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夢を見ていたと、蛍さんは言った。
たった今、隣の座席で目を覚ましたばかりの彼女は、今の夢の名残りを惜しむように微笑んだあと、ふと大事なことに気づいたような顔になった。
「今、お前には無理だろって顔してません?」
イタズラっぽい笑顔を浮かべて、僕を試すように質問する。窮屈なバスの座席だと、距離が近過ぎて、真っ直ぐに彼女の顔が見れなかった。
「無理って、何がですか?」
僕も、わざと驚いた声を出した。表情を作る必要はなかったのに、ぎこちない作り笑いも浮かべて、とぼけて見せた。
「だって、目が見えないのに、どうやって夢なんて見るんだって、普通は思うじゃないですか」
バスに乗ってから、すでに20分以上が経過していた。蛍さんの横顔の向こうを流れる景色も段々と山深いものになり、目的地は近いはずだ。
今日の旅のきっかけは、『先生から連絡が返って来なくなった』という蛍さんからのDMだった。
そして、その数時間後に、アカウントごと削除されてしまった。医師が、警察や記者の動きを察知して、アカウントを消したのかどうかは不明だが、消息を絶ってしまったことは確かだ。
蛍さんも、心の支えだった医師の存在が揺らぎ、激しく動揺している様子が、文面からも伝わった。
遠藤さんからは、医師が務める病院名しか伝えられていない。遠藤さん自身、社会部の同期からそこまでしか聞き出せなかったようだった。
「確かに、夢を見るって想像できないかもしれません」
誤魔化すことを早々に諦めて、あっさりと認めた。すると蛍さんも、悲しんだり怒ったりするような様子はなく、やっぱりという顔になって続けた。
「目が見えない人間の、夢ってどんな感じだと思います?」
「どんな?」
考えるフリをして彼女の膝元に目を落とした。
一枚の写真を手に持って、大事そうに丸くなった角を指で撫でている。
電車とバスを乗り継いでここまでやってきた。その道中、バスを待ちながら、彼女が見せてくれた写真だ。
蛍さんと彼女の母親が、一緒に写っている唯一の写真なんだと、打ち明けた。
それほど大切な写真を、なぜ僕に見せてくれたのかは分からない。だが、自分が死ぬ時には、絶対に肌身離さず持っておきたいと、今日ここに来る覚悟を伝えたいような気がした。
「夢の中だと、真っ暗で音だけ聞こえるとか?」
気を遣い過ぎて回りくどい言い方をすると、余計に傷つけてしまうような気がして、思ったままを口にした。
「生まれつき目が見えない人は、そういう人もいるみたいですけど」
自分だけが知っているクイズの回答を話す子どものように、蛍さんは得意げに話す。
「わたしの場合、5歳の頃まではまだ見えてたんで、ちょっと特殊なんです」
僕も相槌を打ちながら続きを待つが、正直なところ、それどころではなかった。
あと、5分足らずで目的の場所に到着してしまう。その前に、何か言い訳のようなものを考えておきたかった。
気が重くなって、また蛍さんの膝元の写真を見た。
蛍さんが、母親と自分が写っていると思っていたのは、ぼやけたアスファルトが写る、ただの撮り損ねの写真だった。
これまで彼女に写真を見せられた人も、何人かはいただろう。きっとその誰もが、彼女に本当のことを告げなかった。
「不思議なんですけど、夢の中では、目が見えるんですよね」
蛍さんの頬は緩み、笑顔が自然に溢れていた。良い夢でも見たのだろうか、写真を撫でる指先も、どこか穏やかで優しい。
だが、それが余計に胸をざわつかせた。
蛍さんは27歳だと言っていた。
さっき話していた彼女の母親が亡くなった時期も考慮すると、もしかすると、1年もの間、母親の写真だと思いながら、暗いアスファルトの写真に手でも合わせていたのかもしれない。
「夢の中では、目が見えて、どんな場所にも行けるのに、目が覚めたらまた何も見えない状態に戻ってるんです」
どう返事をすればいいか迷っていると、バスのアナウンスから、目的地の1つ手前の駅名が流れてきた。




