第86話 予測外
森の奥。
ようやく黒い魔物の気配が遠ざかる。
「はぁ……ッ」
マキが木にもたれた。
「マジで死ぬかと思ったッス……」
「気持ち悪すぎネ……」
ミカも珍しく疲れた顔をしている。
爪にはまだ黒い液体が付着していた。
「エバ、大丈夫か?」
ヒロが聞く。
「……平気」
エバは小さく頷いた。
だが。
どこか落ち着かない様子だった。
「……まだいる」
「え?」
「嫌な感じ」
エバは森の奥を見ていた。
その時だった。
「……」
ヒロが視線を向ける。
レイン。
こいつだけ。
息一つ乱れていなかった。
「お前」
ヒロが目を細める。
「何なんだ」
レインは答えない。
ただ。
霧の向こうを見ていた。
「……変」
ぽつり。
エバだった。
レインの目がわずかに動く。
「何がだ?」
ヒロが聞く。
だが。
エバは首を横に振った。
「上手く言えない」
「でも」
「そこにいるのに、違う」
一瞬。
空気が止まる。
レインは笑った。
いつもの軽い笑み。
「ひどい言われようだな」
だが。
その笑みは少し硬かった。
「村へ戻るぞ」
ヒロが立ち上がる。
だが。
「戻るな」
レインが即座に言った。
「……は?」
ヒロが振り向く。
レインは珍しく真顔だった。
「今戻るのはマズい」
「何がだ」
「……」
一瞬。
レインが黙る。
「間に合わなくなる」
「何に」
ヒロが聞き返す。
だが。
レインは答えなかった。
代わりに。
小さく舌打ちする。
「クソ……」
初めてだった。
ここまで余裕が消えているのは。
「アンタ、何を知ってるネ?」
ミカが聞く。
レインは少しだけ目を伏せた。
「……俺も全部は知らない」
その声だけ。
妙に本音っぽかった。
一方。
魔族の村。
夜。
村人達の表情は暗かった。
「最近おかしいよ……」
「鐘の回数も増えてる」
「東の森にも近づくなって……」
不安げな声。
その時。
——ゴォン。
低い鐘の音。
空気が凍る。
「また……」
ラナが顔をしかめた。
すると。
村の入口側。
巨大な影が現れる。
「モラクス様!」
村人達の表情が少し明るくなる。
モラクスだった。
だが。
いつもと違う。
機嫌が悪い。
「……チッ」
モラクスが舌打ちした。
「気に入らねぇ」
「え?」
ニノが目を丸くする。
モラクスは答えない。
ただ。
遠く。
魔王城を睨んでいた。
「……クソみてぇだ」
ぼそりと呟く。
その言葉を。
誰も理解できなかった。
そして。
霧の森。
レインは一人。
誰もいない場所へ歩いていた。
軽い笑みは消えている。
「……予測以上だ」
小さく呟く。
そして。
遠くの魔王城を見る。
「こんなの、聞いてない」




