第十五話「セキネさんを救え」
第十五話「セキネさんを救え」
ベルフェゴールの部屋の前に着いたのは、深夜だった。
ノックした。
「なんだ」
「カノンです。セキネさんから連絡が来ました。助けてくれ、という三文字だけです」
少し間があった。
扉が開いた。
ベルフェゴールが椅子を持って立ってた。
「入れ」
私とほのかが入った。
「メッセージを見せろ」
端末を渡した。ベルフェゴールが「助けてくれ」という三文字を見た。
「それ以降の返信は」
「ありません。場所を聞いても来ませんでした」
「……送ったのがいつだ」
「三十分ほど前です」
ベルフェゴールが少し考えた。
「アスタロトを起こせ。メフィストも。五分で食堂に集まれ」
「わかりました」
「待て」
「はい」
「レナには言うな。今夜は」
「わかりました」
✦
五分後、食堂に全員が集まった。
アスタロト、メフィスト、ほのか、レイ。
レイは気づいたら来てた。廊下で聞こえたらしい。
「なんで起こさなかったんですか」とレイが言った。
「起こしに行こうとしたら来てました」
「……心配で眠れなかった」
「そうでしたか」
「……セキネさんのこと、ずっと気になってた」
レイがそれだけ言った。
「一緒に来ますか」
「……うん」
「セキネさんから『助けてくれ』という連絡が来た」とベルフェゴールが言った。「三文字だけ。返信なし。位置情報もない」
「どこにいるかわかりますか」とアスタロトが言った。
「わからない。だが、セキネがこういう形で連絡してきたということは、自分から動けない状況だ」
「IMIに捕まった可能性がある」とメフィストが言った。
「そうだ」
「捕まったとすれば、施設の中だ。境界付近ではない」
「そうだな」
「施設に乗り込むのは無謀だ。情報がない」
「情報がある」
ベルフェゴールが地図を広げた。
「リナが特別区画にいる。セキネが動いていた場所は、おそらくその周辺だ。施設の北側に、セキネが以前調べていた通路がある。メフィストが分析していた資料に、その記録があった」
「そうだ」とメフィストが言った。「ただし古い情報だ。今も同じかどうかはわからない」
「賭けになる」
「なりますか」と私が言った。
「行く気か」
「行きます」
ベルフェゴールが私を見た。
「根拠は」
「セキネさんが助けを求めたので」
「それだけか」
「それだけです」
ベルフェゴールが少し間を置いた。
「……わかった。行け」
「ありがとうございます」
「戦力はカノン、ほのか、レイの三人でいい。アスタロトは城の守りに残れ」
「異議あり」とアスタロトが言った。
「お前が抜けると城の守りが手薄になる。リリス様を守れる者が必要だ」
アスタロトが少し黙った。
「……わかった」
「メフィストは通路の地図を今から作れ。できる限り詳細に」
「やる」
「私は連絡を取り続ける。何かあればすぐに報告しろ」
「わかりました」とほのかが言った。
「行ってらっしゃい」とベルゼバブが静かに言った。
いつの間にか来てた。お茶を三つ持って立ってた。
「出発前に飲め。体が温まる」
三人でお茶を受け取った。
飲んだ。おいしかった。
「ありがとうございます」
「気をつけて。必ず帰ってきてください」
「帰ってきます」
アスタロトが私の肩に手を置いた。
「……行ってこい」
「行ってきます」
「……必ず帰れ」
「帰ります」
アスタロトが少し頷いた。それだけだった。でも、それで十分だった。
三人で城を出た。
✦
施設の外壁に着いたのは、夜中の一時を過ぎた頃だった。
人間界の施設だ。魔界とは空気が違う。少し重い感じがした。
「メフィストの地図、合ってそう?」とほのかが言った。
「合ってると思います。北側の壁、ここです」
「入れそうな場所は」
「この辺に通路があるはずです。古い情報なので確認しながら進みます」
「了解」
レイが「……気配がある」と言った。
「警備ですか」
「……二人。定期巡回っぽい。五分おきに来る」
「五分以内に入れますか」
「……たぶん」
「やります」
三人で動いた。
壁に沿って移動して、メフィストの地図通りの場所に来た。
石造りの壁に、小さな扉があった。
鍵がかかってた。
「開けられますか」とほのかが聞いた。
「やってみます」
杖に魔力を少しだけ込めて、鍵の機構を感じた。
慎重に、少しずつ。
カチ、と音がした。
「開きました」
「速い」
「ありがとうございます」
三人で中に入った。
✦
通路は暗かった。
灯りはない。壁に手を当てながら進んだ。
足音を立てないように歩いた。魔力も絞った。感知されないように。
「どのくらい奥にいるんですかね」とほのかが小声で言った。
「地図だと、北の特別区画まで二百メートルくらいです」
「遠い」
「こういう施設は長く作るんですよ。逃げにくくするために」
「なるほど嫌な設計だ」
「そうですね」
レイが「……静かすぎる」と言った。
「そうですね。夜中なので」
「……それだけじゃない気がする」
「警備が薄いということですか」
「……わからない。でも、変」
「気をつけながら進みましょう」
三人でゆっくり進んだ。
角を曲がるたびに、レイが先に確認した。
「……大丈夫」と小声で言う。それから三人で進む。そのくり返しだった。
「どこにいるんですかね、セキネさん」とほのかが言った。
「特別区画の近くだと思います。そこを目指します」
「リナもそこにいるんですよね」
「そうです」
「助けられますか、今日」
「セキネさんを助けるのが今日の目標です。リナは、状況を見て」
「状況次第で?」
「状況次第です」
「わかった」
レイが「……待って」と言った。
三人が止まった。
少し間があった。
「……人の気配。前の方」
「何人ですか」
「……一人。動いてない」
「動いてない?」
「……座ってるか、倒れてる」
私は少し前に出た。
暗闇の中に、人影があった。壁に背をもたれて、座ってた。
「セキネさん?」
人影が動いた。
「……カノンか」
セキネさんだった。
声がいつもより低かった。疲れてる声だった。顔が少し青かった。
「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃない。脚をやられた」
「どのくらいですか」
「歩けない。走るのは無理だ。ここで止まった。もう一時間はいる」
「一時間も」
「動けなかった。連絡はできたが、返信を待てなかった。追手が来ると思って、少し奥に隠れた」
ほのかが駆け寄った。
「どのくらい? 脚の怪我」
「骨は折れてないと思う。ただ、魔力を当てられた。痺れてる」
「わかった。背負う」
「お前では——」
「私の力なめんな」
ほのかがセキネさんを背負った。
セキネさんが少し驚いた顔をした。
「……軽い」
「そりゃそうでしょ。鍛えてるし」
「感謝する」
「どうぞ」
私はセキネさんを見た。
「リナを確認できましたか」
「見た。今日の時点では変わってなかった。ただ、警備が厚くなっていた。俺が動いていることに、向こうは気づいている可能性が高い」
「それで捕まりかけた?」
「そうだ。逃げる途中でここまで来た。追手は撒いたが、動けなくなった」
「今は逃げましょう」
「そうしてくれ」
レイが「……来る」と言った。
「追手ですか」
「……二人。速い」
「ほのか、先に行ってください。私が後ろを持ちます」
「一人で大丈夫?」
「大丈夫です」
「……私も残る」とレイが言った。
「ほのかについてください。セキネさんを守れるのはほのかとレイが一緒の方がいい」
「……わかった」
「行きます」
ほのかとレイがセキネさんを連れて先に進んだ。
私は通路の奥を見た。
暗闇の中から、二人が来た。
IMIの魔法少女だった。変身してる。
「神無カノン」と一人が言った。
「はい」
「任意同行に——」
「嫌です」
杖を構えた。
障壁を展開した。
二人が構えた。一人が炎の魔法を放ってきた。障壁で受けた。もう一人が横から来た。杖で弾いた。
二人とも強かった。でも私より強くはなかった。
IMI史上最強、という話は本当らしかった。自分で言うのは変だけど。
三分で終わった。
二人を気絶させた。傷はつけなかった。縛るものがなかったので、魔力のロープで縛った。
「ごめんなさい」と言って進んだ。
ほのかたちを追いかけた。
✦
外に出たのは、三時を過ぎた頃だった。
空が少し明るくなり始めてた。
魔界への転移魔法を使った。四人で魔王城に戻った。
空気が変わった。魔界の空気に戻った。
ほのかが「帰ってきた」と言った。
「帰ってきましたね」
「なんかほっとする。魔界の方が落ち着くって、最初は思わなかったけど」
「そうですね」
「……慣れた」とレイが言った。
「慣れましたね」
アスタロトが正門で待ってた。
「無事か」
「無事です。セキネさんが脚をやられています」
「すぐ手当てする」
アスタロトがセキネさんを見た。
「担架を持ってくる。待て」
「ありがとうございます」
アスタロトが城の中に走っていった。珍しく走った。
ベルゼバブも来てた。いつからいたのかわからなかった。
「お帰りなさい」
「ただいまです」
「お茶を用意してあります。まず中に」
「ありがとうございます」
アスタロトが担架を持って戻ってきた。セキネさんをほのかの背中から担架に移した。
「……ありがとうございます」とセキネさんが言った。
「礼はいらない」とアスタロトが言った。「怪我人は黙って運ばれろ」
「……はい」
セキネさんが少し苦笑いした。
ベルゼバブが部屋に案内した。アスタロトが担架を持って。
私とほのかとレイが残った。
ほのかが「やった」と言った。
「やりましたね」
「セキネさん、生きてた」
「よかったです」
「脚は大丈夫かな」
「ベルゼバブさんに任せれば大丈夫です」
「そうだね」
レイが「……クッキー食べる?」と言った。
「食べます」とほのかが言った。
「……私も」
「私も」と私が言った。
三人でクッキーを食べた。
夜明け前の城で、クッキーがおいしかった。
「おいしい」とほのかが言った。
「……でしょ」とレイが言った。
「毎回おいしいね、レイのクッキー」
「……毎回同じやつだけど」
「それでもおいしい」
「……そう」
レイが少し嬉しそうだった。
暗紫色の空に、夜明けの光が少し混じり始めてた。
✦
ベルフェゴールに報告した。
「セキネさんを救出しました。脚の怪我があります。今ベルゼバブさんが手当てしています」
「戦闘は」
「追手が二人。気絶させました。傷はつけていません」
「よくやった」
「ありがとうございます」
「こちらで礼を言うのは珍しいな」
「珍しいですね」
「私がよくやったのは珍しいということか」
「そうではないです。ベルフェゴールさんが礼を言うのが珍しいという話です」
「……そうだな」
ベルフェゴールが少し間を置いた。
「セキネが話せる状態になったら、リナの状況を詳しく聞け。今夜確認したことがあるはずだ」
「わかりました」
「レナには、明日の朝伝えろ。今夜は休ませてやれ」
「はい」
「お前も休め」
「はい」
「……よくやった」
もう一回言ってくれた。
「ありがとうございます」
「もういい。帰れ」
部屋を出た。
廊下が静かだった。
リリスの部屋の前を通った。
ドアの前に立って、少しだけ聞いた。
寝息がした。
よかった。起こさずに済んだ。
「おやすみ、リリス」
小さい声で言った。返事はなかった。
でもそれでよかった。今夜は、それだけでよかった。
✦
朝になった。
レナが食堂に来た瞬間、ほのかが「実はセキネさんが来てる」と言った。
レナが固まった。
「え」
「昨夜、助けに行きました」
「……なんで教えてくれなかったんですか」
「心配させたくなかったので」
レナが少し間を置いた。
「心配させたくなかった、は私が決めることじゃないですか」
「そうですね。ごめんなさい」
「……まあ、助けに行ってくれたのは、ありがとうございます」
「どういたしまして」
「セキネさんは大丈夫ですか」
「脚を怪我してましたけど、手当てしてもらいました」
「リナのことを見てきたんですよね」
「見てきました。昨夜の時点では、変わっていなかったと言っていました」
レナが少し目を閉じた。
「よかった」
「よかったです」
「ありがとうございます、カノンさん。みんなも」
「どういたしまして」
セキネさんが食堂に来た。
脚に包帯を巻いて、ベルゼバブが用意した杖をついてた。
いつもの白衣ではなく、城から借りた上着を着てた。
「おはようございます」と私が言った。
「……ああ」
セキネさんが全員を見た。レイ、ほのか、レナ、私。
「……みんな、元気そうだな」
「元気ですよ」
「……そうか」
セキネさんが席についた。
ベルゼバブがお茶を持ってきた。セキネさんの分も。
「どうぞ」
「……ありがとう」
セキネさんがお茶を飲んだ。
「……うまいな」
「そうでしょう」とベルゼバブが言った。にこにこしてた。
「……城のものがこんなにうまいとは」
「毎日飲めますよ」
「……しばらくここにいることになりそうだからな」
「ゆっくりしていってください」
セキネさんが少し間を置いた。
「……世話になる」
「どうぞ」
セキネさんが食堂の中を見た。
「ここ、普通だな」
「普通ですよ」と私が言った。
「……もっと物騒な場所だと思っていた」
「みんなそう言います」
「……そうか」
セキネさんがため息をついた。
「……俺はIMIの担当官として、ここを敵と認識していた」
「はい」
「……ただ、来てみると、そういう感じじゃない」
「そうですよ」
「……まあ、いい。考えるのは後でいい」
ほのかが「そういうとこです」と言った。
「何が」
「セキネさんって、考えて、ため息ついて、でもちゃんと動く。それがいい人なんだよな、って」
セキネさんが少し間を置いた。
「……お前はいつも、そういう評価をする」
「正しい評価はちゃんとします」
「……ありがとう」
「どうぞ」
なんか、食堂が少し暖かかった。
リリスが食堂に来た。ベルゼバブに連れられて。
セキネさんを見た。
セキネさんがリリスを見た。
「……あなたが、魔王ですか」
「……うん」
「……そうですか」
「……おなまえは?」
「セキネです」
「……セキネさん」
「はい」
「……たすかった?」
「助けてもらいました」
「……よかった」
リリスが席についた。
それだけだった。でも、それだけで十分だった。
セキネさんがリリスをしばらく見てた。
「……3歳か」
「3歳です」
「……そうか」
「なんか言いたそうですね」
「……来た頃と、随分印象が変わった」
「来たことありましたっけ」
「最初に来た時に、少し会った。あの頃はもっと表情が乏しかった」
「そうでしたね」
「……今は違う」
「違いますね」
セキネさんがお茶を飲んだ。
「……カノン」
「はい」
「なんでここに来た。最初に」
「魔王がかわいかったので」
「……それだけか」
「それだけです」
「……そのままここにいる」
「そうです」
「……変わったやつだな、お前は」
「よく言われます」
「……でも」
セキネさんが少し間を置いた。
「……俺も来てよかったのかもしれない。こちら側に」
「そうですよ」
「……まだそうとは言い切れないが」
「まだでいいですよ。ここにいればわかります」
「……そうかもしれないな」
セキネさんがリリスを見た。
リリスがセキネさんを見た。
「……おちゃ、おいしい?」とリリスが聞いた。
「……ああ、うまい」
「……よかった」
リリスが満足そうにお茶を飲んだ。
セキネさんが少し笑った気がした。確信はないけど、たぶん笑った。
こういう朝が、今の城にある。
最初の頃は考えられなかった。
でも今はある。
セキネさんがここにいる。リリスが笑ってる。みんながここにいる。
それだけで、十分だった。
✦ ✦ ✦
次回「セキネさんの話」
——セキネさんが城に残ることになった。そして、リナについて語り始めた。




