた」
「……大丈夫、です」
「ほんとに?」
「……少し、頭が痛いですが」
「それはだいじょうぶじゃない」
「……そうですね」
リリスがリナのベッドの横に立った。
「なおったら、みんなといっしょにいる?」
リナが少し間を置いた。
「……わかりません、まだ」
「そっか」リリスが頷いた。「ゆっくりでいいよ」
「……ありがとうございます」
「うん」
リリスがトコトコと出ていった。
リナが扉を見ていた。
「……かわいいですね」
「そうですよ」と私が言った。「だから来たので」
「……レナから聞いてました。本当にかわいい理由で裏切ったんですね」
「裏切ったとは思ってないですが、まあそうですね」
リナが少し、笑った。
小さくて、すぐ消えた笑顔だった。でも確かにあった。
✦
翌朝、食堂でベルフェゴールが報告書を広げた。
「施設の崩壊について、各方面から問い合わせが来ている」
「IMIからも来てますか」とほのかが言った。
「来ていない」
「来ないんですか」
「来ない方がおかしい、という意味では来ておかしくない。ただ、来ていない」
私は少し考えた。
「……動きを見ているのかもしれません」
「そうだな」ベルフェゴールが地図を指した。「周辺の偵察部隊の動きも、今のところ確認されていない。静かすぎる」
「嵐の前ですかね」とほのかが言った。
「そう思って準備している」
サクラが「施設側から何か報告がありましたか」と聞いた。サクラはまだ城にいた。帰るタイミングを見ていた。
「崩壊の規模が大きかった。再建には時間がかかる。ただし、人的被害は最小限だったようだ」
「そうですか」
「お前たちの陽動が効いた。主要人員は別棟に移動していた」
サクラが少し頷いた。
「……部下たちは」
「全員無事だ。昨夜、境界を越えて戻った」
「そうですか。ありがとうございます」
「礼はいらない。これからが本番だ」
✦
その日は穏やかだった。
リナが少しずつ、城に慣れていった。
ベルゼバブがご飯を持ってきて、リナが「ありがとうございます」と言った。メフィストが診察して「経過は良好だ、まあ規格外の体をしているがね」と言った。アスタロトが部屋の前を通るたびに、何も言わずに少し歩みを緩めた。
ほのかがリナに「何か食べたいものある?」と聞いた。
「……なんでもいいです」
「なんでもいいって言うと、魔王軍の食事が出てくるけどいい?」
「……どんな感じですか」
「固い」
「……慣れます」
「慣れなくていいと思う。何か言って」
リナが少し間を置いた。
「……温かい、汁物が食べたいです」
「言えるじゃん」ほのかが立ち上がった。「作ってくる」
「作れるんですか」
「まあまあ。カノンよりはうまい」
「私は料理しないですよ」と私が言った。
「だから私よりうまいじゃなくて、カノンよりうまい、って言ってる」
「差がないと思います」
「あるわよ」
リナが、また笑った。今度は少し長かった。
✦
夕方、レナとリナが廊下を並んで歩いていた。
私はその後ろを少し離れてついていった。
「歩けますか」
「ゆっくりなら」
「無理しないで」
「してない」
二人が並ぶと、確かに姉妹だなと思った。
雰囲気は全然違うのに、歩き方が少し似ていた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに」
「帰ってきてよかった」
リナが少し止まった。
「……そうですね」
「ですね、じゃなくて」
「……よかった」
「うん」
二人がまた歩き始めた。
✦
夜、サクラが私を呼んだ。
「そろそろ戻ります」
「そうですか」
「これ以上いると、不審に思われます。一度IMIに戻って、様子を見ます」
「気をつけてください」
「はい」サクラが少し間を置いた。「……リナが戻ってよかったです」
「サクラさんのおかげです」
「私は陽動をしただけです」
「それが一番大事だったので」
サクラが少し、表情を動かした。
「……では」
「元気でいてください」
「……その言葉、いつも返ってきますね」
「サクラさんがいつも言うので」
「そうですね」
サクラが門を出た。
暗くなり始めた空の下、遠ざかる背中を見ていた。
また来てくれるだろう、と思った。
✦
穏やかな夜だった。
リリスが眠る前に「リナ、なんて言ってた?」と聞いた。
「かわいい、と言ってましたよ」
「……ほんとに?」
「本当に。サクラさんと同じことを言ってました」
「……みんないう」
「そうですね」
「……かわいいから」
「そうですよ」
リリスが「うん」と言って目を閉じた。
今日は八秒だった。
窓の外、静かな空。
施設の崩壊から、もう二日が経っていた。
静かすぎた。
でも、それが気になり始めたのは——翌日のことだった。
✦
夜明け前、遠くで光った。
一つ、二つ、三つ。
それから、音が来た。
地響きのような、低い爆発音。
ベルフェゴールが食堂に飛び込んできた。
「全員起きろ」
声が違った。
「IMIが動いた。大規模だ」
窓の外の空が、赤くなっていた。
次回「全面戦争」
——魔界全体が、動き始めた。




