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動画を再生すると、古い民家の寝室が映った。色褪せた襖、シールが剥がされた跡の残るカラーボックス、どこにでもある家、日常の風景そのものだ。
部屋の中央に置かれたベッドには、初老の男性が腰掛けていた。息をするたびに、胸が上下し、掠れた嗚咽のような声が漏れる。呼吸すら苦しいという様子だった。
ジャケットの男が紙コップに液体を注ぎ終えると、予め用意した文章を読み上げるような淡々とした口調で、初老の男性に語りかけた。
「この薬を飲むと、どのようなことが起きるか、あなたは理解していますか?」
ジャケットの男がそう尋ねると、初老の男性は一呼吸置いたあと、虚空を見上げ、天井を仰ぎ見たまま、まばたきすらしなかった。
その場にいる誰も声を出さず、部屋には不気味な静寂が流れ、外から車道を走る車の音が、かすかに聞こえるだけだった。
初老の男性は紙コップを受け取り、応える。
「はい、この薬を飲めば、わたしは死にます」
まるで、演劇のセリフを読み合わせるように、道筋をなぞりながら二人は話す。
初老の男性が、コップの中身を一息に飲み干した。
その様子を確認したジャケットの男は、初老の男性をベッドに寝かせたあと、「2024年1月23日・・・」と時刻を読み上げた。
そして、僕が動画を見終えたのを見計らったように、送り主からの新たなメッセージが届いた。
『あなたの願いも、いつか叶うことを祈っています』
そう、最後に添えられていた。
その相手こそが、たった今、目の前で笑う相手、「蛍」アイコンの彼女だった。
お腹が空いたと、背伸びをしながらつぶやいた蛍さんは、面白い話を突然思い出したかのような言い方で、話し始めた。
「餓死って、どんな死に方だと思います?」
蛍さんは唐突にそう尋ねた。
僕は質問に面食らいながらも、当たり障りのないように、「さあ、想像できないですけど」と曖昧な返事を返す。
「お腹が減って、だんだん衰弱していくって思うじゃないですか? でもそれ、たぶん違うんですよ」
「何が違うんですか?」
窓から、駅前を行き交う人々が見える。
ここに入る前には曇り空だったが、外からは、また雨音が聞こえ始めた。
蛍さんも、外の雨に気付いたようで、一度窓の方に顔を向けたあと、話を始めた。
「部屋にこもって、ずっと何も食べないでいると、このまま死ねるかなって思ったんですけど」
でもダメでしたと、たくらみが失敗した子どものように、残念そうに漏らす。
「空腹って、最後は痛いんですよ。一分おきに、お腹をズドーンって思い切り殴られる感じで」
だから、餓死ってめちゃくちゃ痛い死に方だと思います。
たぶん、と早口で言い終えると、自分で自分の話にオチをつけるように、息だけで笑った。表情を作る時の癖なのか、笑顔を作ると、右側の唇だけ、引きつったように歪む。
蛍さんは、安楽死を受けたいと、SNSで発信していた。同じようなアカウントはいくらでもあるだろう。だが、蛍さんはスイスにある安楽死の団体に連絡を取って、具体的な手続きまで進めようとしていた。
「だから蛍さんは、安楽死を希望するんですか?」
少し重々しい言い方になってしまったが、蛍さんは笑い飛ばすように、「はい」とだけ快活に答えた。
「安楽死という手段があると知った時、すごく」
一瞬、口ごもった蛍さんは、ふと店の壁の方を向いて、何やら考え込む仕草をした。彼女には、見えていないはずだが、そこには天使が楽園で過ごす風景が、古い西洋画のようなタッチで描かれていた。
「心の底からホッとしたんです、お守りっていうか」
ぼそっと、独り言が漏れ出たように言う。
「お守り、ですか?」
死という言葉とお守りというイメージが結びつかず、思わず聞き返した。
「一度、死にたいって思ったら、そのあとの人生で起きた辛いことが全部、死にたいになっちゃうんですよ」
できるだけ深く、声に出して相槌を打ちながら、ただ黙って彼女の言葉を受け止めた。
「もう何回も観たつまらない映画を、ずっとエンドレスにリピートしてる気分で、早く画面を消したいのに、でもいざ死のうと思っても、それもできなくて」
顔を伏せて、早口でまくしたてるように話す。前髪の隙間から表情を伺おうとしたが、じっと目を閉じてしまって、懸命に何かに耐えているようにしか見えなかった。
「想像すると、眠れないくらい怖いです。でも、安楽死があれば、苦しまずに死ねるって」
だから、お守りなんですと、言葉を締め括った。
返す言葉が見つからず、黙ってしまった。
沈黙から逃げたくて、短い咳払いをしてから、続けた。
「一つ、お聞きしたいことがあるんです」
慎重な前置きに、蛍さんは一瞬、身構えた様子だったが、すぐに頷いて僕に言葉の続きを促した。
「国内で安楽死の処置を行っている医師がいることをご存知ですか?」
僕が質問すると、予想通り、蛍さんはすぐに返事が出来ず、黙って下を向いてしまった。
返事を蛍さんに預けたまま、黙って蛍さんの答えを待ちながら、窓の外を見た。
まだ雨は降り続いている。
駅に着いた人々が、ほっと息をついたように傘を畳む。改札の向こうから出てきた人が、ため息と一緒に傘を広げる。
そんな光景をいくつか眺めていると、蛍さんは質問の真意を探るように、慎重に言葉を選びながら答えた。




