第44話 撤退と仮説
霧の中。
ケルベロスの唸り声。
見えない罠。
重くなる空気。
ヒロは一瞬、目を閉じた。
(……足りない)
情報も。
手段も。
「……引く」
短く言う。
「え?」
ミカが少しだけ驚く。
「いいネ?」
「このままじゃジリ貧だ」
ヒロは視線を前に向けたまま言う。
「罠が即死系で、しかも位置が変わる」
「魔物も同時に来る」
「このまま進むのは無理だ」
「……うん」
ユナはすぐに頷いた。
「戻ろう」
「了解ネ」
ミカも軽く肩を回す。
「じゃあ一旦退散ヨ」
ヒロが後ろに下がる。
視線は前から外さない。
ケルベロスも追ってこない。
ただ——見ている。
(……追わないのか)
違和感が残る。
だが。
今はいい。
霧の外へ出る。
空気が、軽くなる。
「……はぁ」
ユナが小さく息を吐く。
「助かったネ」
ミカが笑う。
「……ああ」
ヒロは短く答える。
(助かった、か)
それは間違いない。
だが——
(分からないことが多すぎる)
「戻るぞ」
——研究者の小屋。
扉を開ける。
「戻ったか」
男が顔を上げる。
「どうだった」
「最悪だな」
ヒロはあっさり答える。
「魔物はケルベロス」
「硬いし速い」
「で——」
一拍置く。
「罠がある」
「即死系だ」
「……」
研究者の目が細くなる。
「しかも」
ヒロは続ける。
「位置が固定じゃない」
「踏んでない場所が鳴る」
「さっきまでなかった場所に出る」
「……やはりそうか」
男が小さく呟く。
「固定配置じゃないな」
「観測して、変えている」
「……は?」
ヒロが眉をひそめる。
「誰かが見てるってことか?」
「断定はできん」
男は首を振る。
「だが——自然ではない」
短く言う。
「お前たちが通過できるかを見ている可能性もある」
「……試されてるってことか?」
「近い」
ヒロは黙る。
(誰に?)
答えは出ない。
だが。
(偶然じゃない)
それだけは確信できる。
「……もしそうなら」
研究者が続ける。
「これは罠じゃない」
「選別だ」
「……」
空気が、少しだけ重くなる。
ヒロは小さく息を吐いた。
「……めんどくさいな」
正直な感想だった。
だが——
嫌いじゃない。
「どうする」
研究者が問う。
「もう一度行くか?」
「……準備する」
ヒロは即答した。
「今のままじゃ足りない」
「そうか」
男はそれ以上は言わない。
小屋を出る。
夕方。
空は赤く染まっていた。
そのとき。
屋根の上。
フクロウが一羽。
じっと、こちらを見ていた。
動かない。
ただ——
視線だけが、外れない。
「……」
ヒロは一瞬だけ見る。
そして——
何も言わずに、歩き出した。




