第十八話「それぞれの夜に」
第十八話「それぞれの夜に」
城に戻ったのは、夜だった。
レナが運ばれていくのを見ていた。担架。速い足音。ベルゼバブさんが駆けてきた。
私は廊下に立ったまま、動けなかった。
レナの服についていた血が、腕に移っていた。自分の血じゃない血が、腕についていた。
「洗ってきます」とほのかに言った。
「うん」とほのかが言った。
蛇口をひねった。水が出た。洗った。落ちた。
それだけだった。
✦
「食え」
廊下でほのかがパンを差し出した。
受け取った。かじった。固かった。
二人で壁にもたれて、黙っていた。何も言わなかった。言わなくてよかった。
ほのかがパンを一口かじって、また黙った。
それで十分だった。
✦
リリスを探したら、医務室の隣の小部屋にいた。
椅子の上に正座して、扉を見ていた。小さな手が、膝の上でぎゅっと握られていた。
「リリス」
「……カノン」
「レナは大丈夫ですよ。メフィストさんが診てます」
「……うん」
リリスが扉を見たまま言った。
「……ごめんなさい」
「なんでリリスが謝るんですか」
「……わたしが魔王だから。わたしがいなかったら、カノンたちは来なかった。レナも怪我しなかった」
ベルゼバブさんが隣に座った。大きな体が、小さなリリスの横にそっと収まった。
「リリス様が謝ることじゃありません」とベルゼバブさんが静かに言った。「あの子たちは、自分で選んでここに来ました。それはリリス様が、それだけのものだということです」
リリスが目をぱちぱちさせた。
「……ごめんなさい、じゃなくて、なんていえばいいの」
「……ありがとう、はどうでしょう」
「……ありがとう」
小さく呟いた。練習するように、もう一度。
「……ありがとう」
私はそれを聞いていた。何も言わなかった。でも、聞いていた。
✦
夜になって、廊下を歩いていたら、セキネさんの部屋の灯りがついていた。
ノックしなかった。
扉の前で少し止まって、それから歩き続けた。
セキネさんもまだ眠れないのだろう、と思った。そういう夜だった。
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夜も遅くなって、医務室の扉の前に立った。
ほのかに「もう寝ろ」と言われた。レイに「非効率」と言われた。それでも足がここに向かった。
扉は開けなかった。ただ前に立った。
「……レナ」
声は扉に吸い込まれた。
「まだ怒ってるかな、私のこと」
答えはなかった。
「あの時、私がもっと早く気づいてたら。リナがどういう状態か、ちゃんと見てたら」
扉に額をつけた。
「でも、それ言っても仕方ないんだよね。わかってる。わかってるけど」
廊下が冷えていた。
「……早く起きてよ」
小さな声だった。
「また、うるさく呼んでよ。あんたの声、実は結構好きなんだ。……内緒だけど」
答えはなかった。
額を扉から離した。壁に背をつけた。泣いてはいなかった。でも、泣く寸前みたいな顔をしていたと思う。
「……絶対、起こすから」
目を閉じた。
「起きたら一番に呼んで。リリスと一緒に迎えに行くから」
そのまま眠ってしまった。
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夜明け前、扉の向こうで音がした。
シーツが動く音。
目が覚めた。壁にもたれたまま、扉を見た。
「……レナ?」
声が出ていた。眠たくて、でも必死な声だった。
「レナ、今、声聞こえた? 起きてる?」
少し間があった。
「……うるさい」
かすれた声だった。「朝も早よから廊下で叫ばないでよ」
息を呑んだ。
それから。
「っ——!!! 起きたーーーー!!!!! レナが起きたーーーーー!!!!!!!」
「だから叫ぶなって言ってる!! 傷に響く!!」
「ごめん!! でも!! でも起きた!!!」
廊下が騒がしくなった。ほのかの怒鳴り声。レイの「……良かった」という小さな声。遠くからベルフェゴールさんの不機嫌そうな声。
扉を開けて飛び込んだ。
「レナ!!」
「叫ぶな」
「ごめん!! 良かった!! 本当に良かった!!!」
「だから」
「ごめーーん!!!」
レナが呆れたように息を吐いた。それから、ほんの少し笑った。
「……心配かけて、ごめん」
「謝らなくていい」
「でも」
「謝らなくていいって言ってる」
ベッドの横に膝をついた。
「……無事でいてくれて、ありがとう」
レナがまばたきをした。
窓の外が、少しずつ明るくなっていた。
✦
騒ぎを聞いてリリスが廊下に来た。
扉の隙間から覗き込む。
中でレナが何か言っていて、私が何か返していて、ほのかが二人を怒鳴っていて、レイが隅で「良かった」と二回言っていた。
リリスがそれをじっと見た。
「……ありがとう」
扉に向かって、小さく言った。
昨夜練習した言葉を、今度は誰かに向かって言えた。
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日が高くなってから、廊下に三人で座った。
レナは眠っていた。今度は、ちゃんと自分で眠っていた。
「リナ、取り戻せるかな」
誰も答えなかった。
でも誰も「無理だ」とも言わなかった。
「……取り戻す」とほのかが言った。「取り戻して、四人でまた変身して、うるさくして、それで」
言葉が途切れた。
「それで、終わりにする」
レイが目を閉じた。
「……うん」
私も目を閉じた。
「うん」
城の窓から、昼の光が差し込んでいた。
今日も、ここは続いていく。
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次回「それでも、ここにいる」
ー回復するレナ。でも、様子がおかしかった。




