第3話 冷徹な公爵様の、不可解な|執着《しゅうちゃく》
瞼を開けた時、最初に飛び込んできたのは、淡い藤色の天蓋布だった。
(……ここは、どこ?)
身体は驚くほどに温かく、清潔なリネンの香りに、包まれている。仰向けに寝かされた身体には、上質な絹の寝間着が着せられていて──それが自分の身に起きていることだと理解するまでに、しばらくの時間を要した。
「お目覚めですか、エルサ様」
柔らかな声に振り向くと、年配の侍女が、ふくよかな微笑みを浮かべて、立っていた。
「目を覚まされたら、必ずお呼びするようにと、公爵様より、厳しいお達しが」
「……公爵、様」
朧な記憶が、ゆっくりと、甦ってくる。雪の中で行き倒れた私を、抱き上げてくれた、銀髪の青年。
「もう三日も、お眠りでしたのよ。お加減は、いかがですか?」
「三日……」
ぼうっと呟いた途端、扉が、控えめに叩かれた。
「入る」
許可も待たずに開かれた扉から──彼が、入ってきた。
陽の光の下で見るゼクス様は、雪原で見た時よりも、なお一層、冷たく整った美貌の持ち主だった。装いを軍服から、仕立ての良い上着に変えていても、纏う空気の鋭さは、変わらない。
侍女が、慌てて深く頭を下げる。
ゼクス様は、ちらりとも侍女を見ず、私の傍まで、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「気分はどうだ」
「あ……は、はい。あの、お助けいただき、本当に──」
「熱は」
ゼクス様の手のひらが、躊躇なく、私の額に当てられた。
ひやりとした、男の人の、大きな手。
心臓が、跳ねた。
「下がっているな」
ぽつりと呟いた声には──確かに、安堵の色が、滲んでいた。
(……どうして?)
冷徹だと、噂で聞いていた。戦場では一切の容赦がないと、皆が口を揃えて、いた。
それなのに──私を見るこの方の瞳は、なぜ、こんなにも。
壊れ物を扱うかのように、優しいのだろう。
「腹が減っただろう。粥を運ばせる」
「あ、あの、ゼクス様。私は──」
「ここでは、療養に専念しろ」
短く遮ると、ゼクス様は私から目を逸らし、窓辺へと歩いていった。
冬の朝の光が、その銀髪を、白く照らしている。
「行く当てがない、と聞いた」
「……はい」
「ならば、しばらくはここに居ろ。客人として、遇する。何も、気にするな」
「で、ですが、見ず知らずの私に、そこまで──」
「……見ず知らず、か」
ぽつり、と。
ゼクス様の唇が、何かを噛み締めるように、動いた。
「……いや。いい、忘れてくれ」
振り返った時には、もう、いつもの冷たい横顔に戻っていて。
「不便があれば、何でも言え。屋敷の者にも、お前を粗略に扱わぬよう、きつく言ってある」
「……はい」
頭を下げる私の頭の上で、ふわり、と。
ためらいがちな、ごくごく小さな仕草で──ゼクス様の手が、私の髪を撫でた、ような気がした。
瞬いた瞬間には、もう、その手は引っ込んでいて。
夢かと、思った。気のせいかと、思った。
けれど──部屋を出ていく直前、扉に手をかけたゼクス様の、その耳が。
ほんのわずかに、朱く染まっていたのを、私は確かに、見たのだった。
* * *
それからの日々は、信じられないほどに、穏やかだった。
侍女たちは皆、私を「ヴァルトハイム公爵家の客人」として、丁寧に扱ってくれた。冷たい食事も、陰口も、嘲るような視線も──ここには、ひとつも、なかった。
そして何より──
「ここの紅茶は、気に入ったか」
「お前の好みに合わせて、菓子職人を一人、新しく雇った」
「読みたい本があれば、何でも書庫から運ばせろ」
──ゼクス様、ご自身が。
冷徹で名高いはずのこの方が、なぜか、私にだけは。
呆れるほどに、過保護だった。
毎朝、必ず私の様子を見に来る。食事の量を確かめる。寝室の暖炉の薪が足りているか、自ら侍女に確認する。
冷徹な公爵様、というあだ名は、いったい何だったのだろう。
使用人たちですら、最初は驚き、やがて呆れ、しまいには微笑ましいものを見るような目で、私たちを見るようになった。
「……どうしてですか」
ある夕、思いきって尋ねた私に、ゼクス様は、紅茶のカップを置く手を、ぴたりと止めた。
蒼い瞳が、ゆっくりと、私を見つめる。
「言ったら──お前は、逃げるか?」
「え……?」
「いや」
微かに、ゼクス様は瞼を伏せた。
「まだ、言わない。──まだ、その時では、ない」
そう、独り言のように呟くと──貴方は、本当にどこか、寂しそうに、笑ったのだった。




