片割れの真珠
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
ホテル側が用意した香月の部屋を訪れてきた男性は、黒のジュラルミンケースを両脇に置いて深々と頭を下げた。
その男性は見た目は五十代後半といった風体で、まるで置物の狸のような体格に人の好さそうな笑みを浮かべている。
彼が恭しく差し出した名刺には『古物商 狸堂 綿貫本助』と書かれていた。
椎名からの紹介でやってきた彼は、連絡を貰ってから急いでこちらに駆け付けたようで、絞めたネクタイが寄れていて髪も少し乱れている。そんな彼を香月は鷹揚な笑みを浮かべながら迎え入れた。
「綿貫さん。今日は急な頼みを聞いていただいてありがとうございます。どうぞこちらへ」
「はい、では失礼いたします」
応接間のローテーブルの前のソファを勧めると、綿貫は重そうなジュラルミンケースを両手に香月の向かいにやってきて、一礼してそこに腰かけた。香月も座ると、彼は前置きもなく早々に切り出す。
「早速ですが、椎名さんから話は聞いていますか?」
「はい、伺っております。椎名さんと、それから百鬼様からもご連絡をいただきましたので」
「…糸から?」
予想外の名前が出たことに香月が驚いていると、綿貫は変わらず人の好さそうな笑みを浮かべながら頷いた。
「はい。百鬼様とは私の父の代からのお付き合いがございまして、そのご縁でこの度ご紹介に与りました」
「そうでしたか…それなら話が早い。早速品物を見せてもらえますか」
「はい。では、まずはこちらをご覧ください」
綿貫はテーブルに紺色のベルベット地の布を広げると、ジュラルミンケースから一つ一つ宝飾品を取り出してそこに並べ始めた。
はじめに並べられたのは、虹色に輝く真珠が幾重にも連なって絡み合うように繋がったネックレスだった。ある程度形の揃った天然真珠がこれほどまでに使われているとなると、これが価値のある品であることは一目でわかる。
次に出てきたのは、エメラルド・カットの大粒のサファイヤを取り囲むように小粒の真珠が配されたブローチ。サファイヤは色も透明度も申し分なく、その周りを囲む乳白色の質の良い真珠と相まって、美しい海を連想させる逸品だった。
次に出てきたのは、大粒の黒真珠の周りにダイヤモンドが散りばめられたデザインの指輪。艶のある黒真珠は少し楕円形で、それを取り囲むダイヤは一カラット以上ある。アンティークということだったが、さすがにその輝きは色褪せていないようだ。どれも愛好家を唸らせるほどの品々が出てきた。
「…どれも見事ですね。綿貫さんはアンティークジュエリーを専門に扱っているのですか?」
「はい。祖父の代では海外で買い付けたジュエリーを日本で販売する商売をやっておりましたが、そのうちに時代の流れでアンティークジュエリーの需要が増えまして、今では国内外のアンティークものを専門に扱うようになりました」
「なるほど。これらの品物を見る限り、素晴らしい目利きをお持ちのようだ」
香月の言葉に、綿貫は目を糸のように細めて頭を下げる。
「ありがとうございます。…ところで、差し支えなければ今回、香月様がどの様な品をお求めになっているのか、詳しくお聞かせ願いたいのですが…」
「ああ、そうですね。何というか…ある女性が真珠を望んでいまして。彼女の気を引きたいのですが、贈り物が気に入ってもらえないとこちらに振り向いてもらえないんです。生半可なものでは太刀打ちできそうにないので、これぞというものを見つけたいんですよ」
「なるほど…」
そう言ったきり、綿貫は人の好さそうな笑みのまま、眉を下げて困ったような顔で沈黙する。
何事か考えている風の彼の様子を覗っているうちに、ふと、香月は自分が糸の婚約者であることを彼が知っている可能性があることに思い至った。
今の説明で、綿貫は香月が糸以外の女性の気を引こうとしていると思ったのかもしれない。そうなると、彼はジュエリーを売ったことで香月の浮気を手助けすることになり、古い馴染みの糸の不興を買う恐れがある。
その可能性を考えて困惑しているのかもしれないが、だからと言って詳しい事情を説明するわけにもいかない。
香月は結局それ以上の説明をせず、しばらくそのまま黙って様子を見守ることにした。
すると、徐に綿貫が別のケースの蓋を開けてそこから小さな箱を取り出した。
「…では、こちらはいかがでしょうか」
そう言って綿貫が箱から取り出して目の前に置いたものに、香月は思わず目が釘付けになる。
それは、ドロップ型と呼ばれる見事な雫型の大粒真珠に、ゴールドとシルバーの装飾が草のように絡みついているデザインのブローチだった。
一見、ただのブローチに見えるが、香月は何故かそのブローチから目が離せなくなる。そして唐突に、あの雨の光景が脳裏に浮かんだ。
(―――何故、今彼女を思い出す…?)
同時に、あの暗い水底にいるような息苦しさを再び感じて、香月は思わず息を詰める。まるで自分の内側に隠されている部分をざらりと撫でられているような奇妙な感覚に、香月は内心酷く戸惑った。
そんな香月の様子に何かを察したのか、綿貫は説明を始める。
「…こちらの品は、実はイヤリングだったものをブローチに作り直したものなのです。私が譲り受けた時にはすでにイヤリングはこの片方だけしかなく、もう片方の行方はわからなくなっていました。ですが、これほど見事な細工と大粒の天然真珠が使われたものは滅多にありませんので、私の知り合いの職人に相談してブローチ作り直してもらったのです」
香月は先ほどから感じる妙な感覚を無理やり押し遣り、綿貫に向き直る。
「…確かに美しいですね。この細かい金銀細工など、芸術的価値も高そうに見える。譲り受けたと言うことは、前の持ち主を知っているのですか?」
「はい。その方は生前、うちの店のお得意様でして。その方が亡くなられた際にご家族から譲り受けたのです」
その客とは生前何度も取引があったが、本人が亡くなってからそのほとんどの装飾品を家族が売却したらしい。それなりに価値ある品も複数払い戻されたそうだが、その家族は「この品々に縁がないから」と言っていたそうだ。
どこかで聞いたような話に、香月はピンときた。
「…もしかして、それは元木幸次郎氏のことではないですか?」
訊かれた綿貫は目を丸くし、今日初めて笑い顔以外の顔を見せる。
「…良くお分かりですね。そうです。元木さんとは父の代から懇意にしていただいてました。実は、この品は私の祖父が幸次郎氏のお父上、元木幸之助氏に譲った品だったそうです。それが幸次郎氏の手に渡り、片方だけになってまた戻ってきたのです」
「そんな経緯が…。綿貫さんは、生前の幸次郎氏と交流が?」
「ええ。…と言っても、私がこの道に入った頃には幸次郎氏は既に晩年を迎えていましたので、あまりお話はできませんでした。それでも若いころに父の商談に付いて行ったことは何度かあります」
「幸次郎氏はお得意様だったと言っていましたが、宝飾品がお好きだったんですか?」
「いえ、ご本人がというよりは、どなたかへの贈り物だったようです。主に女性が身に着けるものをお求めになっていましたが…そういえば、香月様が先ほど真珠をお求めになる理由と同じようなことをおっしゃっていた記憶があります」
「僕と?…では、彼にも振り向かせたい女性がいたと?」
「はい。父からそう聞いたことがあります。ですので、良い品が手に入ったら真っ先に見せに来てほしいと幸次郎氏から言われていたようです」
「…なるほど…」
この話が本当なら、当時の別荘で噂されていた愛人説が濃厚になってくる。もしかしたら、その愛人というのがあの少女の霊だったという可能性もあるのではないだろうか。しかし愛人はともかく、少女の霊は別荘に憑いていたと言っていた。それなのに何故彼女はその別荘が無くなったにも関わらず、未だにこの地に残って泣いているのか。その理由と彼女の真珠への拘りは何か関係があるのだろうか。
「――話を戻しますが、この真珠は幸之助氏の手に渡った時にはまだイヤリングだったのですか?」
「はい。祖父が残した記録によれば、幸之助氏に譲った時にはイヤリングはちゃんと揃っていたようです。…片方は惜しいことですが、どこかで無くされたのでしょうね」
「残念なことです」と綿貫は肩を落として悲し気にブローチを見つめる。
その様子は、価値のあるものを失った無念というよりも、誰か愛しい人を亡くしたという表現の方が近いように見受けられた。そこから彼が自分の扱う品にある種の拘りというか、愛情にも似た思いを抱いていることが見て取れる。
「…とても良いものだと思います。ですが、これを僕に勧める理由が、何か他にあるのですか?」
先ほどこのブローチを見せる前の彼の様子と、期せずして幸次郎氏の所縁の品が出てきたことに、何だか出来過ぎのような、作為的なものを感じる。しかし香月はあくまで純粋な質問と見せかけて綿貫に投げかけた。
「…いやはや、これはお見逸れしました」
綿貫はペシンと自分の額に手をやると、照れたような笑顔を見せる。
「理由は後で説明しますが、まずはこの真珠についてお話させてください。この真珠は非常に珍しいことに、ひとつの貝から二粒取れたと伝えられています。その昔、さる国の貿易商が発見した島国の漁師から買い取り、この二粒をイヤリングに仕立てて自国の王族の姫君に献上したそうです。それを大変気に入った姫君はやがてその貿易商と結婚し、その国は大変栄えたと言われています」
「…まるでお伽話のようですね。それが本当ならその国の宝として博物館に飾られてもおかしくない。どちらの国かは教えてもらえないんですか?」
「申し訳ございません。私どもの扱う品々は、その歴史的な価値ではなく、その品そのものの魅力を売りにしております。この品々を純粋に愛していただきたいのです。品々もそれを望んでいます。肩書ではなくその本質を見てもらいたいと思うのは、人間も同じでしょう?」
その言葉に香月の胸がシンと冷える。ほんの一瞬だけ表情を無くした彼は、すぐに柔和な笑みを顔に貼り付け、鷹揚に頷いた。
「なるほど。それが狸堂のポリシーなんですね。―――手に取ってみても?」
「もちろんです」
綿貫はブローチを箱から外し、香月の手に渡す。再び間近で鑑賞すると、青味がかった乳白色の大粒の真珠は親指の爪ぐらいの大きさがあり、天然真珠らしい少し歪な雫型をしていた。それに巻きつくようにあしらわれた蔦と葉の意匠の金銀細工は、多少くすんではいるもののとても細やかで、過去に王族に献上されたというのも納得できる出来栄えだった。
「…これだけ見事な天然真珠なら、当時は一国でも手にできるほどだったのでは?誰もが手に入れたくなったでしょうね」
「それもあるでしょうが…実はこの真珠には他にもいくつか言い伝えがあるのです。この二つの真珠はその昔、愛する男女が身投げして亡くなった魂の結晶で、この真珠を片方ずつ男女で身に着けるとその男女は結ばれる運命になると言われていたそうです。他にも、この真珠には女神が宿っていて、その持ち主を幸福に導くとも言われています」
「そんな曰くがある番の真珠が、片方無くなったと。…それは本当に惜しいことですね」
「はい…。こんなことを言うと不審がられてしまうかもしれませんが、私にはこの真珠の嘆きがずっと聞こえてくるようで…とても胸が痛みます。…ですが今日、香月様にお勧めする品を選別していた時、どういう訳かこの真珠が私に訴えてきた様な気がしましてね」
「真珠が、訴える?」
予想外の話に香月が目を丸くすると、綿貫が困ったように眉を下げて笑みを深めた。
「はい。お笑いになるかもしれませんが、アンティークものを扱っている業者には良くあることなんですよ。そのもの自体が主人を選ぶということが。それで今回、いつも嘆いてばかりのその真珠が珍しく訴えてきましたので、その声に応じて香月様にご紹介してみたわけです」
「真珠が…そんなことがあるんですね。もしそれが本当なら、僕はどう言う訳かこの真珠に選ばれたと…」
香月は手にしたブローチの真珠をまじまじと眺める。綿貫の話を真に受けたわけではないが、虹色の雨粒のようなその真珠は、確かに香月を惹きつける何かがあった。それに、これほど価値のある真珠なら、あの霊が求めているものになり得るのではないだろうか。
それ以上に、この真珠を見ていて感じる胸の奥の騒めきが、遠い過去に自分が置いてきたものに似ている様な気がして、先程から香月は酷く落ち着かない気持ちになっていた。
つい目を逸らしたくなるが、それと同時にこの真珠が思い出させる感情から目を逸らしてはいけないと思う自分もいて、香月はどちらに従うべきか一瞬考える。
(本当に僕は、業が深い―――)
迷ったのはほんの一瞬だった。香月は覚悟を決める。
「―――これを、いただきましょう。言い値で結構です」
「…ありがとうございます。この真珠も喜んでいるようです」
まるで自分の娘を嫁に行かせるような顔で頷く綿貫の様子に、彼が本当に利益だけを考えて商売をしているわけではないことが窺えた。
現に綿貫から提示された金額は、香月が予想したよりもはるかに下だった。
「…本当に、この額で良いんですか?」
驚いてそう尋ねる香月に、綿貫は喜色を浮かべた顔で頷く。
「はい。今日、この真珠をあなた様と引き合わせることができた。それだけで今日の仕事は大成功です。…実を言うと私は、自分の手元にやってきた品物を、そのものがあるべき場所に届けることが一番の仕事だと思っていまして。品々の声を聞いて、それが行きたい場所まで届け、その喜びを分かち合うことが私の至福の喜びなのです」
本当に嬉しそうに顔を綻ばせる綿貫に、香月はまるで奇妙な生き物を見るような目を向ける。今まで関わったことがある、いわゆる財界の大物たちとはまったく違う綿貫の在り方に、香月は半分戸惑い、もう半分は呆気にとられてしまった。こんなやり方では商売が成り立つはずもなく、決して賢いやり方とは言えない。
しかし、扱う品物を見ても彼が一流の目利きであることは明らかで、扱うものもそれなりの価値あるものばかり。そのことを考えれば、今日香月に見せた人の良さそうな顔とは別に、時と場合によっては賢く立ち回っているのだろう。
或いは、その後ろに香月には見えない強力な福の神でも憑いているのか。
そんなことを考えながら、香月は後ろに控えていた堀越に目配せをする。堀越がテーブルに用意した小切手に香月が万年筆をさらさらと走らせると、そのまま綿貫に手渡した。
「では、この金額で購入しましょう」
小切手を受け取り、内容を確認した綿貫が眉を顰めて不審な顔を見せた。
「あの、恐れ入りますが…金額をお間違えかと…」
「気にしないでください。僕がこのブローチにつけた金額です。その額で買い取らせて下さい」
「!!」
香月の言葉に瞬時に目を白黒させた綿貫は、額に汗を浮かべ、しきりに頭を下げる。
「こ、こんなに…!?あ、ありがとうございます!…そ、それなら是非、もう一品受け取っていただきたい品が」
綿貫はそう言って慌ててジュラルミンケースの中を探り出し、目当ての箱を見つけると恭しく香月の前に差し出した。
香月はそれを手で制して首を横に振る。
「お気遣いなく。今日はこのブローチだけで満足ですから」
「そうおっしゃらずに!このままでは私の気が収まりません。お土産の一つだと思ってどうか受け取ってください」
その必死の様子に、香月の方が折れる形で彼はその箱を受け取った。蓋を開けて中を見てみると、そこにはリボン型のバレッタが入っていた。ベルベット地のリボンの中央には大粒の真珠と、そのまわりに小粒の真珠が配されている可愛らしいデザインのバレッタだ。
「これは馴染みのある地元の宝飾デザイナーの作品でして、この地の養殖真珠が使われております。養殖と言っても、その中でも最高級の品質のものを使って作られていますので、贈り物としても遜色ない品かと」
「…確かに、美しい輝きですね。ではお言葉に甘えて受け取っておきます」
香月が受け取ったことに安堵した様子の綿貫は、再び人の好さそうな笑顔に戻り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。またご縁がありましたら、その時は狸堂をどうぞよろしくお願いいたします」




