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「一度、大きな病気をして、全身麻酔をしたんですけど」
天井のスピーカーからは、このファミリーレストランのテーマソングだろうか、軽やかなBGMが流れていた。
スマートフォンを操作し、SNSのアカウントを表示させた。
蛍の写真をアイコンにして、名前も「蛍」を名乗るアカウント、今、僕の目の前に座る彼女のものだ。
「手術が終わって、その時に思ったんですよね」
蛍さんは人懐っこい笑顔を浮かべて、真っ直ぐ僕を見つめながら、息継ぎの間もないほど、勢いよく喋り続けた。
正確には、彼女は僕の姿は見えてはいない。彼女の大きな黒目の瞳を覗き込んでいるのは、僕の方だった。
「人生観が変わったって言うか、全部ひっくり返ったっていうか」
「蛍」さんは、安楽死の制度化を訴え、何年もSNSで情報を発信していた。自らのことは、『とある障害のために、早急な安楽死を希望』とプロフィールにあった。
タイムラインを遡っても、彼女がどのような障害を抱えているのか明らかにしていなかったが、今日実際に会ってみてすぐに分かった。
「ひっくり返ったというのは?」
テーブルには、新商品のイチゴを使ったパフェのポップが立ててある。僕は質問をしながら、広告を端に寄せて、電源の入っていないボイスレコーダーの位置を整えた。
「全身麻酔をすると、一瞬で時間がワープして、起きたら何時間も経ってたって、よく聞く話じゃないですか?」
「経験はないですけど、そうらしいですね」
僕らが話しているテーブルの横を、女子高生の集団が大きな笑い声を上げながら横切った。
彼女も、笑い声が過ぎ去るのを待つために、テーブルのコップを探るようにして手に取った。
平日夕方のファミリーレストランなので仕方はないが、やはり取材には不向きな場所だった。
「わたしも手術のあと、一瞬で目を覚ましたんですけど、思ったんです。ああ、なんかこのまま」
目が覚めないでもよかったのになって。
笑いながらそう言うと、生きて目を覚ましたことが耐え難い不運だというように、唇を結んで悔しそうに噛み締めた。
レコーダーの電源ボタンに親指を重ねた。
今からでも録音を開始するか迷ったが、昨日から決めていた通り、ボタンを押す手を止めた。
今日は『安楽死賛成の立場として、取材をしたい』という名目で彼女に連絡をしたが、正直仕事など、どうでもよかった。
記者の立場を使って、彼女にDMを送ったが、会社にも黙って、今僕はこの場所にいる。
「その時にはもう、安楽死について考えていたんですか?」
僕が質問をする。
軽やかなメロディーの流れるファミレスには、あまりにも似合わない言葉だと、声にしてから気づいた。
だが、彼女は「安楽死」という言葉に動じた素振りは見せず、自分でもよく分からないというように、首を少し横に傾けながら、僕の問いに答えた。
「いや、その時は死にたいとか、そういうのぜんぜん無かったのに、べつに麻酔から覚めてもよかったし、覚めないでも別によかったのにって、なぜか思ったんです」
取材では、相手が話やすいように、深く相槌を打つようにしている。いつもの癖で今もそうしたが、ハッと思い直して、ちゃんと声にして「そうなんですね」と言い直した。
彼女、蛍さんは目が見えていない様子だった。
「これって、わたしの目が見えないからなんですかね」
明るい話ではないはずなのに、蛍さんはずっと微笑みを絶やさない。
目が見えないのに不機嫌そうに黙っていると、誰も話しかけてくれないから、いつも笑うようにしている。
さっき、会ったばかりの僕に、そんな風に教えてくれたあと、「まあどっちにしろ、いつも一人なんですけど」、そう言ってまた作った笑顔を浮かべた。
蛍さんのアカウントを見つけたのは2ヶ月前、妻のスマートフォンを見たときだった。
普段なら、家族であっても、勝手にプライベートを盗み見たりはしない。
でもあの時には、迷いはなかった。
集中治療室に入った妻が、なぜ一人で死のうと決めたのか、どんな小さな痕跡でも、知りたかったのだ。
タイムラインもDMの履歴もすべて削除されていたが、妻が自殺を図った数時間後、新着のメッセージが一件届いていた。
『動画を共有してもいいと、先生から許可を頂きました』
そう書かれたメッセージのすぐあとに、動画のリンクが送られてきた。
妻が自殺未遂を図った理由が何か分かるかもしれないと思い、僕はリンクをコピーし、自分のパソコンから動画をダウンロードした。




