第二十二話「届かない声」
第二十二話「届かない声」
補給通路が開いたのは、午前四時だった。
風がなかった。空は曇っていて、月も星も見えなかった。
いい夜だった。目立たないという意味で。
「行きます」
私が言った。ほのか、レイ、レナが頷いた。
サクラが「気をつけて」と言った。
「元気でいてください」と私が言った。
サクラが少し間を置いた。
「……返ってきましたね」
「そうですよ」
「行ってきます」
「行ってきます」
サクラと四人が別の方向に消えた。陽動のために、施設の反対側へ向かっていた。
私たちは通路に入った。
✦
中は暗かった。
サクラの部下が教えてくれたルートを頭に入れていた。左、まっすぐ、突き当たりを右。カメラが止まっている時間は二十分。
「急ぎましょう」とレイが言った。
「でも走らない」とほのかが言った。「足音が響く」
「わかってる」
四人で歩いた。早足で、でも静かに。
途中、扉が一つあった。鍵がかかっていた。
レナが手をかざした。小さな光が出て、鍵が開いた。
「使えますか」とほのかが聞いた。
「少しだけ」レナが言った。「全部は使えませんが、これくらいは」
「無理しないで」
「してません」
扉が開いた。先に進んだ。
✦
第一配備区域は、施設の中でも壁が厚かった。
通路の途中から空気が変わった。魔力の臭いがした。調整された魔法少女特有の、少し甘くて重い臭い。
ほのかが顔をしかめた。
「……なんか、嫌な感じ」
「そうですね」
「慣れてたはずなのに」
「IMIにいた頃と違うから、かもしれません」
レナが黙って歩いていた。
扉が見えた。重い鉄の扉。
開く前に、中から気配がした。
一人。動いていない。待っている気配だった。
「……気づかれてますか」とほのかが聞いた。
「たぶん」と私が言った。
「どうします」
「入ります」
✦
扉を開けた。
中は広い部屋だった。天井が高い。照明が白くて眩しかった。
部屋の中央に、リナが立っていた。
変身していた。ルナリナ。白と青のコスチューム。腰に二丁の銃。
こちらを見ていた。
でも、目が違った。前に境界で会った時のリナじゃなかった。レナと笑っていた時のリナでもなかった。
何も映していない目だった。
「……お姉ちゃん」
レナが言った。
リナは動かなかった。
「お姉ちゃん、わかる? レナだよ」
動かなかった。
「……リナ」
今度は私が言った。
リナが銃を向けた。両手で、まっすぐこちらに。
✦
「散れ」とほのかが言った。
全員が動いた。
銃声が響いた。壁に穴が開いた。一発、二発、三発。
速かった。前に戦った時より速い。躊躇がない分、速い。
「っ、速い」とほのかが言った。
「調整が完全に終わってます」とレイが言った。「前とは別の動き方をしています」
「どうしますか」と私が言った。
「止める」とほのかが言った。「傷つけずに」
「わかりました」
ほのかが正面に出た。炎を出して、銃弾を弾く。リナが銃の角度を変える。ほのかが動く。
その隙にレイが横から近づいた。氷で足元を固めようとした。
リナが跳んだ。
空中で銃を向けた。
レイが「っ」と言って横に転がった。弾が床を抉った。
「レイ!」
「大丈夫。かすってない」
リナが着地した。また正面を向いた。
レナが前に出た。
「リナ」
リナが銃を向けた。
レナは止まらなかった。
「私だよ。レナだよ。お姉ちゃん」
リナの指が、引き金にかかった。
「一緒に部屋で練習したじゃん。あの頃から、ずっと一緒にいたじゃん」
リナが動かなかった。
「……お姉ちゃんが初めてIMIに来た時、怖くて泣いてたの、私だけ知ってるよ」
一瞬だった。
リナの目が、ほんの少し揺れた。
気がした。
でも次の瞬間、リナが撃った。
レナが反射盾を張った。弾が弾かれた。
レナが後ろに吹き飛んだ。
「レナ!」
「……大丈夫」レナが立ち上がった。「でも」
レナが顔を上げた。
「声が、届かなかった」
✦
戦いが続いた。
ほのかが炎で牽制する。レイが氷で動きを制限しようとする。私が近づく。でもリナは全部対処した。
速い。正確だった。感情がない分、迷いがなかった。
私の杖がリナの銃を弾いた。一瞬、距離が詰まった。
リナの目を見た。
近くで見ると、もっと違った。
何かがいた。リナがいた。でも深いところに沈んでいて、表に出てこれない感じだった。
「リナ」
リナが肘打ちを入れてきた。
私は受けた。痛かった。
「……まだ、いるよね」
リナが蹴りを入れてきた。私は後ろに跳んで距離を取った。
「いるのはわかるから」
リナが銃を構えた。
「待ってるから」
リナが撃った。
✦
部屋の隅でほのかが「どうする」と言った。
「声が届かないです」と私が言った。
「わかってる。でも傷つけたくない」
「わかってます」
「でも、このままだと」
「わかってます」
レイが「……一つ、あります」と言った。
「なんですか」
「私が全速力で動きを封じます。その隙にカノンが一撃入れます。強い一撃を」
「それでリナが」
「動きが止まります。一時的に」
「一時的に、どのくらいですか」
「……わかりません」
静かだった。
「やります」と私が言った。
「本当に」とほのかが言った。
「他に方法がないので」
ほのかが少し間を置いた。
「……わかった。私も動く。三人で同時に」
「はい」
レナが「私も」と言った。
「レナは」
「私も動きます」レナがまっすぐ言った。「お姉ちゃんだから。私が動かないで、どうするんですか」
ほのかが「……わかった」と言った。
「四人で行きます」と私が言った。
✦
タイミングを合わせた。
ほのかが炎を大きく出した。目くらまし。レイが床全体に氷を張った。リナの動きが一瞬止まった。
レナが正面に出て盾を張った。リナの注意がレナに向いた。
私が横から走った。
全力だった。杖に魔力を込めた。こんなに込めたのは初めてかもしれなかった。
リナが気づいた。銃を向けた。
間に合わなかった。
一撃、入った。
✦
リナが吹き飛んだ。
壁にぶつかった。大きな音がした。
全員が止まった。
リナが壁に背をつけたまま、少し間があった。
それから。
リナの全身から、魔力が溢れ出した。
「……っ」
白と青の光。でも今までと違う色だった。制御できていない色だった。
「まずい」とレイが言った。「暴走してます」
壁にひびが入った。天井から破片が落ちてきた。
「逃げますか」とほのかが言った。
「リナを置いてはいけません」と私が言った。
「でも——」
床が揺れた。
施設全体が、軋む音を立て始めた。
✦
「レナ」
レナが前に出ていた。
「レナ、だめです、全魔力は」
「わかってます」
「わかってるなら」
「わかってて、やります」
レナがリナに近づいた。暴走した魔力が周囲を薙いでいた。レナの服が焦げた。それでも止まらなかった。
「お姉ちゃん」
リナが——暴走したまま、こちらを見た。
「痛いよね。苦しいよね」
レナが手を伸ばした。
「もう、いいよ」
レナの全身から、光が出た。白い、静かな光だった。
リナの魔力と、ぶつかった。
轟音がした。
床が割れた。天井が崩れた。
光と光が混ざって、それから——静かになった。
✦
煙が晴れた。
レナが床に倒れていた。その隣に、リナが倒れていた。
「レナ!」
私が走った。レナの肩を掴んだ。
「……大丈夫」レナがかすれた声で言った。「生きてます」
「リナは」
レナがリナを見た。
リナの目が、変わっていた。
さっきまでの、何も映していない目じゃなかった。
焦点が、ぼんやりとだが、戻っていた。
「……れ、な」
かすれた声だった。
レナが「お姉ちゃん」と言った。泣いていた。
「……ここ、どこ」
「大丈夫。一緒にいるから」
「……レナ」
「うん。いるよ」
ほのかが「撤収します」と言った。施設がまだ軋んでいた。「話は後。今は出ます」
「はい」
私がリナを背負った。レイがレナを支えた。
四人で、崩れていく施設を走った。
✦
外に出た時、空が少し明るくなっていた。
アスタロトが走ってきた。
「全員無事か」
「います」と私が言った。
「リナは」
「連れてきました」
アスタロトがリナを見た。意識がなかった。でも、呼吸はあった。
「……よくやった」
「ありがとうございます」
ほのかが地面に座り込んだ。
「疲れた」
「そうですね」
「でも、帰ってきた」
「そうですね」
レナがリナの手を握っていた。リナは眠ったように静かだった。
私は空を見上げた。曇っていた空が、少しだけ白んでいた。
終わった。
とりあえず、終わった。
✦
後から聞いた話だが、崩壊を免れた施設の監視室で、画面がまだ生きていたらしい。
そこに誰かがいた。
何を見ていたのかは、知らない。
でも、そういう目があったことを、後になって知った。
次回「報告と、静かな日」
——リナが目を覚ました。




