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望み、求めたもの






 「助けてぇぇっ!!香月さん!!!」




 その瞬間、バンッという音が後ろから響き、驚いて見上げた晶は目を見張った。


 開かなかったはずの入口の扉が開かれていて、そこからカツンと硬質な革靴の底を鳴らして誰かが入ってくる。


 その暗闇の中に逆さまで浮かび上がるシルエットは、晶がここ最近見慣れてきた人物のもの。


 それを裏付ける美しい瑠璃色の瞳が、真っ暗な闇の中で異常に煌めいているのが見えた途端、晶は胸がいっぱいになって一気に視界が滲んだ。


 「…こ、香月さん!!」


 晶はその美しい瞳の持ち主に助けを求めるため、必死に彼の方へ手を伸ばす。


 「静野さん。遅くなってすまない。…少しだけ目を閉じていてくれるかな?」


 「えっ!?」


 得体の知れない男に押し倒されているこの状況で、一体何を言い出すのかと疑問に思ったが、晶は言われた通りギュッと目を瞑った。


 その途端、晶の肩を掴んでいた手がビクビクッと痙攣したかと思うと、男が唸り声を上げて手を離した。その後間髪入れずに足元の方でドサッと重いものが落ちた様な音が聞こえ、晶は驚いてビクリと肩を揺らす。


 (い、いま、何が起きたの?…でも、ここから早く逃げないと!)


 目を瞑っているため一体何が起こったのか状況が分からない。しかし押さえつけられていた圧迫感がなくなった晶は急いで身体を起こすと、この場から少しでも逃げるために目を閉じたまま入口のほうに向けてズルズルとお尻を摺って移動する。


 すると、すぐに背中に何かが当たる感触があり、次に膝裏に何かが触れた。と思った瞬間、身体が急に浮遊感に包まれる。


 「!!」


 覚えのある感覚と夜を思わせる甘い香りに、晶は思わず目を開いてしまった。そのすぐ間近に瑠璃色の瞳が見えて、驚きに目を丸くする。


 (夢じゃ、ない。…来てくれた…)


 横抱きにされた状態で、晶は香月と目を合わせる。


 彼の顔を間近で見た途端、今まで感じていた恐怖と悔悟、そして羞恥心と、それにも増して彼の腕の中にいる絶大な安心感などの思いがごちゃ混ぜになり、それが零れ出してしまいそうになった。


 それを必死な思いで堪えたまま、晶は彼の瞳を見つめる。香月の表情は暗闇の中では良く見えないが、瞳だけは僅かな光を吸い寄せて、まるでサファイアの様に静かに煌めいていた。


 「静野さん、怪我はない?」


 彼の纏う夜の香りに包まれて、彼の穏やかな低い声を聴いた途端、晶はそれまでずっと張り詰めていた糸が勝手に弛んでしまったことを自覚した。駄目だと思うのに、ずっと堪えていたものがぽろぽろと零れ出す。


 「…だいじょうぶ、ですっ。ごっ…ごめんな、さい…っ…降りますっ…ヒックっ、まだ、怖いのいるから…香月さんも、危ない」


 嗚咽を漏らしながら震える身体で腕から逃れようとする晶のことを、香月は無表情のまま見つめ、力強く抱え直した。


 「…もう怖いのはやっつけたから、心配いらないよ」


 「……へっ?」


 その言葉に動きを止めた晶は、涙を拭って慌てて周囲を見回す。すると、暗闇の廊下で倒れて伸びている人影があった。


 伸びた男の姿を目にした晶は、今までの恐怖から反射的にビクリと身体を震わせてしまう。それを見て、香月は晶を抱える腕に更に力を入れた。


 「…静野さん。悪いんだけど、もう一度だけ目を閉じていてくれる?そして、僕が良いよって言うまで開けないで」


 「…へ?は、はい」


 良く分からないが、言われた通り晶が目を瞑ると、今度は少し遠くの方でドカンッという何かが壁にぶつかる音が廊下に響いた。


 「!!?」


 ものすごい音に晶は驚いて身を縮める。香月が何かしたのかと思ったが、彼は先ほどから晶を抱えたまま動いていないので、もしかして倒れた男が起き上がってきて何かをしたのだろうか?


 だとすると、晶を抱えたままの彼は非常に危険なのではないかとハラハラしていると、香月が晶を抱えたまま動き出した。


 その時、遠くから別の足音が聞こえてきて、堀越の声がした。


 「瑠依様、今の音は……晶さん!?…これは一体…?」


 「堀越、そいつを拘束しておいてくれ。重罪人だ」


 そう言い置いてくるりと身体の向きを変えた香月は、そのままスタスタと歩き出す。まだ目を開けて良いという許可が下りていない晶は目を閉じたまま狼狽えた。


 「あっ、あの…一体何が」


 「君はもう気にしなくていいんだよ。それより、本当に怪我はない?」


 「は、はい。大丈夫です。…あの、留守をちゃんと守れなくて、すみませんでした…」


 晶は目を閉じている今この時にきちんと謝罪をしておこうと、彼に頭を下げる。こんな事態になってしまい、役目を全うするどころか、香月に多大な迷惑をかけてしまったことをまず謝罪しなければ気が済まなかった。


 謝罪する相手に抱えられたままなんておかしな話だが、香月の顔を見てしまうと、やっと止まり始めた涙がまた溢れ出してしまう自信があった。それに泣きながらの謝罪なんて相手に許しを乞うようで、そんなことは何より自分自身が許せなかった。


 頭を下げて俯く晶に、香月は僅かに沈黙した後、首を傾げる。


 「…良く分からないんだけど、留守番中の君の身に一体何が起こったのか、一から説明してくれるかな?」


 その言葉に、晶は改めて香月たちが出発してからの出来事を、特にバイト先から帰る時に起こったことをなるべく詳しく説明した。




 「――ということで、今回のことは、結果的に私が招いてしまった事態なんです。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」


 説明している間にどこかの部屋のベッドに座らされた晶は、説明し終えると謝罪と共にその上に正座して深々と頭を下げる。未だに許可が下りていないので、相変わらず目は閉じたままだ。


 今回の被害がどれほどだったのか分からないが、少なくとも香月に多大な迷惑を掛けたことは事実だった。もしかしたら使用人の仕事を解雇されるかもしれないし、そうなれば住む場所も失う可能性もある。晶は最悪な未来を覚悟して頭を下げ続けた。


 すると、すぐ横でベッドが軋み、香月の気配を近くに感じた。どうやら晶の隣に腰かけたらしい彼は、先ほどから一言も言葉を発していない。


 それが怒りからくるものなのか、顔が見られないので彼の様子が分からず、晶は伏せた顔に冷や汗を垂らす。


 すると突然、「ふ~っ」と長く息を吐き出す音が聞こえたかと思うと、何かが顎に触れてきた。


 「!!」


 触れたのはどうやら香月の指のようで、晶は彼の指に促されるまま目を瞑った状態で、顔を上げさせられる。


 すると今度は目じりを優しくなぞる指の感触がした。


 「……一人きりで、怖い思いをさせてすまなかった」


 そう言った彼の声はいつもより低く、優しく触れる親指は未だに乾ききっていない晶の目尻をそっと拭った。


 「!! い、いいえ!香月さんが謝る理由なんて何もないです!」


 彼の声の調子に慌てた晶は、つい目を開いてしまう。


 やっと開けた視界の先には、いつもより心なしか暗い色で煌めく瑠璃色の瞳があった。


 それもそのはずで、未だに明かりが点かない部屋の中は、暗闇の中でランプの炎がひとつテーブルの上で揺らめいているだけだった。


 わずかな明かりに照らされた香月の顔は、普段の彼には珍しい無表情だ。それでも、彼の顔を見た途端、晶は再び処理しきれなかった感情の波が押し寄せ、再びぼたぼたと大粒の涙を流してしまう。


 「うくっ…す、すいません…すぐ、止めますから」


 そう言って嗚咽を堪えて顔を背けようとすると、今度は彼の両手が頬を包み込み、再び香月のほうに向かされてしまう。


 正面から見た彼の顔は、先ほどより少し眉を寄せていて、何だか不機嫌そうにも見える。


 「…止めなくていい。今回の事だって、君が謝る事なんてないんだ。君は被害者なのに、怖い思いをしながらも一人で頑張ってくれた。だから、今はもう頑張らなくていい。…僕がいるから」


 「っっ~~~!!!」


 そんな言葉を聞かされて、晶は今まで我慢していた分の涙も溢れてきてしまい、もうどうにも止められなくなってしまった。












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